急に高熱の「ハピペン」です。あーあ、これ絶対来年度へのストレスだわ……人はストレスがかかると免疫が落ちる。環境の変化に弱いってのは、きつい弱点だなあ……。
X年、「不登校」、「虐待」、「いじめ」の対応が重なって大変だった。
そのうち、「不登校の記録」を一つ書いておこう思う。
(内容は事実と多少変えているところがあります。)
ミッション1:「修学旅行」に向けて
その子は、5年の途中から不登校になった。最初は、何かしら理由のある休みだったが、途中からは、理由なく休むようになった。
6年になって、家庭訪問をはじめた。(すぐに家庭訪問をしていないのは学校への拒否感が強く、保護者と相談しながら妥当ではないと判断したため。)
基本は月2回程度。
はじめは、やはり会ってくれなかった。
しかし次第に窓越しなどで会えることがあった。ゲームの話題などを話す。
一先ずは「修学旅行」の話をすることを目指すラポール形成。
一度だけ今年度の教室の風景などを写真で見せたが、やはり拒否感が強かった。
それからは、信頼関係が出来るまで(向こうが安全と安心を感じられるまで)、向こうから出ない限り、「学校にかかわるワード」は一切出さないことを徹底した。
そして、1か月半ほど経って、修学旅行の話をするも、本児の意向で行くには至らなかった。実際は「卒業式」を視野に入れていることもあって、ここではあまり無理はさせなかった。主な交渉はご家庭に委ねていた。
お土産はすごく喜んでいたそう。
ミッション2:「卒業写真」に向けて
「修学旅行」が終わって、交渉しなければならないことがないため、より気兼ねなく会うことができたように思う。
次のゴールは「卒業式」になるが、それまでにすべきことはいくつかある。
大きいのは「写真撮影」「卒業文集」など。
流れとしては、「写真撮影」で一度学校に来ることを目指し、そこから卒業への意識を感じさせ、卒業のに向けた頑張りを賞賛しつつ、文集などを提案してみる。
しかし、相変わらず「学校に関するワード」は出さないようにした。
どこかのサイトで家庭訪問にお土産は有効というのを見てから、お土産を意識するようになった。これは良かった。最初はちょっとしたものを渡して終わりだったが、食べ物をもっていくことで玄関先まで出てくれた。
そのときに、次に来た時に一緒に遊ぶ交渉をし、OKをもらえた。そこから、カードゲームなどをする関係に移っていく。
これが、9月から11月くらいまで続く、1年ってあっという間で、実際に会った回数だと20回あるかないかぐらいだ。
一緒に遊ぶことは楽しかったようで、その子の心に良い影響があった様子。
「写真」は誰にも会わない工夫をして、絶対安心の状況を説明してOKをもらった。
交渉で気を付けたこと
姿勢
気を付けたのは「本当にどっちを選んでもいいよ」という姿勢。大人たちの中には「本当は来てほしい」という思いがあるけれど、それは一切思わないようにする*1。その話をするときだけは、むしろ「来なくていいよ」ぐらいの姿勢で子どもに寄り添うイメージを持って話す。
タイミングを見て来るメリットをきちんと伝えることもする。
「思い出にはなるかな」とか「成長のチャンスって言えばチャンス」「挑戦したいなっていうのが少しでもあればやるのはめちゃくちゃいいことだと思うよ」みたいなことは言ったかもしれない。
俗にいう「登校刺激」、特に「直接的な登校刺激」「来させようとするような登校刺激」になり得る言葉かけは控える意識をしていた。
伝え方
誰が言うかもかなり重要だった。
- トーン
- 一文の文字数
- それを話題にする時間
- 質問の回数(質問は相手への負荷が強い)
- 同じ話題を二人以上で交渉しない(特に重要)
などに注意が必要だった。
私の見立てでは、高い声はダメ、一文をなるべく短くして20文字前後で句読点を入れる(3つまで)、学校の話は10分以上は強いストレスになる、質問は3回まで、一人が交渉に当たるというのが彼が心地よく反応できる条件だった。
結果「卒業写真」の撮影には来られた。
何日ぶりかの学校。やっぱり、どの子も学校にいるのが普通で「いるべきだ」と強く思う。様々な理由があって、いない選択ももちろんあっていいと思う。だけれども、学校側は、いられる環境を追究し続ける姿勢が必要だと思う。(あくまでも「いられる環境」であって、「いさせようとする努力」ではない。)
「卒業写真」に関しては、本児も「よっしゃー」などと達成感を感じていた様子だった。本児の見通しの中であれば、安心して過ごせる。それにせっかくだからとプラスして、他の先生に挨拶しようなど、大人が予定を変えようとすると憤慨激高する。
そう、ついそうしてしまう大人が周囲にいるという背景がこの子にはある。
別にそれについて良いとか悪いとかではなくて、そうしたくなる気持ちも十分わかる。だから、そこにある環境を資源としてできることをするしかないのだ、と思う。
「なんだよ、もっと介入しねーのかよ!」と文句を言いたくなる方もいるかもしれないが。
なぜ「登校刺激」を控えめにしたか
それは、こちらだけで勝手に判断したわけではない。当然、各関係者で相談しながら決めた方針である。
ご家庭のゴールイメージが「卒業式」というのもあった。もしご家庭のイメージするゴールが「学校へ行かせる」だったら、少しは対応が変わったかもしれないが、それは子どもを傷つけるリスクがあっただろうと思う。
もし、それをせがまれたら私たちは躊躇したことだろう。
もし原因が学校にあると判明していれば、それを取り除くように配慮する。しかし、今回のケースは、原因は不明だった。ただ、なんとなく同級生や学校への拒否感はあった。
大きな改善をするとすれば、ご家庭への介入が不可欠だということが見えていた。
しかし、今はもう金八先生の時代ではないのだ、と私はいつも思っていた。一人の教師に依存してそのとき良い姿を少しでも表出することができても、それが持続できなれけば、また自信を失うこともある。ご家庭が力を付けるたに介入することは、理論的にはあり得ると思う。しかし、一つの家庭の改善に力を注ぐと、こちらも崩れ落ちる可能性がある。
ノウハウはある様子。やるなら、それだと思った。しかし、チームで相談した結果、そこには行きつかなかった。また、地域で大きく介入している人もいた。それでも、ご家庭がパターンから抜け出せない現状がある。ならば、本児を育てるしかないのだが、簡単なことではない。多方面で見守って、本児の心が育つことにも期待しながら、一部の大人が気づくのを少しずつカウンセリングをしながら待つしかない。
ノウハウってのは、前に紹介したことがあったやつです。
inclusive.hatenablog.jp
ミッション3:卒業式に向けて
「卒業文集」は、冬休みを通して3度ほど添削を行って完成させた。ここはご家庭の力が大きかった。
そして、3学期、いよいよ「卒業式」をどうするか、という話になる。
方針は、不登校新聞の記事を基に考えた。
不登校80人の卒業式に関する感想。
出席して良かった:36%
欠席して良かった:80%
【公開】不登校80人、卒業式に一番多い感想は? / 不登校新聞
もし、彼が「欠席」を希望したときに、残りの2割に賭けて押すかどうかをチームで話し合った。結果は、彼の意見を尊重しよう、となった。
つまり、作戦としては様々な手を尽くして彼の動機を高めることしかなくなった。
「卒業式」の意味や価値、いかに出るべきか、強烈な交渉、普通はそうだから、などではなく、彼が出たいと思える手立てを出来るかどうかが、勝負になる。
学校側
学校側は、確実に他の保護者も児童もいない環境で好きな食べ物を食べる会を実施し、学校に来させた。
あとは、
・フット・イン・ザ・ドア
「今日楽しい?」「おいしかった?」などで、Yesを取っておく。
そして「ちょっとだけ卒業式の話してもいい?」と聞く。
・選択話法
「卒業式、『体育館でみんなと一緒に』と『別の部屋で今日みたいなメンバーで』だったらどっちがいい?」と聞いてみる。
おそらく迷って答えられないということもあると思う。
・ドア・イン・ザ・フェイス
「迷うよね。そもそも出ようかなってのもあるもんね。でももし、出るとしたら『体育館』ってどう?」
「いやー無理!」
「じゃあ、今日みたいな感じだったら?」
「ちょっと迷うなー。」
「いやー、考えてくれて、ありがとうね」
(この時点で、卒業式に関する質問は3つしているので、これ以上は詰めない。)
・希少性の原理
なので、最後に動機につながるような、話をして終わる。
「せっかくだからさ“特別に”他の場所での卒業式もOKをもらったからね」「本当にもう6年の最後だからね」「無理はしなくていいと思うけど」「きっと学校でもらって気持ちいいってのもあると思うんだよね」「ちょっとでもできそうだったら頑張るといいな、って感じはする」っていうようなことを言ったと思う。
そして、あとは、ご家庭でもう一度話をしてもらうことにした。
ご家庭側
ご家庭はご家庭で「卒業式」に向けて、どうすれば彼の期待が高まるか、寄り添って考えてくださった様子。
卒業式に着る服をレンタル出来る店の前を買い物のコースでそれとなく通って、着たいかを探ったり、卒業式の後お昼を食べにお祝いする予定を組んでくれたり。
大変なご協力があったと思う。
そして、結果、放課後別室で卒業証書を受け取ることができました。
彼にとってのベストを、本児なりに見出し、辿り着けたことは、本当に偉かったなと思います。彼が自己選択力を身に付けていくことは課題だったので、結末を決められたことは本当によかった、と思いました。
最後に
不登校新聞の記事の最後の方にあるのだが、
当事者は複雑な心境を持つこともある。
周囲がすべきは、やはり本人の意思の尊重ではないだろうか。
卒業式当日まで本人が出欠を悩んだとしても、結論が何度も変わったとしても、「いま」の意思が周囲から尊重されること。
それが本人の納得、ひいてはその後の肯定的な捉え方へとつながっているように思える。
【公開】不登校80人、卒業式に一番多い感想は? / 不登校新聞
(下線は「ハピペン」)
本人の意思の尊重に徹して良かった。
どんな形で卒業式を迎えられるかは、正直どうでもいいのだと思う。
自尊感情って自分の理想に対する自分の評価だし、外側にある行為の形はある種どうでもいいわけだ。
納得して卒業していくことが大事だと思うし、決めたことの良し悪しを卒業式に関しては否定したくないかな、と。誰のせいでもないような部分もあるし……。
自分の自分への評価に納得がいくなら、その決めた参加の仕方がベストだ。
このちょっと自分なりに頑張った感じが、「オレやったよなあ感」につながって、次のステージでも少し背筋を伸ばして過ごせるんじゃないか、って思う。
卒業式は、これまで育ててくれた誰かのためのものって前に、自分のためのものでもある。とにかく、外部にある大人たちの思惑を本児の動機にどう転嫁するかが、かなり重要だなあと思う。これは、どの子の指導にも通ずることだろう。感謝の必要性を脅迫して素晴らしいコールを言わせたってしょうがないわけでね。
そして、やはり、転嫁には関係作りが鍵だ。その関係づくりには、かかわり方のノイズが少なくストレスにならないためのテクニックがいる。
そうして、その子の中に入れてもらう。
そして、子どもってのは、その自分の中に入れた人のために、頑張ろうとか、やってみようとか、喜ばせようとかほんの少し思えるんじゃないだろうか……。
とりあえず、自分なりには、ミッションコンプリートな思い。
以上、報告終わり。