インクルーシブ教育の課題と問題点を挙げる。
1.課題
以下の三つは、インクルーシブ教育推進フォーラムの中で挙げられていたものです。
①教職員と保護者・本人の、相互の尊重と和解
"これまで"の果たしてきた役割りや取組、運動などの尊重と和解と言っていました。
②教職員研修
保護者や本人に対する接し方の本質的な見直し。
これは、特性にどう応じるかという部分もあると思いますが、障害者は"こうあるべき"、"こういうものである"というような人権を侵害した偏見による対応や接し方の見直しを言っていました。
③差別解消法
対応要領にどれだけ、障害者が差別されないために何を盛り込めるかが課題と話していました。
これらを見て思うのは、①②の理念がどう共有されていくのかということです。話しの中で、共生社会を目指すということが広まってきて、法律もできて、整備がされていっているが、"なんでしなきゃいけないの"という気持ちがあるうちは、共生社会とは言えないと伝えていました。
総じて、それぞれが共生社会に抱く距離の違いをどう埋めるかが課題ということです。
共生社会を"いいな"、"目指したいな"、"必要だな"という視点を想起し、理念を普及するにはどうすればいいのかが大きな課題です。
2.問題点
私が思った問題点ですが、そうして、いざ、インクルーシブ教育を推進してみようと思ったときに、インクルーシブ教育というものが、広大すぎてよく分からないということです。
「合理的配慮」や「共に学ぶ」などキーワードのようなものは、ちょくちょく聞くようになったのですが、結局その概要のような、つながりのような、全容が見えてこないのです。
だから、調べ始めたわけです。
調べてもよく分からないところがありますが……。
知ることで、見える世界は必ずあると思います。
3.課題と問題を知って
共生社会とはなんなのか、インクルーシブ教育とはなんなのかは、私たち一人ひとりに問われていることなのかもしれません。この問いは、そもそも障害ってなんなのか、障害者ってなんなのかなどのさらなる問いを生むと思います。
そもそもは、障害者も健常者も変わらない立ち位置で、地球で、気持ちよく、心地よく、幸せに、気長に生きたいだけなのです。
考えの先で、そもそも同じ人間じゃないのかといった、問いがさらに生まれるかもしれません
けど、まるで、同じではなく扱われた歴史があるわけです。
私は、結局、私たちの人間観や死生観が問われていると思います。
私たちが、見落としてしまった生がたくさんあるのではないかと思うのです。
その見落としたものを考えたり、これからを考えることで、障害当事者やご家族の方と健常者の間にある軋轢はなんなのかが見えてくるように思います。
そして、その間にある距離はどうしたって、想像力で埋めるしかない部分もあります。
これは、誰かが大切な隣にいる誰かのことを考えるように、困ったり、辛かったり、苦しかったりする誰かがいる事実があるなら、その人のことを考えようというそれだけのことなのでしょう。
昨日まで楽しく毎日通っていた、たくさんの友だちがいるクラスに、ある日事故に合い障害者になり、次の日から通えなくなってしまった。
たとえば、そういう極端さが、仕組みにあったわけです。
そこに悲しみがあったなら、それは、拭えた方がいいですよね。
あなたは、心からインクルーシブ教育を進めたいですか?
そろそろインクルーシブ教育をまとめていきたけたらと思っています。
つづく