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それでも幸せな人はいるから

特別支援学級の担任をしていて感じたこと。幸せな子ども時代を過ごす子どもが一人でも多く増えるように

なぜ、インクルーシブ教育を進めるか

それは、その多様な価値を認められる力が、今後の未来で役に立つからに他ならない。

自己実現、もしくは、社会参画のどちらかの役に立つからだ。

 

これは、当たりまえに行われなければならないものなのだと思う。

条約も、法律も、政策も、そう宣言している。

 

なのに、それは、実現されようとはしない。実現される方に意識が向かない。

 

いかに、インクルーシブが実現できるかが、他の子ども同士も許容、受容し合い、集団がよりよくなっていくということが理解されない。

 

インクルーシブ教育は、使うか分からない、直方体の長さが分数で表された直方体の体積を求めるのと同じくらい当たり前に学ばなければならないことだ。

 

体積の方は、あーだこーだ言って、教科書にあるからか、テストにもあるからか、学習指導要領にもあるからかしらないけれど、必死になって絶対教えて、教えないなんてことはないくせに。

インクルーシブ教育は、体現させようとしない可能性がある。

新しいものだからか、なんなのか分からないけれど、日常で使うか分からない分数の掛け算は大切にされるのに、人間を大切にする力を養うインクルーシブ教育は実現されない。

 

そうなってくると、まず、しなくてもいいという選択肢を拭わなくてはならないように思う。

教科書に載っている使えるか分からないものと同じように、使えるか分からなくても教えなければならないレベルのものに昇格しなきゃダメだ。

 

インクルーシブ教育は、必ず子どもを幸せにするって、将来の役に立つって、そう信じて、教科書に載っている当たりまえのことを教えるレベルに実現されなければならない。

 

実際、分数の掛け算で体積を求めるよりは、役に立つ価値観だと思うのだけど。

インクルーシブを実現しない理由はないと思うんだけどな。

 

違いを認められるものは、己の中にある違いも受け入れることができのだから。

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