それでも幸せな人はいるから

特別支援学級の担任をしていて感じたこと。幸せな子ども時代を過ごす子どもが一人でも多く増えるように

「基本的信頼感」に時間をかけまくれ

この話は、自分を癒すのは誰か?という話に向かっていきます。

 

エリクソンの言った「基本的信頼感」は、人間が社会で生きていく上で欠かせないですよね。

 

人は養育者との間に「基本的信頼感」を抱けると、自分は愛される存在だと感じて安心できるといいます。

そして、愛着が形成され、探索範囲が広がっていく。

 

そして、成長の先で、

社会を安全と思えるか、

社会は自分を脅かす存在か、

といった風に、社会をどう捉えるようになるかに「基本的信頼感」が関係すると思う。

 

まだ、具体的な言葉でまとめられていないのだけれど、結局、親へ抱く感情が、この世界を見つめるフィルターになる、と私は思っている。

 

親に安心感を抱いて育てば、この世界は温かいと信じられるのではないだろうか。

反対に、親に不信感をもてば、この世界は誰も私を救ってはくれないと思うのではないだろうか。

 

社会に対して不信感を持ったとき、人は自分で自分を癒しはじめると思う。

これは本能的無意識的なレベルで、自己防衛本能的なものかもしれない。

 

要は、自分は誰も満たしてくれないから、自分で満たすしかないってことだ。

 

自分を自分で満たさなくていいと思っているとき、人は世界を信頼しているのだと思う。

私は私で生きていて問題ないと思えるってことだ。

 

不登校、引きこもり、ゲーム中毒等々、世の中で起こるなんかしらの社会問題が、

「ある人」から何か「その人を満たすもの」を奪ったことで起こるのではないか、と考えた。

 

たとえば、その子が自分勝手に生きるのは、誰かがその子らしく「じっくり育つこと」を奪ったからと言える。

 

その子は「自分を満たせるのは自分だけだ」と恐怖と不安と焦りで、精一杯の抵抗をすることになる。

 

 

 

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