「なぜ、人を殺してはいけないのか。」
一般的に、この質問は答えにくいことである。
実際は、その人なりに答えたらいいと思う。
真剣に応じるしかないところがある。
私たちはつい「真偽」を問うのだけれど、世の中には「わからない」ってこともある。
パラドックスの解は、「Aでもあり、Bでもある」っていう矛盾にたどり着くことがある。
私が思いついた仮説は、
「一人の最大幸福が、二人の最小幸福より低い可能性があるから」
である。
利己的かつ功利主義的な判断で、誰かを地球から追いやったとして。
それが、「自分や全体のためになるか」の証明がなされていない。
「なぜ、人を殺してはいけないのか」の答えは、本質的には「わからないから」なのである。
よって「わからないこと」をして「いい」とはいえない。
今すでに、起こっている事実、してしまっている事実、すでにある現実は、目の前の人が「生きている」ということだ。
これは「わからないこと」ではなく、すでに真実である。
(ハイデガーの「世界内存在」っぽい感じだろうか……。)
だから、私は「殺していいか」より「生きている」が優先されるべきだと思う。
とすると、答えは「殺してはいけない」に近づく。
自分がどんなに相手を殺すことで悦が得られそうだったとしても、だ。
※当然に「法治国家」だからっていうのは、理由の一つとしてあるとしてね。
倫理的なロジックを考えてみたって話です。