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「個性」を煽られる子どもたち―親密圏の変容を考える―#3

「『個性』を煽られる子どもたちー親密圏の変容を考える―」は、2004年の本です。この頃か引き継いでいる要素もあると思いますが、あくまで10年以上の本であることに留意する必要はあるかなと感じています。 

inclusive.hatenablog.jp

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これらの続きです。

「#1と#2の現状把握を踏まえたうえで、その現状二つの要因は何か?」といった考察がされている章と言えます。

三 優しい関係のプライオリティ―強まる自己承認欲求のはてにー

先に大きくまとめた概観を書いておきます。

 

①社会から求められた「内閉的個性志向」は終わりがない。不安になる。

②よって他者からの承認が必要。大人や教師は、リアリティのない社会の一員である。そのため、親密圏にいる人に直観の自己を承認してもらい、「内閉的な個性」の存在を認められたい気持ちになる。

③親密圏における承認し合う様子は、お互い「内閉的の自己」が否定されないようにする、上辺の同調のような関係になる。否定されると、自己の本質が否定されたと感じるし、直観同士のためぶつかることは必然といえる。

※承認し合うために、"合わせる"行為が生まれ、犯罪やいじめが起こることもある。

④以上から、3つの状態が起こると考えられる。

・「親友殺し」

友だち同士の衝突により、自分の存在を否定されたと強く感じてしまった場合に、自分の存在の正しさを示すために殺してしまうことがある。

・「無差別な殺人」

友人との関係が終わってしまい、それでも承認欲求を得たい気持ちが肥大したときに、犯罪者になって存在を証明することがある。

・「引きこもり」

さぐりながら同調し否定されないようにする人間関係などへの疲れから「引きこもり」が起こる。

1 「自分らしさ」の脆弱な根拠

ここでは「内閉的個性志向」についての揺らぎが書かれています。

内閉的に「もともと特別なOnly one」の確証を探していこうとするかぎり、そこには絶えざる不安がつきまとうことになります。
自分の信じている「自分らしさ」の根拠は、そう信じている自分の主観的な思い込み以外にありえないからです。

「個性」は、他者との相対である、と本の中で何度も言われます。社会化の観点を欠いたとき、そこに「個性」を見出すことは難しいというわけです。

 

そこで、

その強迫的な不安を少しでも取り除くために、周囲の身近な人間からの絶えざる承認を必要とするようになります。
自分の主観的な想いだけでは「個性」の重さに耐えきれず、客観的に見える他者からの肯定的な評価によって、その重さを支えてもらわなければ安心できなくなっているのです。

その先にあるのは、「不安」を人質にされた、承認欲求のための「関係」を保つための人間関係に囚われた、自己不在の姿というわけです。

2 肥大化した自我による共依存

「内閉的な個性志向」同士の人間関係は、直感どうしでつながっている人間関係です。

そのお互いが得る承認欲求は、お互いの感覚的なものを頼りにした承認欲求になります。

 

しかし

感覚的な一体感といっても、現実には、生まれも育ちも違う他人どうしが出会っているのですから、ものの見方や感じ方が微妙に違ってくるのは当然のことです。
また、自己の深淵からふつふつと沸き上がってくる衝動や感覚は、自分の意思でコントロールできないもののはずですから、そのまま放置しておけば他者との衝突は必然ですらあります。

「内閉的個性志向」どうしの関係は<善いこと>から<良い感じ>へと移っています。

お互いの振る舞いが直感と直感によるもので、その同調がズレないことは難しいことでしょう。その先には衝突があり、その衝突の先には、人間関係を終わらせるための手段が取られることもあります。

 

3 純粋な関係がはらむパラドクス

ここでは、子どもたちは、本当は「純粋な関係」を求めていると書かれています。

彼らは、社会的な役割をいっさい媒介としない、お互いの内発的な欲求だけでつながる純粋な関係をそこに追い求めようとしています。
(中略)

親密圏においても、「素の自分の表出」をしたいと思っているのです。

しかし、ここまでの現状ふまえると、とてもではないですが、それが適わないことのように感じられます。

 

出してしまえば、同調に失敗し、対立が起こったり、自分の存在を否定されたりしてしまうかもしれないのです。

そして、「素の自分を表出」したいという気持ちは、親密圏で友だちと過ごす自分が「素の自分ではない」ということを明らかにしてしまい、自己欺瞞だと捉え、人間関係の疲れなどにつながっているかもしれません。

 

もう一つの視点として、コンテンツの多様化から、共通の話題が簡単には見出しにくく、昔と違ってコミュニケーションが困難な時代になりました。コミュニケーション能力が劣っているわけではないのだそうです。

 

そして、これは、「じゃあ、勇気を出して、まず誰かが表出してみればいい」という話でもないのです。

私たちは、(中略)人間関係の構成原理の何たるかを、今いちど考え直さなければならない時期に来ているようです。

とあります。

たとえば、必要な視点として

相違を認め合った上で、それをうまくマネージメントしていく方策を考えるまでに至っていないのは事実でしょう。対話がなかなか成立しないので、相手とのあいだに実際に横たわる相違点や距離感をむしろ見失って、円滑なコミュニケーションが阻害されている(後略)

と書かれています。

 

「いいからやれ」と言うのでは、子どもたちは露頭に迷ってしまうわけです。

 

次の#4で、『「個性」を煽られる子どもたち』は、ようやく最終回です。

 

▶最後の2ページに言及されていること

▶#3の概観

▶個人的に思ったこと

 

これらを書いて、終えたいと思います。

「個性」を煽られる子どもたち―親密圏の変容を考える (岩波ブックレット)

「個性」を煽られる子どもたち―親密圏の変容を考える (岩波ブックレット)