かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

「誉めること」と「自尊感情」

10月29日の記事です。

Nagano Nippo Web » 褒められると自己肯定感 県教組調査:長野日報のニュースサイト

 

この中で、

「褒められている"実感がある子ども"は自己肯定感が高い傾向にある」

という調査結果が書かれています。

 

この文を見てどんな解釈がなされるのだろう?と思いを巡らしていますが。

 

"実感がある"

この文が超重要です。

 

「褒められている子」ではなく、

褒められている実感がある子」です。

 

サイトの文章を見ると、

「褒めるはいいこと」

「褒めると自己肯定感が上がる」

「役に立つことをさせると良い」

「自分を好きになると良い……?でも自分本位でわがままな子どもがいるよな。自己肯定感なんてろくなもんじゃないんだ。学力!学力!」

って考えの人もいるのではないか、と気になります。

 

そう思うのは、「褒められている実感がある子」という、「自己肯定感」の定義のような重要な部分触れている箇所が最初の一文だけだからかな、と思いました。

 

ここでは、「自己肯定感」を「自分を良いと思える感情」と捉え、「自尊感情」と同義として扱います。

 

デニス・ローレンスの本によれば

自尊感情」は、「自己像」と「理想とする自己」の差が少ないほど高まると書かれています。

 

要は、誰かの「褒める」という行為が、「自己像」か「理想自己」にコミットできたから、「自己肯定感」に響いたと、考えることができます。

 

「理想とする自己」が道徳的で「誰かの役に立ちたい」というモデルを浮かべているから、「役に立っている」と感じている子の自己肯定感が高いのです。

客観的に見て役に立っていても、自己肯定感が低い子はいることでしょう。

それは、「理想とする自己」に「人の役に立っていること」がイメージされていないからです。

「そういう子」の役に立っていることを褒めても自己肯定感は高まりにくいと、考えられます。

 

「褒める」ことで自尊感情を高めるには、「理想とする自己」に「迫っている自己像」を褒める必要があります。

 

「できたね」という褒めも、「できたい子」「できたい気持ちになっている子」にしか響かない褒めということです。

 

だからといって、教師が、子どもたち一人ひとりの「自己像」と「理想とする自己」を把握して的確に褒めるなんていうのは不可能な話でしょう。

では、教師は何ができて、何をしたらいいのでしょうか。

 

「自己肯定感」の定義と子どもの実態を合わせて「褒める」としたらポイントを2つ挙げます。

①褒めようとしているところは、子どもが褒めてほしいところか

②褒める客体は、子どもが褒められても良いと思える相手か

 

①が、「自己像」と「理想自己」へのコミットです。

②は、「理想自己」を更新するような手助けをする視点を与える存在になるということです。

 

②によって、客観的な良い自己像の成長を手伝うことができます。

 

この話は「動機」「意欲」「やる気」などの話につながっていくものです。

 

要するに、子どもたちがもつ「理想自己」のデータに、教師が育ってほしいと願っていることを入れてもらえれば、教師の「褒める」行為によって自己肯定感を高めることができるのです。

 

子どもが教師の言っていることを大切にしたい、と思えなければ、その内容を評価されることを「良し」と思えないのです。
(教師の言っていることを大切にしたいと思ってもらう基盤になるのは「信頼関係」です。そのため、どういった大人だと、取り入れてもらえるデータの対象なれないということはないのです。「信頼関係」を形成すればいいのです。それは、また別の話になりますが。)

 

この①か②が満たされていることが「褒められている実感」ということだと思います。

 

このどちらにも当てはまらなければ、それは褒められていると実感できないはずなのです。

 

たとえば、したくもないことをして「役に立っているよ」と褒められたとします。

それが「褒められてもいいと思える対象」からの褒めであれば、自己肯定感にヒットすることができるでしょう。

しかし、褒められたくもない人に褒められても、そこに「快」を感じることもなく、「理想の自己」とのつながりもイメージされないため、自己肯定感には何も響かないわけです。

 

ヒントとしてもう一つ挙げておきたいのですが、「役に立つ」とは、主体は自分なのです。

客体を「役に立たせる」ことは、作為的にはできるかもしれませんが、他律でできることではありません。

「動機」としてきっかけを与えることはできるかもしれませが、「役に立つ」と自身が実感して「役に立つ」と感じて役に立つことは「主体的」にしかできないことなのです。

 

となると、自然な演出によって「役に立ちたい気持ち」を想起させて「役に立つと実感できる役に立つ経験をさせること」は可能かもしれません。

 

周りの人が「助けて」と言えばいいのです。
なんでもできちゃう「教師」ほど「助けて」って言ったらいいのかもしれません。

 

指示したり、命令したり、脅迫したりするのではなく、「やる気」にコミットして、自ら役に立とうと思えて、「感謝」されたとき、自己肯定感を高めることにつながると考えられます。

 

この話は「主体性」の大切さも浮かんできます。
子どもたちは、自ら理想をもって、自分の現在地を認識して、導いてもらったり、試してみたり成長したい気持ちたくさんなのでしょうね。

 

そう考えると、少しだけ子どもが可愛く見えますね。

以上。

 

〈雑記〉

タイトルは「誉める」としました。

「褒める」は、目上には使わないと言われています。

だからといって、「褒める=対象を目下と見ている」ということになるわけではないでしょうが、人として対等な目線で「ほめる」という意味で「誉める」を使っていると聞いたことがあります。

 

明日から、今日から、私もより目を凝らして誉めていこうというところです。

 

教室で自尊感情を高める―人格の成長と学力の向上をめざして

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