かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

「ほめる」の自分なりのこだわり

「批判=吟味」と捉えていただいて読んでもらえたら、と思います。

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この記事の下の方に

「今日、髪型カッコいいね!」
「その服、可愛いね!」

と「身だしなみ」などなんでも褒めるという話が出てきます。

価値観は、人それぞれでいいと思うのですが、私はあまり良い褒めるポイント(ほめポ)だとは思いません。

「身だしなみ」について誉める必要はあると思います。

特に「清潔感」は社会生活のためにも「行動を強化」する必要があります。
「手洗い」や、「髪を結わくスキル」は大切で、自分でできたら即周りも喜んで賞賛した方がいいです。

 

そして本題。

「髪型」や「服」を誉めたい気持ちも分かりますが、実際、年齢が低いほど「髪型」や「服」の「良さ」を誉める意味はないように思います。

これは、誉めるというよりご機嫌取り、もしくは、身だしなみに気を遣わせるための気づきを与える(身だしなみって価値があるんだという気づき)ための誉めなのでしょうが、そこに気づくかは分からない「ほめポ」だと思います。

 

誉めるのであれば、「髪型」や「服」ではなく、そういう髪型にしようとした気持ちや、そういう髪型にした気分を引き出して強化した方がいいです。

あと「似合っている」もいいと思います。

服も、それを自分で選んで着てきたのであれば、その自立心や「身だしなみ」に気を遣っているところを誉めた方がいいと思います。

 

やっぱり、私は、「人間の本来的価値」と関係のないものを誉めて「価値観」を操作していくのは好きじゃないのだな、と気づかされました。
(この二極化と言われている、ご時世「服」なんかは、特に慎重に誉めるべきです。)

 

すごい懸念にすぎないのですが、

「髪型」を誉めた結果、「髪型」が崩れることを嫌がって、触られてケンカになったり、着替えるのを嫌がったりするかもしれません。

「服」を誉めた結果、汚れて悲しんだり、可愛い服を着ていない人を自分とは合わないと思ったりするかもしれません。

「髪型」も「服」も、「かっこいい」か「かわいい」かは、自分たちの価値観をもつのはいいとしても、大人は気にしないで「誰もがどんな身なりでいてもいいと思ってるよ」というメッセージの方が大切かな、と思います。

 

私も、子どもたちの髪型や服に気づくようにはしています。

「今日いつもと感じ違うよね?」、「そんな服もってたっけ?」、「その色似合うね?」、「今日髪型どうしたの?」、「そのコーデ自分で選んだの?」といった声かけはよくしていて、会話をしています。

そうすると以下のようなやり取りができて、大体、周囲の友だちや親族か、その子の工夫やセンスを誉めることにつながります。

「お母さんにやってもらったの」
「さすが、君のお母さんだね」

「買ってもらった」
「君は大切にされてるんだなあ」

「そう?」
「なんか大人っぽい感じがするよ」

「ワックスつけてきた」
「練習大事だよ」

「おばあちゃんが用意してくれた」
「ほんと素敵なおばあちゃんね」

私は、その子が当たり前と思っていることを、言葉化させて「愛されている」ことを感じさせられたらと目論んでいるタイプで、子どもに恩に着せるのが大切だと思っています。

また、会話を広げたり、考えさせたり、オープンな質問に答えられる力もつけたいので上記のような切り口で誉めています。

 

以上、自分のこだわりを感じる記事に出合えたのでちょっと書いてみました。

 

ちなみに、子どもに恩に着せる大切さは、この本に書いてあった考えです。

自閉っ子のための道徳入門

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