映画「みんなの学校」を見ていて、児童指導のやり方を「いいな」って思うのはどうしてかを考えていた。
どこが良いのかといえば〈「子どもを否定」しないで指導できている〉と感じるところである。
ただ、暴力や暴言は毅然と注意をしている。「それは、絶対いけない。」とか
「もうしないんだよ。」とか。
けれど、それ以外はタイトルの言葉通り
「ああ、それは分かるわ。」みたいな
「そりゃ、そうなるわな。よし分かった、それでも〇〇が納得しなかったら、それは先生が言ってやる」という感じに、
「その子の主観に寄り添う」ことがブレないのだ。
よく、ある子どもに「誰も悪くない」と言っていたのを思い出す。
人間に上や下があって、誰かが悪くて、誰かが悪くないという捉え方をしている大人が身近にいると、子どもも人間をそういう目で見るようになる。
子どもたちは成長の過程にいるので、基本的にはどんな失敗をしてもよい。
しかし、大人が、良い人間と悪い人間がいることを伝えていて、家でその子が悪いときに裁くような言いっぷりをしていると、外でもミスが起こると、「誰が悪いか」の犯人捜しがはじまるのだ。
そこにあなたがいたし、そこに私がいたし、本質的には、悪さの原因はイーブンって考え方もできる。
子どもは、ただひたすらに〈次よくなればいい〉って視点で励ましてもいいと思う。
もちろん内容にもよる。取り戻せるもの前提の失敗に関して、特に〈次よくなればいい〉で済ませることができる。
出来事はただ起こっただけ、誰が悪いかは置いておいて、〈何が起こったか?〉〈感じていることは何か?〉〈どうしたいか?〉〈どうしてほしいか?〉
そういうを聞いてあげることで、誰が悪いからどんな報いを必要とするかではなく、ただの出来事として、気持ちを解決することができる。
いちいち人は人を裁かなくてもいいし、誰かを悪者にしなくてもいいってことを知る必要がある。