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それでも幸せな人はいるから

特別支援学級の担任をしていて感じたこと。幸せな子ども時代を過ごす子どもが一人でも多く増えるように

そういう家庭こそ見放しちゃいけないんじゃないか?!ってこと

多様化による価値観の散らばりっぷりったらすごい。

学校の〈社会化〉としての価値、〈公教育〉っていう価値が薄まっているのを感じる。

 

学校は行かない選択をしていることが可能になった。

不登校〉というのはそれはそれとして尊重されるとしても……。

 

2時間目や3時間目くらいに遅刻して来る小学生がいる。

 

そういうとき、対応としては、ご家庭に連絡をするわけだけど、どこまでどう連絡するかのバランスは難しいところ。

 

ある程度まで連絡をしたら「仕方ない」となることもある。

人間のやることなので、物理的な限界はある。

 

ただ、当たり前に「そういう家庭ほど粘らなければならない」ということだとも思う。

「これだけやったのに反応がよくないから、そこまでだ」では困ってしまう。

そこまでの家庭だったから、そこまでの家庭だったということで、自己責任にしてしまわないのが今の時代の流れだと思う。

 

公教育が担える責任を担えるとよいなあ、と。

私たちが子どもたちの生きづらさを生まないことは可能なのかもしれない、といつも踏みとどまって考えられるといい。

 

あと、こちら側もそれだけ「やっていることに価値がありますよ」ときちんと伝えられるといいのかもしれない。ただ「学校には来るべきだ」という正論だけでなく。

 

また、「家庭が最後の砦ではなく、学校が最後の砦な可能性もある」と認識すると違うかな。たとえば、子どもが学校に来なかったのは、家庭のせい(だけ)ではないだろ、ってことだ。

 

ある程度の幸せを手に入れた人は、不幸との戦いからドロップアウトしていくのだとも思う。

 

けれど、自分の手の届く自分が拭える誰かの不幸は、拭おうとする大人でいたいです。

仕方なさを越えて。

 

あなただけは教育を諦めちゃダメなんだよ、と。

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