かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

〈普遍的立場〉を因数分解

大衆居酒屋で樽酒を飲んで、今年は「日本酒」がいけるんじゃないか、と思っている「ハピペン」です。日本酒は次の日に引きずるので嫌だったのですが、それは、まあ適量を飲めばいいだけの話だなと気づきました。

 

今月の道徳教育を読んでいて、つまずきがあったので、それを書きます。

普遍的立場〉についてです。

2017年1月の道徳教育

道徳教育 2017年 01月号

道徳教育 2017年 01月号

 

 

P4に明治大学文学部教授の諸富祥彦先生が、〈「白熱した問題解決的道徳授業」が、「真の道徳的人格」育成への道を拓く〉という提言を書かれています。

その中で「どんな力が育つのか」で3つ挙げています。

(1)多面的・多角的にものを考える力が育つ→「道徳性の本質」が育つ

(2)「不動の道徳的意志」をもって日々を生きる「真の道徳的人格」を育てうる

(3)「誰の立場でもあり、誰のものでもない立場」(普遍的立場)に立つ思考の習慣の育成

 (3)の下線の
〈「誰の立場でもあり、誰のものでもない立場」(普遍的立場)〉

の意味について考えたので、それを書いておこうと思います。

 

「誰の立場でもあり、誰のものでもない立場」(普遍的立場)について

学習指導要領を見てみたのですが、(普遍的立場)というワードは見つかりませんでした。

この「誰の立場でもあり、誰のものでもない立場」って、パラドクスを感じる頭の痛くなる文言だと思いませんか?(私だけかな……)

 

本文には、英語の訳も書いてあって、

「誰の立場でもあり、誰のものでもない立場」

standpoint of everybody and nobody)

とあります。

 

(う~ん、ますます分からない……)

 

というわけで「言葉の因数分解」をしてみる。

 

前庭として〈問題解決をしてつく力〉という視点を忘れないようにします。

■「誰の立場でもあり」

これは〈問題の関係者全員にあてはまる立場〉ということでしょう。
たとえば「電車でお年寄りには席を譲るべきだ」という問題提起があったときに、その電車内に存在しうる関係者、登場人物の誰もの立場であり……ということです。

■「誰のものでもない立場」

かつ、「誰のものでもない立場」、これは「電車でお年寄りに席を譲るべきだ」という問題提起の中で、「譲るべき派」をAとして、反対に、「電車でお年寄りに席を譲るべきではない」という立場、「譲らないべき派」をBとします。

この二つの立場がいたとき、AかBどちらの立場にするか、ではなく、この「誰のものでもない立場」に立つということです。

 ポイントとして、この「誰のものでもない立場」というのは、「全人類の誰のものでもない立場ではない」ということです。あくまで、その場面で登場しうる人物の立場の中で、思い浮かんでいない「客観的な第三者的な普遍的な立場に立つ」ということです。

※世界中で浮かんでいない誰のものでもない立場を毎回生み出すとしたら不可能に近いですよね。考えた方としては、その集団のMIXは、世界中にそこにしかないですから、そこにある立場は、世界中から見たらそこにしかない「誰のものでもない立場」といえばそうだったとして……。

■思考の習慣

立場の〈思考の習慣〉をつける必要があるということです。

「誰が悪いかではなく、誰も悪くないとして、どう解決するか?」という考え方に似ていると思います。

■まとめ

まとめると、「Aの立場にもBの立場にもあてはまるけど、Aの立場でもBの立場でもない立場で考える思考の習慣」と言えると思います。

調停力、折り合い力、妥協点を見つける力、最適解・納得解を導く力などに近い力だと思います。

 

新年早々、自分の考えに必要な材料を手に入れたと感じました。

倉敷宣言の共通価値〉〈折り合い力・納得解力・最適解力〉〈不易の内面化〉に必要な力の付け方のアイデアの一つになると思います。