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それでも幸せな人はいるから

特別支援学級の担任をしていて感じたこと。幸せな子ども時代を過ごす子どもが一人でも多く増えるように

その場で解決しないこと

子どもの見方 自分なりの視点

朝はラジオ派の「ハピペン」です。一時「前前前世」と「恋」ばっかりかかってたなあ。

 

今日は、「その場で解決しないこと」について書きます。

 

子どもは子どもなりに必死に生きていて、自分の考えを前面に押し出して生活している。

それによってぶつかることもある。大概、自分たちで解決するのを見守ることが多い。

けれど、暴力・暴言、授業妨害している自分を自分で押さえきれていない場合、「あんまり」だなと思う場合は、私が口を出すこともある。

 

今回は「あんまり」だなと思う場合の話。

一応前提として、私は「衝突の修復が関係を深める」ということを大事にしている。

 

下の学年の子(Aちゃん)が、上の学年の子(Bさん)に「もう縁を切る」と言った。

するとBさんは「わかった」と言った。

するとBさんと仲良くなりたい子2人が近寄り、Bさんの味方についた。

Aちゃんは悲しんだ。

 

Bさんは、心が辛かったころAちゃんに大変お世話になった子である。

特性もあってか、「縁を切る」の言葉に気持ちを支配されてしまった。

いつも散々親に文句を言っているにもかかわらず、「親にいつもやられたらやりかえせ」って言われているからって理由で、「こっちも縁を切る」と言う。

 

休み時間から6時間目まで関係が修復されずに放課後になった。

私は「あんまり」だなと思った。

「あんまり」だなと思ったのは、特性で頑なになってしまうところがあってもいいけど、一般論を知った上でそうなのか、冷静になっても周囲の子に翻弄されて、下手すると後戻りできなくなるのではないか、ということだ。

 

人は言葉を間違うこともあるし、本心が違うこともある。

そういういろいろを伝えたくなって口をはさんだ。

 

けれど、Bさんは、勢いよく帰っていった。

Aちゃんには、「今日の今日だから、すぐ元通りっていうのは難しいかもしれない。けど、あの時そういう気持ちになったAちゃんは悪いってわけではないし、また伝えられることを伝え続けてみようね。Bさんを信じようね」って言った。

 

Aちゃんは6時間目中泣いていた。

 

次の日、お互い笑顔で話していた。

 

これは、先週起こったことなのだけど、今日「どうやって解決したの?」と聞いた。私は親が間に入ったかな、と思ったのだけど。

Aちゃんは「次の日の朝、謝ったら許してくれたよ!お互い家に帰って冷静に考えたら許そうって思えたんじゃない?」って言ってた。

「じゃあ、よかったね」と私。

 

家で考えられた理由に、私が間に入ってなんか言ったからって思えたら自分の心残りはないのだけど、そんな偉ぶった成果を見いだすような驕り高ぶりより断然多く浮かぶのは、「もっと子どもって信じなきゃだめだな……」ってことだ。

 

もちろんかける声はこの先も結局かけちゃうと思う。

そのかける声に応えられるってことも含めて子どもを信じる。

 

そして、ただ、自己保身だかなんだか、親の不安を拭うだかなんだか、子ども以外の理由で「その場で解決する必要はない」んじゃないかな、と思う。

 

誰のために「その場で解決」するのか?

何日かかろうが、子ども同士の中で変化を生み出せたとき、本当の成長や変化につながると思う。

それこそ「衝突からの修復」。そんな「その場で解決しないこと」の話。

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