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それでも幸せな人はいるから

特別支援学級の担任をしていて感じたこと。幸せな子ども時代を過ごす子どもが一人でも多く増えるように

子どもの心を育む?(「レジリエンス」について)

最近地域でのあいさつに力を入れてみている「ハピペン」です。

登校指導で、通学路に出た際、目に入った人にはあいさつをするようにしています。イヤホンをしている女性、自転車に乗っている人、スーツ姿の4人組、ちょっと声が小さくなりそうになるときもあるけど、挑戦しています。「当たり前」と思ってやれば、返事をしてくれる確率が上がるなあと思っている今日この頃。

 

さて「レジリエンス」これは、最近子どもたちに必要なのではないか、と考えている力です。
「レジリエンシー」とか、「弾力」「立ち直り力」「回復力」「復元力」など、さまざまな言葉で表現されることがあります。

一番最初になった本は、
これです。

 

いじめを根絶として、徹底的に対応していく。
教師で協力して環境を整えていく中で周囲の改善は見られる。

けれど、今一歩踏み出せないこともある。
そうしたとき、極限まで環境整備を優先するものの、一人ひとりの成長も必要になってくるのかもしれないと考える。

賛否両論あるのは当然として書いていくけれど、

上手く一歩踏み出せないといったとき、理由は二つあるかな、と思う。

・いじめの後遺症
・いじめられた子の力

の二つだ。

いじめは、いじめる方が100%悪い。それは当然として、ちょうど、いじめが犯罪と変わらないと言われるのと同じように、犯罪者がつかっていなくなれば、被害を受けた人は復活できるわけではない。
いじめを受けた事実は永遠に変わらない。
そうした中で、さらに、環境を整備していくことで安心につながって今まで通りに復活できることもあると思う。
警察のパトロールを増やしましょうとか、外出時には大人を付けましょうとか、それでも復活できない心もある。

そこへのアプローチとして、心が回復するためのロジックが必要かもしれない、と考えるわけだ。
そこで出てくる<レジリエンス>、具体的な方法論として参考にした本は、これ。

 生きていれば嫌なことは起こる。というか、嫌なことどころか、犯罪に巻き込まれることもある。

その心の傷をどう回復するか、それは無理矢理に強制されてこういう考えを手に入れたんだから治れというものではなくて、少しでも前向きになってもらうこと。

不安なときとか、悩みが大きいときっていうのは、まるでこの世界に一人で取り残されたような気持ちになる。
周りの人が何を言ってくれても心に響かないところがある。
それでも、本っていうのは、不思議なもので、なんでだかは分からないけれど、とにかくまるで客観的に感じて(それは結局自分の受け取り方による主観だからっていう理由かもしれない)、癒されるところがあると思う。
少しでも前向きに進むために、その本にある言葉たちがちょっとだけ背中を押してくれるというか、さすってくれるように思う。

まあ、結局は「君が隣にいること完全肯定」状態なわけで、それはそれは、「君のそれってありだよ」「地球上でありな話なんだよ」って安心感。

おおっと話が飛躍しそうだが、話を戻すとレジリエンシーは、「立ち直り力」で、この力がたとえば学級全体で高まっていくと、いじめに負けないというか、いじめを生み出さないというか、一人ひとりを補い支え合えるような集団になり得るということが、この本に書かれていて、エビデンスも示されている。
そういうわけで、一つ、児童の心の力につまずいたら、「レジリエンス」を頼りたいところ。

レジリエンス」の励みになる大事な考え。

□人は誰でも立ち直れるということ
□立ち直るときに人は成長し、心が強くなるということ

喜怒哀楽のある人間の毎日を乗り越えるには、これなんだとおもうぜ!

 

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