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それでも幸せな人はいるから

特別支援学級の担任をしていて感じたこと。幸せな子ども時代を過ごす子どもが一人でも多く増えるように

運命はある。そこにいる意味はある。ただ、そこにいる意味に気づけるかが問題。

「そうは言っても」ってのは、いっぱいあると思うよ。でも、誰かがバカになって理想や理念は言わないと。って思っている「ハピペン」です。

 

なんでもないエントリー。誰かを励ますためだけのエントリー(になるかもしれないエントリー)。

 

言いたいことを言っておこう。

 

帰り道で保護者の方に会う。

そんな「予定してなかったこと。予期していなかったこと。」

 

そういうことって山ほどあるよな、って。

 

例えば行事に、仕事で行けないって保護者も世の中にはいくらでもいるだろう。

でも、それって行きたかった前提で、それでも行けなかったってこと。

 

そうしたときに、なんとか、いくらかみんなで補い合おうっていう温かみはあってもいいなじゃないか、って思った。

 

そのためには、「つながり」が前提になるけれど。

 

予定しなかったこと。予期しなかったことが起こって、何かがうまくいかなかったなら、残った人でなんとかしようとすればいいだろうって思う。

 

「思いやり」とも言うかもしれない。

この「思いやり」には、「見通し」「具体」「視覚」といった「支援」も含めよう。
(もはや、法律なわけだけど。)

 

ただ、そのとある<合理的配慮>の合理さの幅っていうのは、思いやりが思いつくところも少なくないと思うんだ。

 

そして、その予定しないこと。予期しないことを乗り越えて子どもは育つ。予定調和を越えた成長を手に入れる。

それが、プロの教師かって言われると知らないとしかいいようがないのだけど。

 

けれど、今日確かに成長を感じた(感じたで仕事になっちゃ困るってのは重々承知で)。

 

それで、帰り。

予定しないこと。予期しないことが起こって思ったのは、

 

運命はある。捨てたもんじゃない。ってことを忘れちゃいけない。

そこにいる意味はある。ただ、その意味を見いだせるかが問題。

 

自分を使って、自分は何をすればいいの?

何を感じればいいの?と。

僕たちに必要なのはそのモデルじゃない。

私たちに必要なのはそのモデルじゃない。

今、僕たちに必要なモデルが、必要なんだ。

 

運命は踏み台。

その運ばれている中での気づきを踏み台にして。

自分に気づいて。

自分を生きていく。

運命を使って自分になっていく。

 

今、自分に必要なものはなんなのか。

今、自分がすべきことはなんなのか。

と問うて。