3.11から6年ですね。ラジオを聞いていると、復興が進んできたということが伝えらています。心の復興はどうなのだろう、と気になるところです。知ろうとすることを大切にして、この先もアンテナを張っていたいです。
3.11のとき、小学生相手なので、よく話に「菊池里帆子さん」の話をします。
2011年4月21日、間借りした校舎で、新年度がはじまり、着任式で代表の挨拶をしたのが「菊池里帆子さん」です。
里帆子さんは、その場で3.11の日のことを振り返りながら挨拶をしました。
お母さんは、他の子どもたちが怖がるのではないか、と不安を抱いたそうですが、里帆子さんはこう答えたそうです。
里帆子だって、今でも怖い夢を見るよ。でもね。どうしてか分からないけど、言わなきゃいけない。これを言わないと、何もはじまらないような気がしたの。
私は近い場所にはいないので、現実的に直接働き掛けれられない。もちろんそれを言い訳にせず、向き合いたい。その中で当たり前にできることは、こちらにいる子どもたちが知りえない、そのときの子どもたちが感じたことを知らせて結びつけることだと考えている。
このときの里帆子さんの「知ってほしいという気持ち」を、受け取れる子どもたちであってほしいし、里帆子さんたちと共に生きていく時代の一員としてやっぱり知らせていきたいって思う。
歓迎の言葉の締めくくりの言葉。
私たちはこれから、他の被災した町よりも、被災しなかった町よりも、よい町「ゆりあげ」になるように、応援してくれる人への感謝を忘れず、精一杯生きていきます。あの夜、真っ暗な空に輝いていた星たちのように、一人一人の個性を輝かせるように、希望の光となるように、一生懸命頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。
(くわしくは)
ある少女の作文 : オピのおび ふらっと弁論部 / 河北新報
その後、里帆子さんは、「東北六魂祭」で世界への感謝を伝えた。
「希望の光~世界への感謝」の締めくくりの言葉。
あの日、私たちは、大切な多くの命だけでなく、すべてを失ってしまいました。
でも、どんなに苦しい思い出あっても、
私たちはひとつの経験として未来へ一歩をふみだそうとしています。
だから、この震災を、心の片隅でかまわないので、覚えていてください。
震災をきっかけに、たくさんの人の優しさや温かさを感じることができました。
将来、私は元気を与えてくれた方々に、ありがとうと恩返しをしたいです。感謝を忘れず精一杯生きていきたいです。
When the blazing sun is gone
When he nothing shines upon
Then you show your little light輝く太陽がなくなったら、私が小さく輝けばいい。
小さな私でも、誰かの心の光、希望の光となるように、一生懸命頑張ります。
(くわしくは)
災後を生きる6 ~仙台市太白区 菊地里帆子さん : オピのおび ふらっと弁論部 / 河北新報
東北六魂祭での作文「希望の光」(PDFの一番下)