二日酔いの「ハピペン」です……。
以下のような言葉に裏はないか?(荒んでてすみません)
⑴○○先生のクラスでよかった!
(だって私はいじめられなかったから)
⑵○○先生の授業分かり易かった!
(私にとっては!できてない子は知らない)
⑶○○先生は私にも優しくしてくれた!
(先生は……クラスメイトは?)
クラスの子どもはクラスの子どもに無責任でいいか?子どもだから?それって子どもの子ども化を起こしてないか?
教師は何の成長に責任があるのか?学力?一部の子に優しくする心?それって生きてるって言えるのか?
みんな自分のことばかり。クラスが見えていない。
「みんな自分のことばかり」これも一つの正体だと思う。自己正当化による自己欺瞞。
いきすぎた個人主義、いきすぎた自己責任論。
理想自己が育たない教室。
理想自己が低い子ども。
喰い物にされる弱者。
排除される立場の弱い人。
自己欺瞞で見ないふりをしていたもの。
学校からの卒業。
それは、一人ひとりが、学校で被らされていた殻を破ることなのかもしれない。
「評価」「管理」「同調」「混沌」「比較」「差別」「批難」「雑言」「怠慢」「暴力」「破壊」などの殻たち。
子どもたちは次のよりよくへ。悪いものは置いて、良いものは残して進んでいってくれたらいい。それが卒業。
学校がきついメリットもあるか。
相対的に、家が安心できる場になる子が増える、ってのはある。
ただし、家で安心できない子は荒れる。
学校自体は好きだったかもしれない子どもたちの話。
学校をつまらないものにしない教師でありたい。