今日も晴れてよかった「ハピペン」です。外遊びをしなくて、とお悩みの保護者の方もいるが……今のところ遊べてる毎日!!
「感覚の違い」によってスムーズに活動できないのは、誰のせいだろうか?
「子どものせい」だろうか?
いや、それはないはず。「教師のせい」。
ただ、それも言い過ぎで、別に誰のせいでもなくて「でも、みんなで活動するにはどうする?」って問いがあればいいだけなように思う。
支援したのにできないと「ちゃんとやりなさい」が出てきてしまう教師もいるだろう。
「いや、ワン支援で当てられたら苦労しないわ!」って話だ。
そんな中、もはや、私には、発達障害の子にどうやって関わるかが染みついている可能性がある。(大胆に言ってしまおう!)
どうするとストレスなく指示が入るか。よくある文言を私バージョンにするとどんな風にするといいか、が分かっているのだと感じる。
その子どもへの入力が違っていれば「子どもの行動は変わる」。至極当然のことである。
それで、実際良い姿が見られるのだから。
まず、大切なのは注意しないことだと思う。(もちろんいくらでも例外はある。危険なときなど。)
幼保って素晴らしくて、子どもたちは大概存分に注意されまくってここまで来ている。
だから気づかせるだけでよい。一般的には注意でも指導は入る。しかし、そう簡単に行かない子がいる。そういう子には注意より選ばせる。そして、出来た時に喜んで強化した方が良い。
「刺激」について少し語ると、
・どんな「刺激」が好きか
・どんな「刺激」が嫌いか
の見立てが重要である。
「刺激」の構造は、たとえば「多少」「強弱」「長短」などがある。
SSTをやるにしても、たとえば「色」の刺激について考えることがある。見せる絵はカラーか白黒か。刺激が多いと落ち着かない子には「白黒」がよいと考えられる。特に視覚優位な場合、カラーでは刺激が強くなると考えられる。
大きい音で一番「快」の刺激が「怒鳴り声」や「叱責」であることをイメージしてほしい。
大きい声で注意すると笑う子がいたことがある。それに「笑うんじゃありません!」と注意すればさらなるご褒美になる。子どもはどんどんより怒られることを探してしでかすに違いない。
「多い刺激は嫌」だが、「強い刺激は好き」ということもある。
今日、算数の答え合わせを聞きながらプリントをやる姿を見る場面があった。いつも1、2分で出来る計算が一向に進まない。
これが発達障害なのだと思う。「ある刺激下では、多くの子が力を発揮できる場でも、発達障害の子は感覚の調整ができず、力を発揮できない」ということだ。
分からない教師は、自分の態度や環境に働きかけず何も変えないまま「早くやりなさい!なんでいつも出来ることができないの?やる気がないの?」とか言いかねない場面だ。
面白いのはいつも後回しにする文章題は先にやったところだ。
恐らく「ある刺激下では使いやすい脳が違う」ということだと思う。
ファスト&スローにあった話が関係すると思う。*1
発達障害の子を見る入り口や前提の一つに刺激があると思う。二次障害で心に抱えているものが少なく人を信頼できたり大切にできたりする子であれば、問題はほぼ「刺激」だけである。
要は「適切な支援さえすればよりよい行動を選べる子」ということだ。知的な面はさておき、黄道面については、大きく改善が可能なはずである。(5分後の給食が待たずに自殺しようとした子も今では中学2年生だ。)
考え方としては「刺激」を「値」としてみて見るといいと思う。たとえば問題行動があって、その問題行動で得られる「刺激の値」はなんなのか?
ざわつきや注目なら「よい行動をしたときに教師がそれ以上の刺激を与えるだけ」である。
そして「刺激の値」に合わせて指導を重ね、行動を一般化し、習慣化するだけである。
恐らくその「どんな刺激を求めているか」の的中率が高くなったということなのだと思う。
子どもが「なぜそれをするのか?」面白いのは「誰かを不幸にしたいから」ではなく「自分が幸せになりたいから」"ある行動"は起こるということである。
そうしたときの注意で、誰かに迷惑がかかっているとか、相手の気持ちを考えなさい、が虚無なことは言うまでもない。
あと、「好きな刺激」が「お母さんに褒められること」な子どもは実に指導が入りやすい。
保護者の方の力に感謝だと思いながら今日も働いたように思う。
*1:印刷をかすれさせて読みにくくすると、集中して読みスローが働くため誤答が減ったというような話