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それでも幸せな人はいるから

特別支援学級の担任をしていて感じたこと。幸せな子ども時代を過ごす子どもが一人でも多く増えるように

良さを見つめる

一年生を迎える会で「めあてを言うこと」「遊びがあること」が、とても良いと思った「ハピペン」です。

 

今年度「ハピペン」は市をまたいでの異動でした。心理的に多少の抵抗はあるものの、その抵抗を越えて「多様な価値観を受け入れられる人になりたい」という思いがあったので、反対にチャンスと思って他市に飛び込みました。

 

結果的に、今の所思うのは「うちはすごい!」っていうのが一番あぶないなあ、ってことです。

 

教育にベストも正解もないのだろうなと強く感じるのです。どちらかというとただ「思い」と「違い」があるだけという感じがします。

 

自分の中にある価値観だけにのまれないために必要なことは、目の前の事象の「良さを見つめる」ことです。

 

教育で言えば「良さのない教育」はないですし、「良さを見ようとすれば」自分の許容範囲はどんどん広がります。(当然法に触れちゃダメに決まっていますし、子どもの実態が合わさってくると「荒れ」もあるので、単純になんでもよいというわけではもちろんないですが)

 

最初に書いたように「良さを見出そうとすれば良さに気づくこと」ができます。ただし心理的な抵抗があると難しくなるかもしれません。

恐らくその正体は、前任校のやり方への慣れだったり、同僚の良さだったり、一言で言うと「愛着」かなと思いました。

 

ただ、大人が学校に対してもつ「愛着」は、実際的な教育の善し悪しと全く関係ないですよね。

 

過ごす中で「あれ?」って思うことは、当然違いとしてはあるのですが、結局「どれが正しい」っていうのは本当にないのだな、と肌で感じています。「思い」や「違い」があるだけなのです。

 

そうすると、ますます「誰も何も否定する必要はない」のだなと思えました。

 

ただ、みんなそこに在って、最善に近づこうと進んでいる。

 

いろいろな教育への態度を知り、良さを見つめる。すると、自分の教育も「あり」なのだと思えたり、自分にしかない良さがあるのだと感じたりする。

 

場所が変わっても自分の在り方が不変なところと、教育が「何のために」を大切にしてよりよく進もうと展開されている普遍を感じた日でした。

 

あの怒鳴る先生にも内実はある。その良さや背景を考えつつよりよさを目指せるといいな、と。(怒鳴るよさがあるかは、知らんけど)

 

外の世界にいくことで、異質を認めたときに己の異質さも認められるといった、承認欲求にのまれない仕組みを体験できたってことかもしれない。

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