それでも幸せな人はいるから

特別支援学級の担任をしていて感じたこと。幸せな子ども時代を過ごす子どもが一人でも多く増えるように

エピソード記述「Aくんに会えて嬉しい」

あと11ヶ月で終わるのか……とかしょうもないことを考えている「ハピペン」です。自分を活かしきれていない感……。

 

さて、エピソード記述。

背景

年度が変わって転籍した子。給食の際は交流級へ行く。交流では、名指しで絶え間なく注意される子だった。その子はみんなに合わせられないから、といった感じ。

 

エピソード

その子が交流に行くと「Aく〜ん、会いたかったよ〜」と子どもらしい表現で歓迎する子がいる。今、彼らに本当に必要な学びは何なのだろうと考えた。

 

省察

・子どもを分け隔てているのは「大人」だよなと感じた。「会いたかった」、共に過ごしていたい、いるのが当たり前っていうのが子ども同士の価値観だなあ、と。でも、学校は家じゃないし、預かり所じゃない。社会性(あと、どんな社会を創っていくかの価値観や動機や基盤)は育つかもしれないが、社会を創っていく力といったときに、また一人ひとりが社会での役割を得て社会を持続するためにも、一人ひとりに合った学びが必要になる(共に過ごして、多様性を認める価値観や動機といった基盤は育めるだろうが、それを実現する力がつくかどうか。もっと後でもいいような気もするが)。

分断への懸念がよぎるが、しかしながら、支援と同等のことが交流でできるなら、支援級はいらない。実際必要だと感じる現状がある。私たちにできることは「つながり」があることを蔑ろにしないことだけ、だと考える。

 

・ワークショップ型の自分で進んでやれる授業形式が気になる。分からないことは「シェア」し合って解決でいいんじゃないだろうか。

 

さて、未来という待ち合わせ場所どう共存しようか?

 

 

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