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それでも幸せな人はいるから

特別支援学級の担任をしていて感じたこと。幸せな子ども時代を過ごす子どもが一人でも多く増えるように

競争から協働へ行くんだよね?

5:30起きを頑張るぞ!な「ハピペン」です。

朝のプラス30分を確保しよう、と。

 

さて、レヴィナスのせいで、マルクス形而上学が気になり、そこから、「共産主義」が気になって検索していたら、あるブログを見つけた。

共産主義がなぜ失敗したのか - 四十三庵

 

共産主義の問題点が書かれていて、資本主義の競争原理と職員室の大人の姿に共通するところを感じた。

 

私たちにとっての経済活動。それは「子どもをよりよくする」ってことだ。そこに「私はあの子見れます」という商品があって、それは市場価値が高い。それを持ってると、「私はあの子見れます」を、売り歩いて「意見を通す」という商品が得られて生活しやすくなる。

「うえっ、キモッ」って思うんだけど、巻き込まれている。

ただ、貨幣の価値が信頼なように、「私はあの子見れます」は、ファンタジーな部分がある。

「本当に見れているか」は誰にもわからない。

そこに「競争原理」が働く。

「弊社こそお客様のお望みを叶えてみせます!キリッ」

「簡単にすぐに良さを感じられます。弊社の方法はいかがでしょう!?」

なんらバカバカしい。

 

やっぱり、職員は協働者でありたい。いろいろな理論や根拠があって、すでに起こっている実践を大切にしたい。

畑の違いを責めるのはやめてほしいし、やめたいところ。

ねらいが違えば、手立ても違うから。

どこに向かっているかも大切。

 

そうなると「どんな実践もあり」ってことになる。価値観が多様化していれば本当に、尚、そう。

だから、気をつけなきゃいけないのは、提案や大人に対する施し方の角度だ。

 

たとえば、

・こちらがより正しいかもしれないという幻想をなくして伝える

・質問からはじめて議論する(相手が困っていれば提案の糸口がある)

・困っている、と、相談する。

・自分のせいにして改善してもいいか尋ねる。

 

ただ、面白いのは、頑な人もいてそれが分かっちゃうと「こっちは下手に出てんのによー!」って気持ちが湧くこともあるところ。

おいおい結局大ブーメランだぜ、と。

 

あー怖い怖い。教師は自分が正しいたら思ってることしか結局やりたくないんだよね。良いって言われる実践も良いと思えなければやらないし、やりたくないことは理由をつけて避ける。

実践方法と個性の相性もあるからそれでいいのだけれど。

だから、それは「お互い様なんだよ」ってことだ。

まあ、ただ、意味もなく「それはやめません?」とか、「とりあえず変えずに」とか、「様子を見ましょう」とかは、全部ぶっ壊したいけどね。

 

だからふと「いや絶対よくしてやるから」って心の中で思って、火がついて、その競争原理から実際に「高度子ども成長」が起こる部分もあるよなあ、と思ったエントリー。

 

変わらない指導で、変わらない姿の子どもを持続することは、平和・安定・普遍なのかもしれないけれど、やっぱり「変身」は必要だと思うよ。だから子どもは日曜、朝が好きなんだろうから。

 

だから、私は、変わることができない大人の共産主義はちょっと置いておこうかな。

ただ本当に置いていくわけじゃなくて「誰もが生きていていい」って考えも引き連れながら進む。

そうそう!だって、いつも競争のゴールには全員で座っているものね。

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