昨日は歓送迎会だったハピペンです。今日があったから1次会で帰ってきました。
今日は、なんの日かというと……じゃん!
今年度気になっている学び二本立てです。行きたいなあ、と思っていたのですが、決心できず……しかし、今、メタ認知でかかわっている人にも紹介されて、偶然の連なりに運命を感じて飛び込むことに。
ものすごーく楽しみにして、わくわくして、向かいました。
時間、30分間違えてやんのーーー(笑)
もうね、めっちゃ私らしいよ。私らしいけどね……うん、傷つく。
それでも、早めに上陸しようって気はあったので、生憎の天気ってのもあって、ひどく遅れての参加にはならなかった。あーあ。
でも、めっちゃ楽しかった。教員になってからの研修で今までで一番楽しかった。こんな世界があるのかって衝撃だった。
SDGsの方もだけど、LSPの方も驚いた。
ちょっとずつ紹介しよう。
SDGs
持続可能な開発目標(SDGs)とは
開発アジェンダの節目の年、2015年の9月25日-27日、ニューヨーク国連本部において、「国連持続可能な開発サミット」が開催され、150を超える加盟国首脳の参加のもと、その成果文書として、「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択されました。
Sustainable Development Goals website
アジェンダは、人間、地球及び繁栄のための行動計画として、宣言および目標をかかげました。この目標が、ミレニアム開発目標(MDGs)の後継であり、17の目標と169のターゲットからなる「持続可能な開発目標(SDGs)」です。
SDGsは、 すごーく上層の方で話し合われた内容にもかかわらず、国連が公開した方が人類にとって利益がある、と判断し公開された地球をよりよくしていくための目標とターゲットです。
大きくは「経済・環境・社会」にかかわる項目で、SDGsの目標を達成していくことで「経済・環境・社会」がよくなっていくだろうというもの。
そして、このSDGsについて、カードゲームを使って実感を伴う学びを体験しました。
カードゲームによって、SDGsの目標の緊急性を自分事として捉えることができます。
ゲームの紹介:2030SDGs – 一般社団法人イマココラボ
簡単に説明すると、まず、チームに「人生のゴール」「お金」「時間」「プロジェクト」が配られます。そして「人生のゴール」を目指して「お金」と「時間」を使って「プロジェクト」を実行していきます。「プロジェクト」の実行には、「お金」と「時間」の他に「状況パラメーター」の状況が「プロジェクト」を実行できる数値になっている必要があります。この「状況パラメーター」は「経済・環境・社会」に分かれています。
これらのルールで、10分を2セットほどしたところで、「人生のゴール」が達成できているかが勝敗になります。
「人生のゴール」には「大いなる富」「悠々自適な生活」「貧困撲滅の聖者」「観光保護の闘士」「人間賛歌の伝道師」などがあります。(人間賛歌の伝道師がいいなあ……)
しかし、これを体験して一番に感じるのは「時間がないっ!」ってことです。
少しでも一歩でも、何かしら動き出さなければならないのだという感覚が、自然と沸きます。
そして、そのゲームを振り返るのに使用したのが、LSP(LEGO®SERIOUS PLAY®)でした。
LSP
LEGOを通した学びがこんなに面白いとは思わなかった。
LEGOを使って「あなたは周りの人にどんな影響力があるか」「なぜ世界から様々な課題がなくならないのか」「あなたが様々な課題の解決に向けて提供できることは何か」を表現しました。どれも5分程度でつくり2分程度話すといった感じでした。
これは、「周りの人に与えている影響」です。
中に水色のクリアと黒のブロックが入ってる。誰だって覗けるポイントを見つけて、覗きさえすれば、きらきらした部分は見える。外観も視点によって見える色や形が違う。そんな風に多角的に見て、良さに気づこうとする姿勢が、周囲に影響を与えていると思った。
これは「なぜ課題がなくならないのか 」(紙の上)と「あなたが提供できること」(紙の手前)です。
題名は「カオスとコスモス」
課題がなくならない理由を「価値観が一人ひとり違うこと、その自分のもつ周囲とは違う価値観に気づくことすらしようとしていないこと、誰かをおかしいというものの、自分の姿はどうか、もしかすると自分の姿形がどうなっているかにも気づけていないのではないか」ということを表現した(つもり)。
課題への提供は、一定の価値観の大きな枠組みを示すこと。多角的に見る力から、普遍の価値観を提示できたらと思った。ブロックは「経済・環境・社会」を表している。人の体の色がフランス国旗の色と同じで、意識してかと思った、と言われた。(そういう無意識もあるのだろうか。)
秀逸だったのは、
- 話すときに人を見ないこと
- 理由は後付けでいい
- LEGOを媒介にすると質問ができる(自然と対話が生まれる)
- 解釈は自由
言葉は自分が意図している使い方と違う解釈をされるとイラッとするが、LEGOでつくったものを違う解釈をされても「それもありだな」とか「なるほど」とか思えるってこと
創ったものに対して、出てくる自分の意見っていうのは、少なからず自分にあるものであって、「考えを明確にしてから創る」のではなく「創ってから考えを明らかにしてみる」という逆転の発想が、自分にはよく合っていた。
創る前の段階で自分の中になにがあるのか。これは、私が一番苦手とすることだと思う。(だから、メタ認知にも挑戦している。)私は、話しながらとか書きながらとかの方が、言いたかったことが出てくることの方が多い(みんなそうだろうけど)。
しっかりとした考えを話すことを求められるのではなく、LEGOを通して、考えをやり取りするっていうのが、不安も少なく、意見を言うことを楽しめた。
これは、私が思っている「価値観」を共有するために有効なツールだと思った。
たとえば、SDGsにある目標を達成するにあたってどのような課題があるか、ある組織で話し合ったとしよう。意見は、付箋に貼って、どんどん出していくとする。
最初の一枚を部長が「壁」と書いたとしよう。
そしたら、その後周りの人は、「部長、壁ってなんすか?」と聞けるだろうか。みんな「ああ、壁ありますよね!」などと言って迎合してしまわないだろうか。
その抽象的な言葉が表現したいものを、LEGOは乗り越えられる。
たとえば、課題として「国同士の交渉が重要」だと捉えて作品を作った人がいるとする。その国のモチーフと国のモチーフの間には、壁が表現されているのだ。
ただ、その壁は一人ひとりイメージするものが違うだろう。高さ、太さ、色、形など。その違いの前提があるから、その壁についてたとえ相手が部長であっても質問できる可能性が高い。「部長どうしてこの壁はこの高さなのですか?」というわけだ。
その人がもつ「言葉」ではなく、一つ物で創作し、それを介して意見を出し合うということは、傷つきにくく、不安が少なく、自己表現ができるのではないか、と考えた。
そして、その「メタ」にこそ学びがあるのだと思うのだ。
たとえば、「文字をきれいに書く」にしても、ただ「きれいに書きなさい」と指導して、自分と相手しか存在しない直接的な注意の仕方ではなく、「きれいに書かれた文字」を媒介にして、「この人はどういう気持ちで字を書いたでしょう?」でも、子どもの動機になり得るような意見が出てくるかもしれない。
何かを媒介して、意見を出し合うという感覚を体験できたことが、この研修での一番大きなお土産だった。(部品という抽象的な物に意味付けをするっていう難しさは多少あったとしても。)
遅刻したとしても、楽しめて本当によかった。
また、そこでの出会いもあった。貴重な話を聞けたと思う。
実は、この日は午前にも「おっ」って思えることを思いついた。
この2点は、またどこかで書きたい。
そして、この日は、愚痴を聞いてほしいってことで、夜は、はしごをした。
その街で、さっそくLEGOを買った日。