かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

どうせ無理だろう、出来ないだろう、子どもだから、あの子だからって。「否定」する観点で子どもを見ることは、子どもを自己表現から遠ざける

梅雨はどこに行ったのか……まあ、それにしても、今日は月がきれいだ、と思っている「ハピペン」です。

行きに読んでいる本『アドラー博士が教える「話を聞ける子」が育つ魔法のひと言』かを読んで書きたくなったことを書く。

 

結局、子どもにも考えを伝えるチャンスを与えるってことが大切なんだな、って思う。そりゃ社会的な正解はすでにあるよ。そんなこと言ったら、どいつもこいつもの考えも既出だ。だけど、意見を言わせてもらって、生きているだろう。

子どもも同じこと。大人たちの環境にとって当たり前だからって、分からないことを悪く言うのはなしだ。

道理に適わないことは、そりゃ言うかもしれない。けど、1キャッチボールで、問題を解決するわけじゃないから、なんでも対話すればいい。

今日、納得できなきゃ、明日もすればいい。そうやって、子どもは自己表現の芽を伸ばしていくのだと思う。

 

昨日、読んだ項目は

  1. 自分から外で遊びたくなる誘導法
  2. 子どもの困った行動には「Iメッセージ」が効果的
    (よく使う)
  3. 「相手の気持ちを考えろ」と諭すより、心に響く伝え方
  4. わからない子には「わかるレベル」の話に言い換える
    (よく使う)

自分から外で遊びたくなる誘導法

これは、中でもちょっと無茶じゃないかなって気もしたのだけれども、そう思ったものこそ使えるのかもしれない。機会があったら試してみよう。

たとえば、「野球中継」を見ている子に、「いつまでもテレビを見てるんじゃないの!」っていう感じじゃなくて、「野球が好きならキャッチボールやろうか?」というような感じ。

子どもってそんなもんだろうか。「いや、そういうわけじゃないんだよ」ってのが子どもな気もするが……。

ここからは、ちょっと横道に逸れる

横道

書いてあったことに対して思ったことを書くだけのコーナー。

今も昔も体を動かすのが好きなようです。
P113

けれど、遊ぶ友達がいないのだそう。

バタンキューと寝てしまうような体験は一人ではできない
P113

サマーキャンプの話で、自由にさせてゲームも好きなだけやれってしたとしても、大体3日くらいで、外に出てトンボを追いかけはじめる、みたいなことを聞いたことがあります。

何人かいて、誰かが外で楽しそうにしている。そういうモデルって大切なのかもしれないですね。天照作戦で。そう思うと「先生の楽しそうさ」も重要で、アンケートでこのクラスでよかった理由に「授業中に先生が楽しそう」って書いている子がいた。

あと、テレビの中で演じられている存在、野球選手やサッカー選手に自分を投影しているのではないか、ということが書かれている。

この視点も面白い。

今の子が好きなものって思うと、低学年だとマリオ、ドラえもんクレヨンしんちゃんなどがある。彼らは、これに何かしらを投影している可能性がある。それは、あり得るかもしれないと思った。

マリオは、動きが面白いんだろうか。

ドラえもんは、ドラえもんのように頼りにされたいとか、のび太みたいに助けてくれる存在がほしいとかがあるかも。

クレヨンしんちゃんだと、奔放なのに大切にされて、結局、許容される様なんか羨ましいんじゃないだろうか。

他にもYoutuberがある。何を投影しているのだろう?と考えると。「ありのまま」なんてどうだろう、って思った。アナ雪でも流行った「ありのまま」だ。

Youtuberの人は、「自分らしくありのまま」のような価値観を大切にしている節がある。

子どもたちはそれに憧れるのかあ、とちょっと虚しくなる。

それは、反対に「ありのまま」いられないってことなのかもしれない。たとえ、ありのままでいたとしても、それをあんなにたくさんの人に見てもらったり、リアクションをもらったりできないのかもしれない。友達に「今日遊べる?」と聞かなければならない時代になったのだ。

ただ、Youtuberの人の言う「ありのまま」と、子どもたちの日常をただ切り取る「ありのまま」は違うということは、教えなければならないと感じた。

「ありのまま」のコード違いがあるはずである。

Youtuberの人は、「ありのまま」という意味で、ただ寝起きして食事してなんて動画を挙げているわけではない。(中にはいるかもしれないが)。

「ありのまま」って、何の意図もなくいるってことではないことは注意したい。

子どもの困った行動には「Iメッセージ」が効果的

これは、もう鉄板だと思います。アサーション的でもありますね。

「あなたはそう思ったんだね。でも、私はそう思わないなあ。」というようなニュアンスです。

これも「トーン」が大事です。「Iメッセージを使えばよし」って感じで、結構きつく言っている人がいます。それは、もはや押し付けていてIがYOU化していると思うんですよね。

どんなことでも、思うのはありです。その表出ミスは、公として注意する必要がありますが、ただ厳しく指摘してしまうと、

「言ってはいけません」と叱ると、思ったことを言うこと自体を禁止されたと、子どもは考えます。
P116

んな、極端な、と思われるかもしれませんが、0ではないと思います。

そうじゃないと分かっていても、心のどこかでそういうセーブがかかりはじめる部分はあると思うのです。それは、それで言っていいかの迷いっているのかもしれませんが。

大切な考え方として「一旦受け入れる」ってのが肝です。

子どもなりに理由がありもするので、ここでも、こちらが、よく聞くことが大切です。

そもそも、ただお母さんに相手をしてもらいたがっている場合ってのも考えられる。

「相手の気持ちを考えろ」と諭すより、心に響く伝え方

「どんなふうに言ったら相手はうれしがるかなあ」
P124

と言ってみる。

子どもが「死ね」などと悪い言葉を吐いた際に、「相手の気持ちを考えろ」と叱っても、子どもに残るのは、反省ではなく、叱られたという事実だけ。

これは、以前にも言った、子どもは気持ちのいいことしかしないというのが働いて、何かしら理由があってそれを行っているはずです。

それを、ダメだ、と言っても。じゃあ、オレの気持ちはどうなるんだ、となるわけです。

そこで、相手が喜ぶ言い方を考えようと提案をする。

親や教師がすべきことは、子ども同士が仲良く、楽しく過ごすためにはどういうコミュニケーションをするのがいいのかと考えることです。
それによって、子どもを取り巻く環境が平和になれば、いじめや不登校の問題も、なくなるにちがいありません。
P125 

良い言葉だなあ、と思います。環境次第ってのがいいです。その子が悪いってならない考え方が本当によい。

ある教師は、子ども同士の関係の悪さに悩んだとき、お互いの「いいところ探し」をして上手に切り抜けたといいます。
P125

これも、いいですよね。認知療法のような感じがします。

相手に対する認識を変えれば、そのための観点を変えてしまえば、そういう目で相手を見られる可能性が増えます。

良いところを探すということは、その人を良いという前提で見ることになるわけですから、誰かを嫌いになる準備をはじめていることに気づいたときは、良いところを見つけた方がいいですね。

わからない子には「わかるレベル」の話に言い換える 

これは、めちゃそのままです。

たとえば、幼児や1年生に「反省しなさい!」って叱って、「はい!」と返事をしたとしても、たぶん分かっていないですよね。

その辺りを、わかる言葉に変えて伝えるということです。

そうできなければ、具体的に教えていく必要がある。

たとえば「仲良くする」っていうことを教えたければ、そのときそのときに「こういうのが仲が良いっていうんだよ」と教える。そうすることで、その子なりの言葉のコード(語彙)を豊かにしていく。そのためには、フィードバックや振り返り、「今、どんな気持ち?」と聞くことなどが有効だと思っています。

親の豊かな言葉の表現力とともに、子どもの聞く力は育っていくのです。
P130

とあります。いいですねえ。

他にこの項に

嘘もなんでもダメとしてしまうと「空想の世界で遊ぶこと」ができなくなってしまう、ということも書かれています。

 

ここからは、

【第3章:子どもの素直な心をひらく「親子関係」のつくり方】

  1. 「いい関係」が「いい聞き方」をつくる
  2. 「タテの関係」より「ヨコの関係」で子どものやる気は育つ
    (今後、必要になりそうな視点)

「いい関係」が「いい聞き方」をつくる

この考えって当たり前だけれども、面白いなあ、と思っていて「話を聞かない」ということが起こっているときに、見直すべきは「伝え方ではない可能性がある」ってことだなあ、と。

クラスの子にいくら「ちゃんと聞く!」って叫んでも、クラス内の子ども同士で関係がなかったら、聞けないってことですよね。

反対に、「関係が深い人たちへの話」と「関係が薄い人たちへの話」って、伝え方が変わってくるっていう話にもなる。

ここで、いい関係をつくるために、大人が聞けないときは、聞けない理由を素直に伝えたらいい、といったことが書かれています。

「ごめんね。お母さん、ちょっと困ったことがあって、今はそれを解決しなければいけないの。あなたの話は、少しあとにしてくれないかしら」
と正直に言ったほうがいいと思います。
P136

すごいお母さんですね。

この「メタ力」があるかっていうのが、課題なように思います。

自分を分からないがために、他人を追いやってしまうことってあると思うんですね。

「タテの関係」より「ヨコの関係」で子どものやる気は育つ

端的に言うと、「やってあげる」は、タテの関係です。

アドラーで言うところの「課題の分離」を土足でズカズカと越えたときに「指導」は起こると考えられます。

「課題の分離」として、その子に起こっていることは、その子の課題としていたら、「指導」はせず、放っておくと思うのです。

しかし、学校はそうはいかない。なので、どう介入するかが鍵になってきます。そうしたときは、課題を共有すればいいだけなのです。「貢献感」によって。

「貢献感」が先行した場合、ただその子の課題に土足で入るってことは起こりません。そうした場合、「聞く」ということが起こるはずです。

親自身が子どもに「聞く」必要があるのです。何か手助けしてあげたいときは、子どもに、「してほしいかい?」と聞いてみてください。
P139

すると、助けられたいかどうかは、その子の課題になります。その子が頼めれば、土足感なく介入できます。この「聞く」は、私もよく使っています。ヘルプスキルを育てるということが大切なので、自分で危機を感知してほしいという思いもあってですが。

アドラー心理学では、たとえ相手が子どもであっても、互いに尊敬し、信頼するという「横の関係」を重視します。
P139

あくまで、重視であって、「縦の関係」を一切なくせってことではないので、注意したいです。

お互いに対等な「横の関係」ができてこそ、お母さんの言葉が心に響き、自分から「やろう」「次はこうしよう」とやる気になれるのです。
(中略)
子どもは、お母さんの意見をよく聞き、それを受けて、自分がどうしてほしいのかを考えます。
自分の頭で考え、はっきり自分の意思を表明できるように成長していけるのです。
P140

学級経営において「縦糸と横糸」というのはよく言われること。

子どもたちが安心して横糸を張るためにも、縦糸が重要になる(教師と子どもの上下関係、しつけ、ルールなど)。

その先に、自己表現できる子どもを育てるための「横の関係」がある。それを子ども同士の中にもつくっていくことをどこでも誰にでも実現していきたい。

まず、教師とのかかわりで、自分の考えを気兼ねなく示させる。その心地よさのモデルがあって、一般化できるはずだ、と考える。だとすれば、やっぱり、「対話のない否定」は苦しいだろうな、と思う。