2か月半ぶりに会う前任校の人たちは、なんだか芸能人に会ったみたいに嬉しかった「ハピペン」です。テレビの中の人に会うような感じ。脳内で思い出は映像化されてしまって、その人たちに会えた!みたいな感じ。
一人ひとりがどんな言葉をもっているかをなんとなく知っているから、「そうそうこれこれ」みたいな感じがしてわくわくする。
雰囲気に会うような楽しさ。人っていいなって思った。
今朝、知ったことを書く。
結局情報の波に飲まれているのだけれど、面白いから時間を忘れてしまう。
今朝は、
- 「SDGsと開発教育:持続可能な開発目標ための学び」(P20)からの
- 「オックスファム・ジャパン」経由
- 「Oxfam Education | Oxfam GB」からの
- 「Before you finish eating breakfast, you've depended on more than 1/2 the world | Kelsey Timmerman」の流れだった。
1.に「グローバルシティズンシップの基本要素」が表にして書かれている。
面白いのは、出典が「Oxfam」の資料なところだ。「グローバルシティズンシップ」は気になっているので「おっ」と思ったが、普段だったらその後が「なるほど。ふーん。」で終わったかもしれない(メモくらいはする)。
けれども、この「Oxfam」が、この間DAFLで会った学生さんが関わっている団体だったため、脳が反応した。
あと、表は「知識・理解」「技能」「価値・態度」が7つずつ示されているのだが、横のつながりがあるのかが分からず、出典基を見たいと思った。
なので、まず日本のサイトを見てみた。気になる情報がたくさんある。
ただ「シティズンシップの基本要素」については見当たらなかったため、英語で書かれているもとのサイトに行く(いやー読めんし)。
Google翻訳等を頼りに見る。そうするとあった。
Global Citizenship Guides | Oxfam Education ここの下の方にPDFがある。
横のつながりはない様子だった。
先生用のPDFもある。
そこに「マーティンルーサーキング」の言葉が書かれていた。
Google翻訳をするも意味不明。ということで検索すると、4.のブログを見つけた。
そこに引用があってそれが刺さった。
こんな内容
「あなたが朝食を食べ終える前に、あなたは世界の1/2以上に依存してきました」
マーティン・ルーサー・キングの「平和に関するクリスマスの説教」(1967年)
(翻訳の編集「ハピペン」)すべての人生は相互に関連しているということに心が熱くなるのを感じます。
私たちはすべて、必然的に相互理解のネットワークに巻き込まれ、一つの運命として一枚の衣服のように結びついています。
自分が影響を及ぼすものは、すべてのものに間接的に影響します。
私たちの生きる世界の実際は、相互関係の構造のために一緒に生きるようにできているのです。
あなたは「自分のほとんどが世界に依存しなければ、朝仕事に行くこともできない」と考えたことがありますか?
あなたは、朝起きてバスルームに行き、スポンジに手を伸ばします。
それは、太平洋の島民によって手渡されています。
あなたは、石鹸のバーに手が届きます。
それはフランス人の手によってあなたに与えられます。
そして、あなたは朝のコーヒーを飲むために台所に入って。
それは南アメリカ人があなたのカップに注いだものです。
そして、多分あなたはお茶を飲むこともあります。
それは中国人があなたのカップに注ぐものです。
または、あなたは、朝食のためにココアを欲しがるかもしれません。
そして、それは西アフリカ人があなたのカップに注いだものです。
そして、あなたはトーストに手を伸ばします。
それは、パン屋はもちろんのこと、英語を話す農家の手に渡ってあなたに与えられています。
あなたが朝食を食べる前に、あなたは世界の半分以上に依存してきました。
これは、私たちの宇宙の構造による道理です、そして、これは相互に関連する性質です。
我々は、すべての現実の相互関係の構造のこの基本的な事実を認識するまで、地球に平和を抱くことはできません。
ちょっとあたまがごちゃごちゃなのだけれど(笑)
「「原因」と「結果」の法則」にも似たもの。自らが生み出したものが、他者に届き、他者から生み出されたものが、自らにも届いている。
「NHK「100分de名著」ブックス アラン 幸福論」にあった話にも似ている。
第3回の話だ(https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/07_bonheur/index.html#box03)。
私は、様々なものを与えられていて、日々生活することができている。
私も、誰かの生活につながるような「何かを『生み出してるか?』」これが大きな問いとして浮かんだ。
giveについて考えた
私たちは「朝起きて、仕事に行くまでの間」だけでも、世界の半分以上に依存している。いちいちすべてを把握することはできないのだけれど、恐らくそうなのだろう。
まず、そのgiveに気づけていない日常に驚愕する。メタってどこまでもつながるし、深い。
その私たちは常に毎秒毎秒、世界からの恩恵を授かっている。
「感謝の対象を見つけること」これが一つのgiveのはじまり。常にある恩恵に立ち止まって気づくこと。それを受け取っていることを自覚すること。takerとしてのgiveのようなイメージ。
いつも与えられていて、受け取っていることに気づくと、その充足が、giveの思考につながる。受け取っている、満たされている、感謝している。
「だから、私はもう大丈夫だから、与えたいよ」というような感じ。
そして、自分も誰かに「感謝されること」ができたなら、それは「giveした」と言えるかもしれない。
「感謝されたこと」を記録することで、自分の在り方ってよりクリアになるかもしれないね。
その、「感謝されることを『生み出しているか?』」が鍵で、そのために生きたいと思った。強く。
感謝されるようなことを選べたらいいだけなのだ。
もちろん「好きでやってんだよ!」ってのを忘れずにさ。