かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

215:『人間アレルギー』

土日に読んだ本。

 

多少あるかもな、と思った。

 

アレルギーとは、異物を記憶して排除する仕組みである。それが、人間に対しても起こるということ。心のアレルギーだ。

 

対人関係の根本的な部分であったり、蓄積であったり、衝撃であったりによって拒絶が出てしまうということだ。

 

何によって、人は人を異物と認定するのか。

この3つが挙げられていた。

・自分を害することがないか

・常識やルールを共有できるか(ルールは親密になるほど明らかになる)

・関心や気持ちを共有できるか

ざっと、マイノリティは不利だなと思った。

チームはチームなようでチームでなかったりしてね、一人のためのチームにはなれなかったりする。あるチームと、ある個人がいる集団はチームなんだろうか。それでも、あるチームを包摂しきることは簡単ではない。だから、見なかったことにする。そういうようなスパイラルが至る所にあるのだろうな。

 

人間アレルギー克服には、いくつかやり方がある。ちょっとずつ慣れるとか、認識を変えるとか。

ただ、認識だけでは難しい。分かっちゃいるけど、が起こる。行動から入ってもいいのかもしれない。愛着がそこから起こるからだ。

 

オキシトシンってことでもある。

 

信頼によって出る脳内物質。

信頼のある現場なら、幸福感も高いのだろうな。

 

困らない職場より、困ったら助けてもらえる職場がいいな。なんだか今日は切なく、苦しい気持ちである。声の上げづらさをなんとなくメタしたからだと思う。

 

土曜の朝に「テレビ寺子屋」で陰山さんが漢字学習について話していた。「やり方」を知ると、やってみたくなりもする。

田川市のHPにやり方の動画があってたまげる。

「おうちでできる!漢字速習」の説明動画を配信! / 田川市

214:余計な

余計なこと。不明瞭なこと。そういうのが、一番の不安。心の負債になるってことはないだろうか。

 

正直で、誠実な方を取りがちである。

どうしたものか。

 

そうして振ったサイコロの目の明暗はいかに。

どうなるのだろうか。

 

それを試行錯誤しつつ。

終わりの一年、9の年が進行していることも踏まえながら。起こることを受容していくということだよな。

 

このモヤモヤする癖から脱したいわけだけどね。まだ、その残骸はあるなあ。

 

 

また、このもやが晴れた時に、生まれる経験則なのだろうな。

 

自分は守られているのか。そういうことに、ずっと疑いがある感じだな。その実感がないわけだ。

 

怯え、脅かし。

守られている実感のために、ふいに飛び越えてしまうこともあるのか。

 

 

213:信じていないだけ

だから、インファイトしないってことかな。

 

私は、その距離感が心地いいんだろうか。

それでも、地道に変わっていく子どもたち。

 

今週、よくないということは十分わかった上で、休み時間を奪っている。これをやると、関係を崩すのではないか、と頑なに信じてやっていなかった。初めてやった。

 

でも、そのスリルが楽しくなってしまっているギャンブラーもいるのかもしれない。と、今日は思った。

 

期限であったり、引くに引けないというので、人は「闘争系」のドーピング的なやる気に作用できるのかもしれないな。

 

そういう手段を取るということは、そういう手段が有効な可能性があることを何となく見聞きして経験的に知っているってことなんだろうな。

 

そして、それは、単に「そこにあるつながり」を信じていないというだけのことなのかもしれないとも思った。

 

強く出ても平気なほどに、つながりはあるのだ。それを信じないからインファイトがない。

 

 

なぜか。

 

その根底には「欠陥・欠損」的な懸念、欠乏なのではないか、と昨晩うとうとしながら思った。

ザ・メンタルモデル

 

自分は至らない。価値がないって思いすぎなのだ。

 

でも、今年はそんなには「12のステップ」も開かなかった。ずっと自分でやれたって感じだ。神頼みで流すことは少なかったように思う。

 

212:やられる

懸念は成績のことである。スッキリしているだろうか。

 

5時に起きるしかないという気で起きた。

 

久々にfacebookを開くと、たくさんの人の活躍が見られる。すごい。

 

自分を広げてより、広範囲の人々と幸せを往還する人々。すごいなあ。

 

リサーチとギブ&テイクがうまくいっているといいのだろうな。もしくは、持っているものを、課題に結びつける力か。レトリックだろうか。

 

どちらでもあるよな。自分をリサーチに合わせるということでもあるかもしれない。リサーチの中で自分と一致するものにチャンネルを合わせるということかもしれない。

 

単純に「①何を成果として」、「②どう成果を出すのか」という話なのだろうな。

①や②に特殊を求めるかどうかも自分のチョイスの鍵だろうなと思う。

 

これまで、当面自分を救う旅だったと思えるので、そこから、それではなく(かつそれもを)、どう生かして、もう少し誰かを幸せにできるかを考えているようなここ2年である。

 

弱いのは「体験」や「経験」だろうな、と思う。また、具体の蓄積かもしれない。

 

課題解決の方法は集まってきているので、それをどうシェアするかなのかもしれない。

 

人生を変えるというよりは、人生を支えるという感じなのかなあ。

 

本と人と。そういうつながりで人は育つかな。

 

成績はモヤモヤ。最悪である。

本当に通信票は、とことん誰も幸せにしない仕組みだ。なんのフィードバックにもなっていないように思える。

 

どれが何割。根拠はなんだ。

反吐が出るわ。

 

退勤は20:30。

211:雨が止んでいるだけマシか

19時退勤になってしまった。

明日食われないためである。

 

ホントに世の中は、格差によって時間が奪われる。それは、ある人はあるところで時間を消費しているってことで、その消費した時間による歪みや穴を埋め合わせるに、また他の人の時間を要するということだ。

 

まったく、巡る。

 

あとは、無計画性の問題なのだろうな。

コストがかかることを、コストを予期しないでいると、やはり、コストが払えずにはみ出る。

 

たとえば、一つ。

特段、また所見なんかで苦しんでいる。

 

前半戦で課題を見取る目が弱かったのだと思う。そこが、つまり、その個の目標がはっきりとしていれば、もっとスーッと評価できたように思う。見どころを押さえるってことだろうな。そうやって、目測をして、学習全体を俯瞰して、あの子はこの時、この子はあの活動で、という風に見取ることができたらよい。

 

その個のVIVIDは、偶発的に訪れて、偶発的に私の目に写って記憶されるのではなく。計画的に表出させ、意図的に私の目に写して記録したい。

 

反省である。

 

でも、雨が止んでいるだけ、まだ自分の歩みに祝福を覚える。

 

210:『その先に霞んでいる』

『その先に霞んでいる』

朝は、聴きたい曲が浮かばず。疲れている証拠である。速い刺激のある曲を避けたくなる。そうなると、宇多田ヒカルが候補に上がってくる。一昨年、一時『光』しか聞かなくなった時があった。そのあとは、『Flaver of life』の鬼リピだった。とにかく、耳に違和感なく流れる曲が流したくなる。もうオートな気分で今日をやり過ごそうと『Automatic』を選曲するも、その後の『Movin'out without you』がなんか迫ってくるから「あー」となって。

 

そうなると、いい曲なのになんかこないサザーランドの『その先に霞んでいる」が候補に上がり。最寄駅について聴き始めた。

 

そうそう、これこれ。と思う。

輝く未来を願うがあまり

足元のステップにつまずいてしまうんだ

堪えきれず溢れた涙

答えはきっとその先に霞んでいる

そうだよなあ。

霞んでるよなあ。

答えは涙の向こうに。だとすれば、今は順風か。と思い直す。

 

ほんとふがいないな

昨日からほんの

一歩も進めてないよ

まさに。停滞。低迷。

 

焦らずに進もう。

今日よりも素晴らしいはずの明日へ

そう信じていくしかないし。自分だけは諦めちゃいけない仕事だよな。とも思う。

 

できることを。一回でもいいから働きかけ続けることを。

 

そういうわけで、日中はなんとなく順風である。「怒られないから」ということで、ゆるい行動をするいただけない姿を横目に、一応まくし立てもして、コトを進めていく。

 

オレがクラスで一番優しいよ、ホント。と嘆く。じゃあ、オレは二番目と二人の童が名乗り出る。片方は「いつまでもハピペンが優しくしてくれるわけじゃないんだからね」と叫んでいる。

 

それも、そうか。

優しさを引き継いでもいいな。

 

ちょうど昨日その子がやたら泣く子に辛抱強く寄り添っていて、私は若干しびれを切らしていたけれど、偉いなというか、放っておけよというか、辛抱強いなというか、すげーなって思った。

 

3月は、厳しめでいくかな。

「いつ変わるか!今でしょ!」とか叫んでね。

 

カウントダウンカレンダーも作った。

 

私たちは、終わりに向かって、成長していかなければならない。

 

お家の方から「また持ってもらうことがあったら、これまでのようにお願いします」と言われることもある。もはや、もう佳境だ。別れは目前。

 

帰りはいくらか穏やかである(まあ、ただの金曜日ってことか。そして、やはり水曜は勝てない)。

 

自然とチョイスが『その瞳のかげり』に。

 

これも、サザーランドの名曲である。

SCREEN~スクリーン~

SCREEN~スクリーン~

 

 

いつかすべては輝く

辛い日々もきっと笑い話になる

20代は、この言葉に支えられて生きた。ずーっと思ってた。「いつかすべては輝く」と。THE日本人みたいな考えだけども。それ以外の願いはないな。いつも、ずっと、誰も彼も、どいつもこいつも、報われてほしいって思っている。お前にOKサインが出したい。そういう気構えで生きている。本当に幸せになったもんだな。とも思う。

 

今聞いても、サザーランド本気出したなって曲だ。

 

そう選んだ人生だ。と強く踏みしめていた。

209:凝り固まっていく

私には、「おしり探偵」のような、独創的な話は思いつかないなあ。

 

学習指導要領に書かれていることを楽しませる仕事。ぬーんだなあ。

 

つまらない人間ですみません。

208:もってかれる

今年度の総授業時間数を見直してみた。

 

ギリギリって感じがする。

ギリギリにしないためには、凝縮して行う必要があるだろうな、と思う。そのためには、準備がいる。そこがうまくいかないと、転ぶ。みんな諸共大転倒である。なんとなく、それが起こっているように思えてならない。

 

気のせいかもしれない。

一生懸命、せっせとやるしかないのだけれども。

 

今、苦しんでいるのは、単元のゴールを見誤ったという例だな。ここを越えれば、なんとか着地させられれば、一旦仕切り直せるかもしれない。

 

次の単元で「問いたいこと」を絞って考えておかないと。

 

もう3月である。

ゴールに向かって進んでいかねば。

 

そうして、今、こう焦燥している自分が、年度末に向かってどうなるのか。楽しみにすることにしたい。越えているに違いないのだけれど。

 

それにしてももってかれる。もっていかれてしまう。年度末だから余計に。