インクルーシブ教育に関する用語について書いていきます。
ここまで、いろいろ見てきて、解釈していることを書く。
◆インクルーシブ教育
「障害のある者もない者も『同じ場』で共に学ぶこと」
ただし、同じ場にいればいいというわけではなく、学ぶ内容も保障される必要がある。
「同じ場」の解釈は、下記の参考を見てほしいが、実際には、地域なのか、学校なのか、学級なのかは分からないところである。あくまで、文科省によれば、「多様な学びの場」が必要という解釈で、「就学先決定の仕組み」に委ねられている。
◆インクルーシブ教育システム
インクルーシブ教育を実現するための仕組みである。
その理念の出典は、障害者の権利に関する条約第24条。
くわしくはこちら
◆多様な学びの場
「同じ場で共に学ぶ」と「学ぶ内容」を一人ひとりに合わせて保障するために用意される場の総称。
たとえば、特別支援学校、特別支援学級、通級による指導、専門的スタッフを配置して通常級、専門家の助言を受けながら通常学級、ほとんどの問題を通常学級で対応など。
どこを選ぶのかは「就学先決定の仕組み」を基に決まっていく。
「『原則通常級』というインクルーシブな『場』を前提とする」意見と「総合的な判断で特性に応じた『内容』を学べる環境を大切にする」意見とのバランスがある。
くわしくはこちらhttp://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2012/07/23/1321672_1.pdf
◆就学先決定の仕組み
本人・保護者、教育委員会、学校がどのように就学先を決めれば権利を侵害することなく、よりよい就学先を決めることができるかの前提となるルール。
これは、本人・保護者の想像している本人の人生における利益と、行政などの受け入れる側が想像する本人の利益の一番の現実的な利益を、本人と親とそれ以外の環境にいる人々で話し合いながら合意形成をして決めようというものである。
「本人・保護者の意見を最大限尊重すること」と「教育委員会が教育的ニーズと必要な支援を示す」というバランスがある。
また、原則保護者の意見による決定にするには懸念がある。それは、障害児に関する教育の情報が少ない親と、子どもへの関心がない虐待系の親の場合である。そのため、早期から就学相談を行えるように体制をつくることとが課題としてある。また、以上の理由から最終的な決定は教育委員会となっている。
就学先について、通常級で共に学ぶメリットもあれば、特別支援学校等で同質的な集団と学ぶメリットあるというバランスがある。
就学先決定の意見が一致しない場合は、第三者機関(都道府県「教育支援委員会」仮称)も加わって合意形成を行う。
障害のある児童生徒の就学先決定について(手続きの流れ)
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2012/07/23/1321672_7.pdf
就学先決定の意見が一致しない場合の対応について
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2012/07/23/1321672_8.pdf
◆合理的配慮
障害者の権利に関する条約第24条にインクルーシブ教育システムに「合理的配慮」が必要な旨が書かれている。
文科省の定義は、
○2 本特別委員会における「合理的配慮」の定義
○上記の定義に照らし、本特別委員会における「合理的配慮」とは、「障害のある子どもが、他の子どもと平等に「教育を受ける権利」を享有・行使することを確保するために、学校の設置者及び学校が必要かつ適当な変更・調整を行うことであり、障害のある子どもに対し、その状況に応じて、学校教育を受ける場合に個別に必要とされるもの」であり、「学校の設置者及び学校に対して、体制面、財政面において、均衡を失した又は過度の負担を課さないもの」、と定義した。なお、障害者の権利に関する条約において、「合理的配慮」の否定は、障害を理由とする差別に含まれるとされていることに留意する必要がある。
要は、インクルーシブ教育を実現するために必要な配慮である。同じ「場」という点と「内容」という点を全うするための配慮である。
前提としてどこの「場」を選ぶこともできるというハード面・ソフト面の配慮と、どこの場にいても、その場所における教育的価値、教育の目標などの「内容」を達成することができるようにするための配慮がある。
合理的配慮の否定は、差別である。ただ、体制面、財政面に過度な負担のないものである。
それについては、このように示されている。
○3 「均衡を失した」又は「過度の」負担について
○「合理的配慮」の決定・提供に当たっては、各学校の設置者及び学校が体制面、財政面をも勘案し、「均衡を失した」又は「過度の」負担について、個別に判断することとなる。各学校の設置者及び学校は、障害のある子どもと障害のない子どもが共に学ぶというインクルーシブ教育システムの構築に向けた取組として、「合理的配慮」の提供に努める必要がある。その際、現在必要とされている「合理的配慮」は何か、何を優先して提供する必要があるかなどについて、共通理解を図る必要がある。
合理的配慮は、どこで何を学ぶためのものかによって、変わってくる。
社会参加の力をつけるためなのか、知識を身に付けるためなのか。通常級で学ぶためなのか、支援学級なのか、支援学校なのか。
「場」と「内容」のバランスがとられて、就学先が決定して、その決まった環境の学びに必須の配慮を合理的配慮として行う義務があると考えられます。
(「合理的配慮」は、アメリカでは、accommodation「適合援助」と言われる。)
◆基礎的環境整備
基礎的環境整備とは、合理的配慮の基礎となる環境整備です。
具体を見てみると少しわかってきます。
もう少しあるので済みませんが、合理的配慮と基礎的環境整備の関係ですけれども、「『合理的配慮』の充実を図る上で、『基礎的環境整備』の充実は欠かせない。」という前提の下に、6ページの上の方に「通級による指導、特別支援学級、特別支援学校の設置は、多様な学びの場の確保のため『基礎的環境整備』として行われているものである」と書いてあります。普通、差別禁止の事例などで、例えばアメリカなどで見ますと、地下鉄が使えないという場合に、障害者も同じように機会均等に地下鉄を使えるようにするかというのが合理的配慮として議論されているわけですね。しかし、なかなか物理的に難しいところは、代替バスなどを走らせることによって、結果的には何とか行けるという状況をつくっているわけですけれども、その代替手段を合理的配慮としては位置づけられていないのです。あくまでも地下鉄を同じようにどうやったら使えるのか、これが合理的配慮の本体的な議論だと思います。
ですから、合理的配慮を確保するための基礎的環境として、今述べたようなことが入ると合理的配慮は一体何なのかと非常に不明確になってしまうといったようなことが、差別禁止という観点からは出てくるのですが、そのような視点についての御議論はあるのでしょうか。参考:
合理的配慮を「できる人とできない人」、「できる場所とできない場所」があってはおかしいから、力の入れ具合が変わらないようにどこの教育現場においても配慮のための基礎となる「基礎的環境整備」という視点がある。
どれを選ぶにしても主体と客体があって、
その選んだ先それぞれにおける、つけたい力が身に付けられる必要があって、そのための合理的配慮が本当は求められる。
(後編)終