かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

やり過ごす力

ああ、変化を見取れない。


所見が気になるなあ。まだ、それぞれの強みくらいしか分からないよお。そもそも変化を見取る能力がないのだ。失格。

 

私っていうのは「やり過ごすことが上手なだけ」で、子どもを伸ばす!とか、伸ばしてます!とか、こうすれば育ちます!とか、こう育てました!とか、なかなか言えない。子どもの姿を変えることはできると思っているのだけれど。それも、どちらかというとマイナスからのプラスだからなあ。あああ。

 

変容を見取れないぞーーー!!!

 

逆にというか、究極的には表出しているものすべてで、それを事実として書くしかないのよね。

 

残りの少しでも、また、子どもたちを見つめよう。

 

「明日、先生の時間、一時間だけ?!」ってのは、嬉しいのだろうか、なんとなく淋しいなのだろうか。

 

やること多いよ

タスクがやばい。昨年の2年と比べると、雲泥の差だ。昨年はとにかく教科書がそこまで着地できるとの戦いだった。しかし、今年はちょいちょい、それぞれの教科の小さいイベントが教科書を阻む。終わんのかこれ?!終わんの?!

 

恐ろしすぎてマトリクスを書いて教室に設置することにした。

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少なくとも6つのタスクがある。図工、総合、外国語、国語、体育、行事。おいおい。

これらが2週間後に終わっていなければならない。そんなことあり得るんだろうか!?

学校ってのは本当に面白いところだ。無茶すぎる。何が育ってんだか分からない。今日学校に来て「ごめんな、今日も何もすることないねん」って日がない。どんだけパーティなんだよ!おい!

 

かつ。

自覚していないレベルで、私は疲れ始めている。疲れ始めると、駅で炭酸を買ってしまう。

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そういう癖がある。去年は、それを水に変えていって、でも今度はチョコに魅了され、また、脱する。悪循環を断つ決意が必要だ。自覚できたからマシだろうか。なんとか、どこかで、水面下でバタバタと足掻くような覚悟で羽ばたこうとしないとならない気がする。無様でいい、そんなことよりも、飛ばなければ。飛ばなければ!