昨日、行きに見かけた人を、今日は帰り道に見かけた。
理不尽な差が圧力を生む。
権利を果たすせいで生まれる不幸と、権利を果たせないせいで生まれる不幸は一体なんなのか。
安全に届けるための、安心して未来に届けるための手を考えているうちに、圧力が生まれて、争いになる。その内に差し違えてしまうのだ。
それだけ
それだけ、みんな正解が分からず不安になっている。だからこそ余計に、自分が安全で安心な考えをもっているという主張が強まる。
コロナウイルスと戦っているのか、DVや虐待、ホームレス支援と戦っているのか。訳がわからなくなる。
しかし、訳がわからない時に、意義のある前例をつくることも可能になる。現場判断で最良の判断をするってことだ。
恐らく、その最大の法的根拠を、たとえば、憲法に置くといくらか欺瞞が減るだろうか。
「子どもの権利条約」で考えてみる。
子どもの権利条約 | ユニセフについて | 日本ユニセフ協会
家庭で、大人で、もちろん自治体でできる範囲で、どうせ公の動きは時差が出てしまうのだから(ならすために)、動ける人で、自分の頭で考えて、取れるものを取っておいて、それを分配ないし拡散した方がいいのだろうな。
この期間にそれぞれの経験値であったり、ノウハウを貯められるかって話なのかな。
ちゃんと手を差し伸べるつもりももっておくとして。
今回の通知に対してどういう動きが起こって、何ができるか。
「新型コロナウイルス感染症対策のために小学校、中学校、高等学校等において臨時休業を行う場合の学習の保障等について(通知)(令和2年4月21日)」
https://www.mext.go.jp/content/20200421-mxt_kouhou01-000004520_6.pdf
次の政府の動きの後、いろいろ動くのかな。