かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

204:水曜は勝てない?

なんとなく、もやっとする時間があった。

 

「座っている人は花丸です」と言ってみる。

まあ、そうすればスッと座るに決まっている。

 

にしても、よく聞けるようにもなってきている。感心するほど。音読もうまい。

「音読をするとスッキリする」とか言われる。お利口やな。「もう一回音読したい」と言われる。なかなかやで。

 

そして、ふと「水曜か」と思った。

 

「水曜は勝てない」。

今年のクラスはそういうっ気がある。

今になって思うと「時間割の問題なのだろう」と思うけれど、そういうもやっとした時間がある。

 

特段、それは昼休みの後に顕著である。

不思議なものである。

 

体育もうまくなった。合わせて楽しむみたいのができるようになった。

 

ドッジボールなんか、全員で参加して楽しそうにやっている。運動を楽しんでいるように見えて気持ちもほころぶ。

 

今日、ふと、「学校楽しい」の感覚があった。自分が低学年の時に、廊下でなんとなく「学校好きだなあ」って思ったような瞬間に感覚が似ていた。不安がない状態である。毎日似たように、メンバーとかかわって、次また次というように時間が過ぎていくような感じ。

 

イレギュラーの少なさ?

「見通しを示す」ではなく、「見通しをもたせる」、見通しをもつ、もっている。この違いかもしれない。

なんか安心感があった。その正体はよくわからない。