かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

219:10年で

授業への不安が少しは減ったのだな。

 

前は、電車の中で今日やることを繰り返し再生をしていないとならなかった。

 

連絡帳は、朝の会に書こう。

そこで、配付、収集も。

 

やっぱりまだ、いろいろな子の面倒を見るのは面白いと思えてしまうんだ。

 

10年前は、2011年だった。

地震の時は自分の役割を果たすことでいっぱいで、自分のいるところは停電してしまって、23時近くまで仕事だった。

 

それから、帰って、家も停電していて、眠るしかなかった。まだスマホでもなかったものね。

 

夜中のラジオでアンパンマンマーチやゴーカイジャーの歌が流れていた。

 

東北のことを知ったのは次の日だった。

 

全然知らなくて驚愕だった。

こんなことが起こっているのに、自分は遠く遠くにいた。

目の前の役割を果たすことしかできず無念だった。

 

そして、私はその年の5月にぬけぬけと実習をしているのだな。仕方なしかもだけど。

 

学校は、通常営業でいるほかないわけだ。

 

いつも自分のことで手一杯で時間が過ぎているみたいだ。

 

私は自分を使えているのだろうか、と気になったところで、ここまで。