常に気をつけなければならないことは、教師は自分の推測を完全なものにしようとしすぎることだ。
どちらかに「はっきり」させようとしすぎる。
・いかにできそうか
・いかにできないか
どちらかに視点を定める。
そうすると、次はその証拠を集め始める。
本当は保護者の人、同僚など誰かに私はどうしたらいいのかよく分からない。悩みながらやっていると言ってしまったってよい。
そこから見える、協働はあるわけだ。
でも、確信を探しがちである。
気をつければいいことは、"できない"って思わないことだけだろうと思う。
また、"なんとかしなければ"という働きかけも、実は「その子は自分からは育てない」というレッテルを貼っていて、「君の力は信じていないよ」って態度になってしまうかもしれない。
もちろん怠慢は許されないが、信じて手を尽くしすぎないことも大切になる局面がある。
"できない"って思わないことだけが、子どもを大切にできるかもしれない。
ニュアンスが難しいのだけど"できる"って思うより、"できない"って思わないっていう感じの方が大切。
"できる"だと、手を尽くした先に、こんなに手立てを打ったのに"できない"が生まれそうな感がある。
そんな感じで、子どもの力を信じて「出き方」を探せるといいって話。