かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

230:型か

年度末の型、年始の型。さまざまにある。

 

目標。

目標と調和した活動。

活動に相応しいクラスの動き。

動きを活性する言葉。

 

勉強するところ。

友だちと仲良くかかわるところ。

 

それぞれができる限り最大の態度で振る舞う。

自律。

 

できないことができるようにすること。

幸せな人になれるように。

幸せな在り方からこぼれ落ちないように。

それに向かって。

 

所感

できないことばかり際立つ。

そして、それ以外は気づきもしないほど全くできていないか。もしくは、そこそこできているかということである。

 

目標にしたい言葉が浮かぶ。

  • ありがとうを言うクラス
  • 失敗にしないクラス
  • 片付けまくるクラス

面白い。自分ができていることとできていないことが含まれているように思える。教えられることと、教えたいこと、教えられないかもしれないけど挑戦したいこと。いろいろな願いを含む。

 

約3年。3回の通常級が終わった。

自分らしく、やり切ることはできていると思う。端から見てヨシと思える環境を作れている自信はない。その理想と現実の距離を少しずつ縮めていきたい。

 

落ち着いているな、というのと、楽しいと思えるのと、うっとりと、しっとりと、その中の自分の兼ね合いを見つけたい。

 

子どもたちに力は付いたのだろうか。

そう思ってもらえた子もお家の方もあるだろうな。

優しさには感謝される。コストをかけたものにも礼を言われる。でも、それ以外は?と思う。どの子も自分なりに価値を経て次へと進んでいるだろうか。

 

定着させたいと本気で思ったものは定着しているのだろうな。

 

とりあえず、片付けが幸せの条件に思えてならない。そこに注意して、次へと進むことにする。

 

片付けとワックスで4時間は取られるなあ。すっきりとしてこの時間を削減するのを来年度の目標にしたい。

 

229:終わりよければ

だとしたら、終わりは良かったのか。

それが気になる。

 

to be continueもあるし、やむなくだろうか。

 

時にでかい欠陥のあるような自分は大きく心配である。

 

なんとなくミスをしてしまう。今週は顕著だった。

 

最後にこれを伝えるのも悪くないだろうと思って、最後に一言。これを伝えて、終わりとする。

私はいつでもあなたの味方です。
私はどんなときでもあなたの味方でいます。
私は何があってもあなたの味方です。

 

終わりがそわそわする。

 

来年度そわそわしないで、落ち着いて終わりたい。できるだろうかね。しっとりってやつね、ああ。

 

またね (ALBUM VERSION)

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228:イス取りゲーム

最後の最後ということでレク的なことを。

 

大変楽しんでいる様子。

 

これがない一年だったのか、と感慨深かった。

 

触れ合えないということでの距離感。

寂しい距離感。それを埋めるエンタメは必要だったのだな、と思わされた。

 

もっと、直接触れ合わないで済むレクを入れていけばよかった。

 

あとアンケートを書いてもらって、来年の子にハピペンを紹介するとしたら?というのに、4人が怒るとすごく怖い先生です。とあって、あーそうなんだ、と意外というか少し自信になるというか、なめられてもいるかなという思いもなくなかったので、へーって思った。

 

でもね、彼らは続いていくからね。この一年の心残りなんて何も気にしないで、大丈夫だと思うんだ。

 

さあ、学級を閉じよう。

220:充電するも

土日は、お願いして、朝オンラインでお話ししてもらう。先週中、成績のことで、苦しいなあと思っていて、だったら、相談すればいいじゃんか!となったのである。

 

信頼できて、気心許せる人と話す時間をつくる来年度にしようと思う。

 

頭が硬過ぎて、働けていないと思うのだ。だから、いくらか、いくつかの人にお願いしてつながれるようにしてもらった。

 

「コロナだから」と疎遠になっていたのだけれど、普通にZOOMやLINEで話せるだけでも大変に嬉しいものである。生の潤いを感じる。

 

それでも、今朝は苦しい気持ちだった。うだうだと。悲しくて、行く気が湧かなかった。行くけど。

 

子どもたちは落ち着いていたなあ。

活動しやすい月曜日だった。

愛おしいと思った。

 

あと7回である。

このチームで活動できるのは。

誰かがなんかこぼせば、バーッと走って4人くらいが雑巾を濡らしてやってくるクラスである。助けることが当たり前になっている。徳を積むことになんの卑しさもない。そうやってずっと子どもたちが支えてくれていた。助けになっていた。有り難いクラスである。帰りの会を自分らで始めて、帰っちゃうクラスである。共に生きている、というか生活しているんだな、って感じがしたよ。

219:10年で

授業への不安が少しは減ったのだな。

 

前は、電車の中で今日やることを繰り返し再生をしていないとならなかった。

 

連絡帳は、朝の会に書こう。

そこで、配付、収集も。

 

やっぱりまだ、いろいろな子の面倒を見るのは面白いと思えてしまうんだ。

 

10年前は、2011年だった。

地震の時は自分の役割を果たすことでいっぱいで、自分のいるところは停電してしまって、23時近くまで仕事だった。

 

それから、帰って、家も停電していて、眠るしかなかった。まだスマホでもなかったものね。

 

夜中のラジオでアンパンマンマーチやゴーカイジャーの歌が流れていた。

 

東北のことを知ったのは次の日だった。

 

全然知らなくて驚愕だった。

こんなことが起こっているのに、自分は遠く遠くにいた。

目の前の役割を果たすことしかできず無念だった。

 

そして、私はその年の5月にぬけぬけと実習をしているのだな。仕方なしかもだけど。

 

学校は、通常営業でいるほかないわけだ。

 

いつも自分のことで手一杯で時間が過ぎているみたいだ。

 

私は自分を使えているのだろうか、と気になったところで、ここまで。

218:会計の声

眠りたいと思わなかった。

食べたいと思わなかった。

 

10年前くらいに一度だけあったなあ。どうしても、眠れなかったこと。

自分が何のために、自分をしているのか分からなくなった。頭を悩ませた。行きたいと思えないと思うことが止まなかった。

 

そう考えると、今はそういうわけではない。

教室にしか答えはないな、と思う。

それと、自分らしいリーダーシップでいいか、と思う。

 

上手くなくていい。だから、本質的でなく、既成事実的な立ち回りになる時間が出来てしまうことも致し方ないところがあっていいこととする。

 

理想との違いにダメージを受けるも。

それは、ほぼほぼ成績のための苦しさで、何かが嫌になったわけではないのだ。

 

単に会計の声に打ち負かされているだけである。そうでない立ち回りでいようとしたのだから、それは、そうあるしかないのだろうな。

 



 

 

それでも。ゆらゆらと着地か。

217:これが自分か

なんというか、指導力のなさを痛感する今週である。

 

なんというか、結局、子どもを損得感情によって動かすことになってしまう。

 

なし崩し的に進めているところのあった自分が悪いのだろうな。こんなことなら、もっと作為的に「気をつけさせる」指導をしてくればよかった。

 

来年は厳しめでいこうと思う。

 

その方が力が付くように思うからである。

もちろん違う素地は育っていると思うのだけれど、仕事に合わないところがある。

この仕事はもっと管理的で、「評価」をしないとならない。それを担保してうまく立ち回ることができていないのだ。

どれくらい「アソビ」があって、猶予があるのか。そういうのが不明なまま進んでいるのでよくない。

 

そして、そのあやふやこそが、子どもを育てることができていないような気にもなる。

 

明日、またYPを取ってみようと思う。

それで、いくらか答えは出ると思う。

 

どうしたって、私がコントロールしている、私にコントロールされている、私がコントロールできている集団を安心と思うのではないか、と考えてしまうのだ。

 

今日は、年一イライラしてみた。

イライラしている自分にげんなりする。

疲弊する。これが嫌で、受け流していたのかもしれない。言い換えると譲るということである。

学級は、譲っても譲らなくてもいいことで溢れている。

 

ただ、この大変さを拭うには、譲らないをもう少し作らないとならないのだろうな。

 

「やらせる」が通用しない子がいる中で、それは悪手だと思うのだけれど。本当はクラス会議で拾い上げることもできなくないことなんだろうけどなあ。

 

私の困りは、誰にも拭われずに漂流し、私と共に海底へ沈んでいく。

 

何人かの思いやり溢れる子に「なぜ、私を助けてくれるのか」と。

それを聞いて癒されてもいいのかもしれない。

 

 

途中から、今日を木曜と勘違いしていた。疲れている。帰ってみると夕飯を食べたくない。寝たいとも思えず1時まで起きてしまった。疲れている。成績が引っかかっているようである。一つは、学習指導要領を見ること。あとは、仕込みをきちんとすることだ。評価のための下ごしらえをきちんとね。それが疎かだった。年間計画を印刷して、挟むこと。今回は仕方ない。

 

ああ、自分は頑張れていないのか、と悲しくなった。思ったような伴走なしなのだから、当たり前である。そして、それでも子どもたちはよくやっている。敬愛に値する。うん。