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それでも幸せな人はいるから

特別支援学級の担任をしていて感じたこと。幸せな子ども時代を過ごす子どもが一人でも多く増えるように

唯一したことは「注意しないこと」

今日は、行事上かなりきつい人員配置だった。

 

普段二人で見ている人数を一人で見る……。

 

全体的に力を入れすぎず無心でいないとこっちが病みます……。

 

終いには、私だけの時はうるさくなるとか軽口をたたくし( ̄◇ ̄;)

 

実際は、ずいぶん穏便に一日終わりました。

 

子どもがそう感じているかと、実際にどうかというのは違って、そういう軽口がたたける関係の良し悪しはなんとも言えないのだけど、全員怪我などなく一日すごせたことが大切ってのもある。

 

そういう現状。

 

「あえて」と意識して頑張ったのは、普段以上に寛容でいようと思うことだ。

 

一人で留守を預かるからこそ、「きちんと」というプライドがはたらきそうになるが、あえてプライドは捨てる。

 

掃除の時間から図工の課題をやり出す子もいた。

 

「注意したくてたまらなかった」けど、今のその子の実現したい表現を認めた。

 

潰して従わせて得られる教育的価値を想起できなかった。

 

放課後30分経っても作業が続いた。

納得いくまで作り上げていた。

 

廊下を通る先生がその造形をほめていった。

 

その子は、一連の納得を得ると、走って帰っていった。

 

みんなと同じルールを守れない。

社会に出て困る。

ってなんだろうか?

 

認めたくないけど認めたとき、そこにリアリティのある人間らしさがうまれるように思う。

 

私たちは、なんであれ、その子の存在を認められたのだと、振り返って思う。

 

毎回ってわけにはいかないかもしれないけれど

一生に一度必要な思い出を確かに得たような気がした。

 

私はほぼ見守っていただけだ。

したことと言えば、「注意しないこと」と「手伝ってと言われたことを手伝ったこと」だった。

 

そんな留守番の日。

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