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それでも幸せな人はいるから

特別支援学級の担任をしていて感じたこと。幸せな子ども時代を過ごす子どもが一人でも多く増えるように

インクルーシブ教育とは#1(サラマンカ声明)

「インクルーシブ教育」とは?

調べてみると「インクルーシブ教育」「インクルーシブ教育システム」「インクルーシブ教育システムの構築」など、似た言葉がたくさんあり混乱しますよね。

これまでの歴史など一歩踏み込んだ理解しようとすると、さらに、似た言葉が出ててきます。「インクルージョン」「インクルージョン教育」「インテグレーション」「ノーマライゼーション」「統合教育」「メインストリーミング」など。

 

そのため、結局のところの定義が捉えにくいです。

 

 1.インクルーシブ教育ってなに?

「そもそも論」的なことを言ってしまうと、これが「インクルーシブ教育」という世界共通の定義はないようです。

 

直訳すると、「包括的な教育」です(インクルージョン教育も同じ)。

反対は、「排他的な教育」。

国や環境によって、「何を排除とするか」は違うと考えれば、共通の定義がないことが分かります。

 

現在進行形で世界全体で、実践を共有し合って、インクルーシブ教育という理想を実現しようとしています。世界中の一人ひとり、私たちもその一員であり、当事者です。

 

「インクルーシブ教育」についての理解の手助けになるものを、これから3つ紹介します。

サラマンカ声明」1994年

障害者の権利に関する条約」2006年

 「障害者基本法」2011年

 の3つです。

 

今回紹介するのは、「サラマンカ声明」について。 

インクルーシブ教育の理念の根底にあるのは、「サマランカ声明」です。

「インクルーシブ教育」や、「インクルージョン」という言葉が聞かれるようになったのは、「サラマンカ声明」以降と言われています。

1.サラマンカ声明について

1994年6月7日~10日 ユネスコ・スペイン政府共催で、スペインのサラマンカで行われた、「特別なニーズ教育に関する世界会議:アクセスと質」で宣言され採択されたものです。

声明の内容のうち、インクルーシブ教育の理解が深まると思ったものを挙げてみます。 

インクルーシブ教育のアプローチを促進するために必要な基本的政策の転換を検討

・「万人のための教育」の目的をさらに前進させるため、すなわち、学校がすべての子どもたち、とりわけ特別な教育的ニーズをもつ子どもたちに役立つことを可能にさせるため

インクルージョンの原則、「万人のための学校」 に向けた活動の必要性

・別のようにおこなうといった競合する理由がないかぎり、通常の学校内にすべての子どもたちを受け入れるという、インクルーシブ教育の原則

インクルーシブ校は、均等な機会や完全な参加を獲得するのに好適な場を提供

インクルーシブ校の基本的原則は、すべての子どもはなんらかの困難さもしくは相違をもっていようと、可能なさいはいつも共に学習すべきであるというものである。

・インクルーシブ校内で、特別な教育的ニーズをもつ子どもたちは、彼らの効果的教育を保障するのに必要とされるあらゆる特別な支援を受けなければならない。インクルーシブ校教育は、特別なニーズをもつ子どもたちと仲間たちとの連帯を築き上げる最も効果的な手段である。特殊学校-もしくは学校内に常設の特殊学級やセクション-に子どもを措置することは、通常の学級内での教育では子どもの教育的ニーズや社会的ニーズに応ずることができない、もしくは、子どもの福祉や他の子どもたちの福祉にとってそれが必要であることが明白に示されているまれなケースだけに勧められる、例外であるべきである。

特別支援教育法令等データベース 総則 / 基本法令等 - サラマンカ声明 -: 独立行政法人 国立特別支援教育総合研究所

次に、ここに挙げたことをまとめてみます。

2.インクルーシブ教育とは

まとめると、以下の要素を「実現している」、又は、「実現を目指していること」が「インクルーシブ教育」の定義と言えそうです。

・万人のための教育の目的を前進するための、インクルージョンの原則である「万人のための学校(すべての人を含み、個人主義を尊重し、学習を支援し、個別のニーズに対応する施設)」を設けること。

・「万人のための学校」をめざし、通常の学校内にすべての子どもたちを受け入れられるようにすること。

・「インクルーシブ志向をもつ通常の学校」いわゆる「インクルーシブ校」は、機会の均等や完全な参加を獲得するのに好適な場を提供すること。
・「インクルーシブ校」の基本原則は、すべての子ども(障害児や英才児、ストリート・チルドレンや労働している子どもたち、人里離れた地域の子どもたちや遊牧民の子どもたち、言語的・民族的・文化的マイノリティーの子どもたち、他の恵まれていないもしくは辺境で生活している子どもたち)はなんらかの困難さもしくは相違をもっていようと、可能な際はいつも共に学習すること。

・特殊学校や特殊学級に子どもを措置することは、まれなケースだけに勧められる、例外であるべきである。

 

そして、これらの言葉から「例外はあるが、原則は通常の学級で学ぶ」ということが読み取れます。「例外があってですよ」という話ではないですね。

 

そして、上に挙げたそれぞれの項目の太字にした所に、国や環境によるそれぞれの定義の解釈の多様さが出るのだと思います。

「通常の学校内」→どの学校を通常の学校と捉えるか

「場を提供する」「すべての子どもは共に学習する」→合理的配慮の範囲

(これについては、また違う場所で書いていきます)

 

3.気をつけたいこと

インクルーシブ教育について考えるうえで気をつけたいことが3つあります。

 

1つ目は、

「『同じ場』であればインクルーシブ教育というわけではない」ということです。

インクルーシブ教育は、インクルーシブな社会を目指すために必要とされるものです。

同じ場にいるだけで、社会で活躍できる力が付かなかったら本末転倒なところがあります。

 

2つ目は、1つ目とは反対に、

「だからといって『障害児教育が進めばいい』というわけでもない」ということです。

以下の記述が端的に表しています。

 ・「インクルーシブ教育」から単に障害児に教育を施すことへと焦点が移され、「インクルージョン」という要素は二の次で、障害のある生徒への教育が、分離特殊教育プログラムとして実施され続けている。これらのイニシアティブの中には、それまで排除されていた子どもたちの一部が教育を受けられるようになり、役に立ったものもあったが、サラマンカ宣言の構想とは必要以上に食い違っており、場合によってはそれをひどく損なうものであった。

引用:「すべての人によりよい教育を―わたしたちも一緒にーグローバルレポート」第2章 インクルーシブ教育:それは何を意味するのか?DINF障害者保健福祉研究情報システムより

 

3つ目は、

「私たちが、インクルーシブ教育の時代の真っただ中にいる」ということです。

社会の在り方が、その時代によって移り変わるように、今、移り変わりの真っ最中です。

 

「インクルーシブ教育」や「共生社会」についての定義や概念、理念については、何年も目まぐるしく議論されています。

現在は一定の落ち着きを見ていて、ミクロの視点へ移り、実践や検討が成されていますが、我々も当事者の一人だということを忘れてはいけませんよね。

 

すべての人々が幸せに過ごせるように、一つの方向へ向かっていけたらと思っています。

 

つづき

inclusive.hatenablog.jp

inclusive.hatenablog.jp

 

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