「目的」と「目標」の違いを意識しはじめた「ハピペン」です。
「目的を見失うな!!」って大事ですね。「何のために?」を考えたときに、「目標」を「目的」と錯覚して、自分が行方不明になることってあると思うのです。気を付けなければ。
引き続き、通勤の行きに読んでいる本『アドラー博士が教える「話を聞ける子」が育つ魔法のひと言』から。(今回を入れてあと2回)
第3章:子どもの素直な心をひらく「親子関係」のつくり方
昨日、読んだところ
- こんな手助けで、親子関係は変わりだす
- 何を聞いても「べつに」「わかんない」しか言わない子の本音
- 子どもとの距離が縮まる小さなきっかけ
- 親子の絆が深まる上手な疑問の答え方
- 一方的に言いつのる子への話し方
こんな手助けで、親子関係は変わりだす
「横の関係」のつくり方についての話。
子どもと「横の関係」を築くには、親が何でも先回りせず、子どものことを全部やってあげようとしないこと。
何かしてあげたければ、どうしてほしいか聞いて、子ども自身に考えさせること。
P141
これは「自己指導能力」の育成という生徒指導の意義につながると考えられます。
生徒指導は、一人一人の児童生徒の個性の伸長を図りながら、同時に社会的な資質や能 力・態度を育成し、さらに将来において社会的に自己実現ができるような資質・態度を形 成していくための指導・援助であり、個々の児童生徒の自己指導能力の育成を目指すものです。
そのために、日々の教育活動においては、
①児童生徒に自己存在感を与えること、
②共感的な人間関係を育成すること、
③自己決定の場を与え自己の可能性の開発を援助すること
の3点に特に留意することが求められています。http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/04/__icsFiles/afieldfile/2010/06/04/1292248_02_1.pdf
(文科省:「生徒指導提要」より)
「横の関係」を築くキーワードは、「同意・合意」ではないか、と思っています。
「こうあるべき」というのは、子どもがやらされるべきことではなくて、子ども自身が「そうだな」って思えたり「やってよかったな」って思えたりする必要があると思うのです。
「同意・合意」がどうなされるか、と言えば、やはり「対話」です。相手が子どもだから「そういうもんだから」ってことでねじ伏せることもできると思いますが、それで「力が身に付くか」が問題点になってくると思います。
「行為」としてできる他律のレベルから、自律のレベルに向かうにあたって、やはり「対話」が必要になるでしょう。「行為としてできる」ということが確認できたのならば、自律を目指してどう促すかを考えなければ、大人は子どもの成長にコミットしていないのではないでしょうか。
そして、もう一点気をつけなければならないことがあります。
それは、子どもが選択して、失敗したときの「言葉掛け」です。
つい、自分の正しさや承認が先行すると、「ほら、見ろ。だから言っただろ」というような、上からの目線でかかわってしまうことってあると思うのです。
ただ、昨今の社会に求められる力は「その失敗をどう捉えて、次にどうするか」です。
一回目から正解を見いだして、失敗しない力ではありません。
その失敗をしたときに、もう一度立ち上がる、意欲だったり、自尊感情だったり、立ち直り力だったりが大切です。その先に失敗の分析、どの行動を変えるかといった、さらなる解決のための具体も必要になります。
「だから、大人の言うことを聞いておけばいいんだ。言う通りにしろ。」は、教育的では、必要としないメッセージでしょう。
「どうだった? 先生に怒られなかった?」
P144
この質問の言葉が「その子のため」という思いやりをまとって言われるといいなと思います。ゆくゆくのその子のための厳しさだったとしても、それも込みで伝えてほしいです。言わなければ、子どものうちはそのポジティブな過大解釈はできません。そして、大人になってからのあの厳しさのおかげでという論でいくと、もはや教育は法律に反しなければなんでもあり、になってしまいます。(それにそもそも厳しさは言い方の問題でもないとも思いますし。)
何を聞いても「べつに」「わかんない」しか言わない子の本音
これに対しては、単純に
①質問に答えたくない
②質問が分かりにくい(ため、答えにくい)
という理由が考えられます。
①の場合は、無理にこじ開けようとするほど、子どもは遠ざかっていくでしょう。
②の場合は、聞き方を具体にするなどして、答えてくれる可能性を高められるかもしれません。
子どもとの距離が縮まる小さなきっかけ
人の話に耳を傾けようという気持ちになるときは、まず、その対象に対する興味を持つことが不可欠です。
興味が持てないときは、相手の言うことは単なる音と化して、脳にまで届くことがないのです。
P148
ここでは、子どもとの距離を縮めるために、子どもの興味に関心を寄せるといったことが書かれています。
子どもがゲームばかりしてしまうとき、取り上げるという「縦の関係」ではなく、そのゲームに関心をもち話題にし「横の関係」にシフトしていくということです。「対話」をはじめるための作戦です。
前に偉い先生がいました。その先生は。授業中に一切学習をしない子を受け持ったときに、とことんその子の興味に寄り添おうとしました。
その子の話にノリを合わせて聞きました。その先生もドキドキだったと思います。関係をつくるためとはいえ、大切な授業時間です。
そして、45分中40分経過したとき、「この問題だけやっちゃわない?」と言ったのです。そしたら、その子はなんて言ったと思いますか?
すごいですよ。「ああ、そうパターンね」って言ったそうです。子どもに一杯食わされてしまった。
ここが、目に見えない、その子に寄り添うっていう部分です。その子のためを思って、勉強が促されていたか、が大切なのです。
「その子のために勉強をさせたい」としたら、話す前に「自分は君が生きやすくなるためにも勉強をした方がいいと思っている。ただ、45分って辛いし、つまらないと思いながらやってもよくないから、今日は終わり5分だけ頑張ってほしいって思っている。それまで、私も興味があるし、少しでも仲良くしたいから好きなゲームの話聞かせてくれない?」みたいな感じに同意を得られたかもしれないのです。
この、興味に寄り添って、アプローチするというのは、大人側の姿勢によって、たとえば、「させたい」だけが先行してしまうと、見透かされて反対に距離ができてしまうこともある手法だなあ、と感じます。
そして、
子どもが興味を持っていることを知るためには、ふだんから子どもの行動をよく観察する必要があることは言うまでもありません。
P150
どんな姿に対しても、よく観察して、その見立てさえ大きくはずれすぎなければ、子どもに寄り添った指導ができると思います。
親子の絆が深まる上手な疑問の答え方
ここでは、
①疑問を蔑ろにして邪見に扱わない
②分からないものは、分からないでいい。
「考えてみるね」とか「分かったら教えてね」とか「一緒に調べてみよっか」とかでよいってことです。
自分への驕りや役割を捨てることで、これは防げると思います。
生きているなかで他人が抱く疑問なんて、基本的に分からないことだらけです。答えられなくていいんです。その前提を大切にすることが、結局子どもを大切にするってことを忘れちゃいけません。
こうした姿勢が「わからないことは子どもに聞く」姿勢につながると思います。
それに、何度も言いますが、これからは、答えがすぐ手に入って満足することより、答えを手に入れるためにどんなアクションを取れるかの力の方が大切です。
自分の体裁なんていいんです。「子どものためになること」を視点としてもっていれば、ブレることも少ないでしょう。
一方的に言いつのる子への話し方
これには
①沈黙によって、子ども自身に子どもなりの最適解を考えさせる。
②大人はその場から離れて、言いたいことを整理してからもう一度話して。
などの応じ方があると書かれています。
これも、つい忘れがちな視点ですね。大人は即解決こそ正義だと思っている節があります。何日かかけたっていいのです。懸念はこじれないかどうかだけです。
それも、まあ周囲の大人によりますが「こういう力を育てたいので、子ども同士で考えを伝えあいながら解決できるようにさせてもらってもいいですか?」と伝えていけば、気長に見守れる可能性も出てきます。
問題は、特にやり取りもなく、次の日には解決しているパターンです。変な話「ちゃんと最後までケンカしなさい!」って言いたくなることもしばしばありますね。
大事なことは、現状を打破するにはどうすればいいのかを、いっしょに考えることなのではないでしょうか。こちらの提案を聞いていただくために、私は席を外して、相手が冷静になるのを待つのです。
P158
その場の共感で終わりにするでなく、共に考えるために、席を外して冷静にさせる。スイッチを入れ直させる。
ちょっとマインドフルネスにも似た感じがします。目の前のことに集中し直させることって大切ですね。
なんとなくスッキリした、で終わるのではなく「じゃあ、これからどんなアクションするの?」という対話ができなければ、解決した感じがする喜びは、感じでしかなくてその場限りのものになってしまいます。
その子に力を付けるためには?と考えると、少しでも自分で考えさせること、選ばせることが大切なのだな、としみじみ思います。