かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

「経験学習」に必要なもう一つの軸は「人」

経験学習について前回書きました。

inclusive.hatenablog.jp

 読んでいる本はこちら『フィードバック入門 耳の痛いことを伝えて部下と職場を立て直す技術 (PHPビジネス新書)

この続きで、前回は経験に関する「軸」、「経験軸」について書きました。

今回は、もう一つの「軸」、「ピープル軸」、「人」です。

「ピープル軸」

ピープル軸とは、

「人が業務の中で成長するのは、職場の人たちから、さまざまな関わりを得られたときである」という考え方です。
P84 

 大切なのは、「人と人との関りの『量』や『質』」だそうです。

量や質が良いほど、人は、さまざまな気づきを得て成長するきっかけをもつそうです。

「きっかけとなる気づきを得る」という視点は最近とても大切だと思っています。

では、どんなかかわりがあるといいのか。

三つの他者からの支援

  1. 「業務支援」
  2. 「内省支援」
  3. 「精神支援」

「業務支援」とは

相手が持っていない専門知識やスキル、情報などを教えることや助言することです。
P85

 「内省支援」とは

客観的な意見を通知したり、俯瞰的な視点や新たな視点を提供して、本人の気づきを促す支援のあり方です。
(中略)
自分の行動や認知のあり方を振り返ることです。
P85,86 

「精神支援」とは

励ましたり、褒めたりすることで、部下の自己効力感や自尊心を高めることです。
P86

 まとめ

「経験軸」と「ピープル軸」のバランスが大切である。

経験がなくて、人のかかわりが多くても良質でも、育ちを感じる状況がない。

反対に、経験ばかりで、人のかかわりがなかったら、潰れてしまう。

そして「情報通知」のところが肝心だなと思った。

「情報通知」はすべてのスタートになる。

できれば、相手がどんな文脈で生きているのか分かると良い。その人が、そこでそうしている目的意識のようなものだ。その目的とこちらの目的がどう合っていくかが、情報通知の中では重要だと思う。組織であれば、そこに組織の目的という双方の間を取り持つ目的もあるわけだけど。個人対個人だとないかもしれない。学校はその辺りはあやふやだと思う。

目的を共有できることは重要で前提に近い。

その前提のあとで、「情報通知」によって「正対」するというようなことを起こす必要がある。

客観的に伝え、彼らが現実と向き合うための支援を行います。

(中略)

外部からの情報通知によって、自分の行動に乗り越えるべきギャップが存在することを認識し、自分の行動や結果にしっかりと「向き合うこと」です。
P90

「なりたい自分」などの目的の共有と「客観的な情報通知」がフィードバックできたら、そりゃ確かに人は育つよなって思う。

 

「経験学習」のための「適切な業務経験」とは?

お菓子を食べてしまって翌朝ショックな「ハピペン」です。

 

一昨日からは通勤の行きに『フィードバック入門 耳の痛いことを伝えて部下と職場を立て直す技術 (PHPビジネス新書)』を読んでいます。

めちゃ面白いです。

「ポジティブフィードバック」を頑張りたいと言ったものの。「フィードバック」についてよく知っているのか?と考えると、よく知らないと思ったため読むことにしました。

中原淳さんのホームページは、リフレクションについて調べているときに何度も見ていて、そこで知った本です。レゴ®シリアスプレイ®について良さを感じたのも、コルトハーヘンさんの教師教育学に燃えたのも、中原淳さんのホームページの情報からでした。

www.nakahara-lab.net

 

今日まで読んだ中で、ご紹介したいのは「部下育成に適切な業務経験とは」です。

担任が経営者、子どもが部下、学びが業務と捉えると、この本に書かれていることを基に「子どもに寄り添って子どもを捉え、学びの質を高められる」と考えました。

業務経験の三段階

「経験学習」に勝る教育はない。と書かれていました。その「経験」の適切さを説明するものとして、業務経験の三段階が示されています。

  1. コンフォートゾーン(快適空間)
  2. ストレッチゾーン(挑戦空間)
  3. パニックゾーン

です。それぞれ説明します。

コンフォートゾーン

コンフォートゾーンは、さほどストレスを感じず、やり慣れているルーチンや、プレッシャーのない事務仕事など未知のチャレンジをする必要がない仕事を行っている状態。恐怖やストレスを感じない仕事がコンフォートゾーンの仕事です。

6年生が1年生のひらがなの学習を「簡単でいいなー」と言っているときなどは、コンフォートゾーンで学びたいってことなのだろうな、と思います。

ストレッチゾーン

ストレッチゾーンは、能力を高めるのに必要なストレッチ経験(背伸び経験)ができるゾーンです。経験学習の効果を高めるには、「ちょっと無理をすれば何とかこなせる業務」、現在の能力でできる業務のレベルよりも、すこし高めの業務を任せていくことが重要とあります。

目標を掲げるときに適切なのは「120%の力でできる目標」といった表現がされると思います。子どもの見取り次第ですが、子どもたちが少しがんばればできる目標を提示し続けられたら子どもがめちゃ伸びそう。

パニックゾーン

失敗するリスクが高く、強い不安やプレッシャーを感じるような仕事を与えられた心理状態。

 

支援が必要な子はパニックゾーンに入りやすい

パニックゾーンに入ってしまう例として

「今まで経験したことがなく、どうすれば完成にこぎつけるのかがまるで見えない」
「自分の能力よりもはるか上をいっている」
「納期が短すぎて期日までに終わる見通しがまったくつかない」
「必要なスタッフの質も量も全然足りていない」
といった仕事を与えられたときに 、こんな心理状態に陥ります。
P81

と書かれています。

教師が子どものつまずきを捉えて、何か手立てをうつときに、たとえば、この4つのどれかにコミットする必要があるのだと思います。これが検討違いだと子どもはパニックゾーンから脱せないわけです。

 

こちらから資源が複数渡されないといことから、パニックになることもあります。

「もう言ったでしょ!ちゃんと聞いてなさい!なんで分からないの!」といった感じに。

それは未知の経験で、一度では足りなかったんじゃないか?と考えてあげてもよいかもしれません。

 

先の4つを支援風に言い直すと、

① 「今まで経験したことがなく、どうすれば完成にこぎつけるのかがまるで見えない」

【見通しが立たない】

②「自分の能力よりもはるか上をいっている」

【スキルが足りない】

③「納期が短すぎて期日までに終わる見通しがまったくつかない」

【時間が足りない】

④「必要なスタッフの質も量も全然足りていない」

【助けてくれる人がいない、助けを呼べない】

授業においていつもこの4つがなかったら、パニックになる子どもは増えそうです。特に、④が深刻かもしれません。そういう学級風土や教師の性質があるのかもしれません。授業に子どもたちが乗り切れていないとき、この4つでチェックしてみると、つまずきが見えるかもしれないと思いました。

「ねらい」に適うように、いつも授業をイメージしてあげられたらいいのですが……簡単ではないですなあ。

手順は可視化して!「聴く力」を育てるからって見えない化されすぎじゃない?

気づいたら一日置きに、五目あんかけ焼きそばを食べていた「ハピペン」です。なんでか、つい頼んでしまっていた。

 

さて、今日は大きく二つ。

  1. 「手順を可視化して!」
  2. 「聴く力」ってそんなあたり構わずねらっていくものなの?

です。

「手順を可視化して!」

手順があるものは(図工、理科、家庭科、生活科など)「何をやればいいのか」を簡単でいいので板書してほしいです。
①考える
②書く(場所、もの、何、誰)

とかだけでもいいので、負担のない範囲でいいので、書いてほしい。
なぜかというと、たとえば、説明の最中にそれぞれが思ったことを言ってしまっていてうるさい。まあどうしても、子どもらしさとしてこういうときってあると思います。イメージを発散したり、全体と共有したりってことで(だったら、ペアとか前後4人で発散してーって思いますが)。
ただ、そのうるささを紛らわすために、そのときにすべき「聴く・大声でなんか言う」から離脱している子が25人中5人くらいいました。
イスの上にしゃがむ。ふでばこを開け閉めする。ふでばこを飛行機のように空中で飛ばす。
また、カーストの低い子だけうるさいって注意される。そして、その声もまた大きい。それに合わせて大きくなる先生の声。
その中で耳を手で叩いて感覚を楽しんでいる支援の子。
その後に、「いいですか?」「はい!」「質問コーナー」5、6個。「では、どうぞ」「先生、何を書けばいいんですか?」「さっき言いましたよね、ちゃんと聞いてましたか?お返事しましたよね」ってなると、えぐいなあ、と。

「聴く力」ってそんなあたり構わずねらっていくものなの?

それでもなぜ書かないか?に、「聴く力」を鍛えているというのがあるかもしれません。
確かに、数人優秀なエージェントがいるのかもいしれない。聴けている子がいるのだから、聴けていない子が悪い、と。

ただ、「聴く力」に発達段階はないのか?
環境は適切か?
そっか!聴きにくい中で聴き取る力を養っている?
そうだとして、本当にそういう段階?って感じです。
もし、情報が多いな、聴ききれない子もいるな、と感じるなら、周りに聞いていいという風土をつくってほしい。

それで、うるさくなるのが嫌?だとしたら、小さい声で話す練習をさせて、それからありにしてほしい。

ホントいろいろ譲って好きに説明していいので、その間子どもたちもうるさくていいので、その説明が終わったあとでもいいので、
ワーキングメモリーが弱い子、声が二つ以上あると声を選んで聞けない子のために、手順を板書してください(できれば、その瞬間第三者が入って来ても何をやっているのか分かるようにしてほしい……)。

私は、子どもが何をするか分からないのは「聴く力」がないからで済ませてはいけないように思います。

そもそも下手をすれば「聴けるか、聴けないか」の判断を教師がメタできていない可能性もある。

聴ける環境だったか。
発達段階に合っている量か。
聴いて出来なければならない内容か。
目的は「聴いてやる」なのか。を考えてほしい。

「聴く力」は習慣的なものではあるだろうけれども、あたり構わず「聴く力」をつけるのではなくて、場合によってねらって。あと、アセスメントしつつ、聴いてできる経験を積ませて、子どもに挑戦す気持ちや意欲をもたせて練習させていってほしい。

それが、ややこしかったら、いいから「やることの手順を書いてくれ」って思う。

聴くことの素晴らしさを感じさせられる教師を目指して……。

第4章:こんな「聞く習慣」で、子どもはどんどん学ぶ

[contents;]

ページ数は少ないのだけれど、項目が多かった……。

でも、はっきり言って自分のためだけど、抜粋整理をしよう。

親が子どもの話をちゃんと聞けば、子どもも聞くようになる

この章のはじまりに

親にじゅうぶん聞いてもらった子は、人に話を聞いてもらう快さを感じ、自分も聞くことができるようになります。
P160

私は、人を資源と捉えて、意図的計画的に、子どもたちに話をしてもらうことを大切にしたいな、と思いました。

子どもの話なんて思わないで、話す時間をつくって、話させる。そして聞く。

そうしなければ、反対に聞く子も育たないのだ、と考えた。

聞くことを示すための肝は「返答」です。

そのコツとして、
「その子の言葉で整理して理解しようとすること」
「返答にどんな意思表示を込めるか」

が大切だと思いました。

言葉の文字列が重要なのではなく、そこに乗せるもの(子どもを思う気持ち)が大切だな、と思うのです。

大人は、子どもが話せば話し手のせい。聞けば聞き手のせいにして、会話についての未熟さを指摘することがありますが、まず大人が率先垂範して、子どもが聞いてもらう「快」を味わって、聞き手に回れるようになるといいな、と考えました。

また、聴いてくれた喜びを大人の側がその都度言葉化することも大切でしょう。

「あとでね」と言ったら、必ずあとで聞くこと

その「あとでね」が永遠に「あとで」にならないように(笑)

会話の中で「何がわかったか」を確認する

様々なシーンで子どもがどの程度まで理解したかをチェックするようにする。

何かを人に伝えようとするとき、相手がこちらの言うことをすべて、そのとおりに受け止めてくれることはほとんどありません。会話というのは、しょっちゅうズレながら進んでいくものなのです。
P171

「わかったって、どういう風にわかってくれたのかなあ」
P172

などという風に返す。最後に期待をのせた一言を添えてもよい。

読み聞かせを通して、聞く練習ができる

お母さんの肉声に勝るものはない。

テレビなどは一方的に入って来る音声を聞いてるだけの状態になることが多いため、知的活動はほとんどなされていない。双方向の働きかけが可能になる。

読みニケーションの大切さ。

要約力を高める「聞き取りゲーム」のすすめ

コグトレにもそういったワークがあった。

ゲーム化して聞くを楽しむって、習慣化しやすくて、力を身に付けさせやすいのかもなあ。

1日5分!  教室で使えるコグトレ 困っている子どもを支援する認知トレーニング122

1日5分! 教室で使えるコグトレ 困っている子どもを支援する認知トレーニング122

 

 テレビより家族の会話の時間を増やす

テレビで情報を得る中で

現実を想像できる力がないと、そこに流れている映像に現実感を持つことができない
P181

社会問題を自分事にするのって簡単ではないことだと思う。一番には体験が重要だろう。それを教室にいてイメージで捉えて自分事にするのって可能なのかもわからない。

対面した会話から、現実感が感じられるやり取りができたらいいのですが。

いろいろな人と話すチャンスをつくる

そのためには、無条件に敵ではない大人にどう出会うか、が鍵だ。

礼儀さえあればいけるのかもしれなが、どうやって多様な人々と話すチャンスを子どもが作れるのかは大きな課題だと思う。

ケータイ・コミュニケーションの落とし穴

メールは文字だけしか伝えられないため、面と向かった対話より、当然に言葉の解釈がズレる可能性が高い。

バーチャル世界と聞く習慣との重大関

バーチャル世界にのめり込みすぎると、現実世界と優先順位が逆転してしまって、どちらが本来的な自分なのか分からなくなる。

何もやっていないのに、何かを成し遂げたという錯覚を起こす
P191

これは、気を付けたい感覚。使っている脳がそもそも違うのだろうな。まやかしの充実感。

"ひとり"よがりより"みんな"で遊ぶ機会をつくる

肉声でのやりとりを取り戻すこと。

ホンモノの「聞く力」は、生の体験のなかから生れます。
P192

ゲームよりも、誰かとの会話を楽しめる子どもがどれだけいるのかわかりませんが、せめて同じくらい、その時間を大切にしてほしいですよね。

そのためには、ゲームよりも、大人や友達と過ごすのを楽しいって思えないとそうならないですよね。

身体を動かす楽しさ、自然の中で過ごす楽しさ、こういったことを体験から知っていたら、人とのかかわりって増えそうだなって思います。連れ出して、子どもに付き合うってことが大切かもしれません。

友だちみんなが喜んでくれて、いっしょに達成感を味わってくれた。
P193

友だちが竹馬を教えてくれて、味わえたことだそうです。体験を通して人とかかわる喜びを与えてあげたいですね。

言葉より体験を通じて理解させる工夫

ただ漠然と過ごさないことの大切さが書かれています。

買い物を意識的に、お金や社会のルールを教えるチャンスととらえる発想が必要です。
P195

このメタはとても大切だと思います。

意図的、計画的、「何のために」、そうして子どもの現在と未来を思い尽くすことで、自然と関わりは深くなるのかもしれません。

お手伝いによって、お小遣いをあげることも社会性に結び付けられると書かれています。そこで気をつけたいのが、「お手伝い」と「労働」の違いです。

親としては、家族の一員として、家族の役に立ちたいという気持ちでやってもらいたいと思っているのに、何を頼んでも、
「いくらくれる?」
と言われるのは不愉快なものです。
P197

こうなる可能性って高いですよね。実際、それで不快な思いをしていると相談を受けたことがあります。しかもその子の場合は、自分から手伝いをしてお金を請求してくるパターンでした。それはさすがに……と困っていました。

何が「労働」になり得るのか違いを明確にしておき、基準を設けるのは家族が生きやすくなるためにも大事かもしれません。

風呂掃除を頼んだとします。それがお手伝いであるならば、たとえ石けんが残っていても、スポンジが出しっぱなしになっていても、家族の役にたちたいという気持ちを尊重することが大切でしょう。
P197

そのときそのとき大人の機嫌で指摘してしまうのではなく、こうした冷静な基準があることは、子どもにとって温かいのではないか、と思います。

ここにある話のすべての動機が「子どものためを思って」というのが、とても好きです。結局は、そこを出発点にして考えて出て来たものであれば、子どもは人をいいなって思えるような反応につながるのではないでしょうか。

"知識"より"知恵"が授かる環境をつくる

体験から得られる「知恵」が大切
P200

体験をして、こうやればいいかもしれない、ああやってみたらダメだった、という具合に試行錯誤した結果、私たちはさまざまな知恵を身につけるのです。
P201

大人の側は、この体験学習で付けている「知恵」って何なんだろう?と考えるのが重要だと思います。

「あー楽しかった!」で終わりがちだと思うのです。

体験学習で大切にしなければならないのは「振り返り」だと思います。

そこで「何が楽しかった」「どうして楽しかった」「体験してはじめて知ったことは何か」「知っていたけど間違っていたことは何か」「体験する前のイメージと比べてどうだったか」「体験する前と後で気持ちは変わったか」など。

学校では、大きな「めあて」などがありますが、秀逸な振り返りって多くなかったように思います。

私は、それぞれの体験学習が「よい思い出」というイメージをもってはいますが、細かく友だちが何を話していたか、自分がどんな思いだったかまでは思い出しにくいです。さらには、どんな学びがあったか?と聞かれるとさっぱり思い出せません。そこに「学び」があったら、私はもっと細かく情景を覚えていたのかもしれません。

そして、そのためには「メタする力」が育っていないと難しいのかもしれません。

最後に、「体験」の中にある「会話」によって、新しい発見があることで、「聞く力」はさらに伸び、子どもの知恵を育てる、と書かれています。

あとがきにかえて――話を聞くということ

人の話を聞くということは、人と人との関係の基本的なもののひとつです。
相手を理解し、協力関係をつくり上げるには、聞く力が必要なのです。聞く力は相手を受け入れ、関心を持っているということを伝えることでもあります。
P203

ここから、子どもが聞かないの前に「大人は本気で向き合おうとしたか」「本気で話そうとしたか」「本気で自分から聞こうとインタビューしたか」が問われるように思いました。

「協力体制がない」と言ったときに、3つの策がありそうです。

  • 事柄や相手に対して思いを巡らせたか。その上で、自分なりに何ができるかを考えたか。
  • 自分から自己開示する。自分から話す。
  • 純粋にインタビューする。考えを聞かせてもらう。

何かを変えたいなら、当たり前ですが、動くのは「自分から」です。

(「ヤバイ、いつも、子どもに『自分で自分から』って言ってるのになあ」)

その人の良さを引き出すにしても、

  • その人やその人が関わる事柄を考える。
  • 自分から話しかける。
  • その人の話を聞くきっかけを生みだす。丁寧な態度で聞く。

が必要だと思いました。

大切なのは目的を見失わないことです。たとえば、職場であればその目的は「その人を自分が思い描くよい人間にすることが目的ではなく、事柄を一緒によりよくしていくということ」でしょう。

そのための試行錯誤を相手の立場に立ちながら、どう構築していくかについて「聞く力」という話から考えることができました。

大切なのは「その人をリスペクト!

子どもたちに対しては「聞いてくれない」の前に「聞いていたか?」

社会の声もそうだ。「辛い」と言っている人の言葉を、私たちはいつもきちんと受け止めているか。「辛いのですね」と。

聞くことを通してわかることがあるのです。相手はこんな考えをしていたのか、自分とは少し考えが違うな、などということがわかります。聞きながら相手の話を要約してみたり、納得したり、批判的に聞いたりもできます。

(中略)

ちゃんと聞いていないと相手を誤解してしまいます。

P204

 私は「違う」ってことが、人間の醍醐味だと思います。これを楽しむためにも「聞く」ってことが重要になるのだなって思う。

また、相手を誤解しないように、本当に理解するために。「聞く」に努めたい。

他に、

意味をくみとろうとする意志的な努力が必要です。
P204

 とあります。本来的に聞くためには、ただ言葉を受け身で聞くのではなく、そこに含まれている意味。言葉のコードを聞き取る必要があるのだと改めて理解しました。

そして、「聞く力」は、訓練と経験で培われていく。

「聴き上手」が人間関係を豊かにしていくのです。
P205

とある。

私は、自分こそ他者に興味があるのか?不安になった。私は話を聴くのが得意ではないからだ。

まず、自分が、自分が変わらないと、子どもたちは私の姿から学べないだろう。

子どもたちに、聴くことのすばらしさを気づかせられるくらいに、聴くを体現できることを目指したい。

目の前に全力集中!!

 

以上『アドラー博士が教える「話を聞ける子」が育つ魔法のひと言』 を読んだ振り返りでした。

「助詞」を教えるという課題

「 てにをは」って難しいってなってる「ハピペン」です。

調べてみると、やっぱりそうなんだと……はじめて知った。

 

ふと、外国の人が覚える感覚に似ているのかも!と思いついて、いろいろなサイトを見つける。

助詞ってのは、感覚的なものなんだよね。

じゃあ、感覚が鈍い人はどう覚えんのよ!って話で。

 

日本語の教え方【助詞編】
日本語は様々な言葉から成り立っているものですが、その中でも外国人が特に苦戦すると言われているのが助詞です。

助詞の使い方さえマスターすれば、日本語はある程度話せるようになるのですが、助詞は感覚的なものですので、どうしても教える事が難しいものなのです。

日本語の教え方【助詞編】 | 日本語教師の資格とはより

 

こんなことも書いてある。

 

実際の所、助詞を教えるのはとても難しいです。

漢字や単語よりも何倍も難しいとされているのですが、一方では助詞の使い方をしっかりとマスターすれば会話のレベルが格段に上がるとも言われています。

助詞を理解すれば、後は単語を覚えるだけで会話が成り立つようになるのです。 

日本語の教え方【助詞編】 | 日本語教師の資格とは

 

助詞が適切でない子、外国籍の子など、助詞が使えていない子は会話に困り感があるってことだ(当たり前)。

 

「夜でゲームをしました」

「Bくんはりんごが食べました」

など。

 

ついこちらも「助詞なし」で指示してしまうこともある。

「白衣、着ます」

「鉛筆、出す」

「3の1、行く、先生、言う、貸してください」

など。

 

ロボットかっ!!ってね。

 

こちらとしては、「助詞」っていう分からない情報が減るからか、指示が入りやすくなったように実感している。

しかし、これでは、ますます「助詞の感覚」から遠ざかって身に付かず、教育の機会を失ってしまっている。

こういった子に「ちゃんと聞きなさい!」とか「一回しか言いません」とか、超苦痛だよね。

 

私だったら、そんなこと海外で怖い顔で言われたらもう生きていけない。

 

こういう子たちには、イラストや図がいるかもしれない。

 

 

繰り返し学習に取り組んで"感覚"を身に付けるしかないのだろうか。

 

繰り返しに適したプリント……検索……ポチッ。

 

すごいサイトだっ!!

blog.livedoor.jp

 

これで少しでも助詞が身に付けられるといい。

 

こんな絵本もある。

しろがくろのパンダです。

しろがくろのパンダです。

 

 

助詞が変わるとどうなっちゃう?!って絵本です。

 

「ライオン"は"おりのなかにいます」

この「は」が何になったらすごいことになりそうですか?

 

「ライオン"と"おりのなかにいます」

「ライオン"の"おりのなかにいます」

どっちだろ?

答えは絵本を見てのお楽しみ。

 

大人の方も楽しんで助詞の感覚を育んでいきたいぜ。 

 

この記事を書いていている中で、何度も「女子」と変換で出てきてイラついたぜ。

「"女子"の感覚を身に付ける」とか。うもーーーーー!!ってなりました。

LEGO®で自分のミッションづくり(私……ポジティブフィードバックを大切にするね!!)

洗濯物が雨に濡れてショッキンな「ハピペン」です。いやー反則でしょ。しかもドライ製品をやっとこさ洗った日に限って……。

 

さて、気を取り直せるか、大変心配ですが、書いていきましょう。

 

LSP(レゴ®シリアスプレイ®)体験、2回目!!

『レゴ®シリアスプレイ®を活用したワークショップ』~あなたの航路=キャリア創りの探求~ | ワールド・カフェ・ネット

 

今はひと段落したのですが、ひと月前くらいに、「自分は何者か?」と問い続けて、興味があるものはやってみるか、と申し込んでみました。

 

衝撃度は、前回のSDGsの方がありました(はじめてだったからかな?もしくは、リフレクションとしての効果について学べたからかもしれません。今回は、教育的ってよりは、企業向けという色合いが強かったように感じました)。

 

それでも、いろいろな立場の人と交流できたことには価値を感じました。それぞれに自分を語って、質問を受けたり、メタファを考えたりする。

そこから、自分が担いたい「目的」に向かって、明日から踏み出す一歩を見いだせるか、というとさすがに一日でそこまではさすがに無理だな、と感じました。

しかし、漠然とした、抽象度の高い、自分の軸や芯、シンボルのようなものは見えてきます。

 

LSPの面白いところは、「コンストラクショニズム」という考え方が取り入れられているところです。

コンストラクショニズムとは、

「ものを作る (構築する )ことで 、頭の中に新しい知識を構築することができる 」

戦略を形にする思考術: レゴ(R)シリアスプレイ(R)で組織はよみがえる』より

 という学習理論。

そのため、考えて作品を作るのではなく、考えながら作品をつくる。また、出された問いに対してつくったものから「どんなメタファを後付けるか」が重要になります。

あくまでも、ある問いについて作ったものは、どんな深層心理があって表現されたものなのか、ファシリテーターを通して探ります。

作品をつくる時間は、最大でも8分程度です。

8分で、「自分の人生に対する考え方、価値観」をつくるなんてことが起こります。

とても無理だと感じますが、手を動かしていると、なんかは出てきます。

それが、こんなの。

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赤:過去の自分

緑:障壁

オレンジ:原動力

青:現在地

紫:未来

といった感じです。

これを見ただけでは何が何やらですが、ブロックに勝手な想像・解釈をして意味を持たせることに価値があります。

そこから「そうかも」とか「それは違うかな」とか、自分が意識していない自分に近づいていくのです。

みなさんは、私の過去のブロックからどんなことを想像するでしょう?未来からどんな想像をするでしょう?

質問によって、明らかになっていなかったことが明らかになることもあって、たとえば、 「過去の中の人形はどうして頭が透明なのですか?」とか「過去の中のオケにどうして一つだけ黄色い透明ブロックがあるのですか?」とかをやり取りします。

 

そうして、最終的にブロック10個を使って、「ミッション」をつくります。これも5分くらいで。

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「げっ、何これ?イソギンチャク???」みたいな「いや、花か……???」。

 

黄は「その人の良さ」

黒は「社会などの枠組み」その上で「楽しさを手に入れている人々」というイメージです。それが「根付いたら楽しく生きられる人は増えるのではないか?」と考えました。

枠の中にいて、はみ出してしまって、良さを殺されてしまうのではなく、良さを生かした枠があって、枠を楽しめるというようなイメージ。

白い棒が刺さっているところは、このイメージの「核心」部分。

私は「その人の良さ」に焦点を当てることを大切にしたいと思いました。

 

そうして、浮かんだ「ミッション」がこちら。

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まだ、抽象的だけれど、方向として嫌いではないなあ、と感じました。

 

最後に、過去も未来もまとまった自分。

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過去と未来のつながりをレゴで実現してしまいました。

言葉化できない不思議な「快」がありました。

実現したいこと、実はもう実現できているかもしれないこと。

自分はそこに目を向けていないだけなのかもしれない、と感じました。

もうできるのに、やっていないだけ、というような。

 

とりあえず「これまでの自分に、明日からさらに具体的に何をプラスできるか」を振り返りながら、考えたいと思います。

「一日に大人にポジティブフィードバックを絶対3回は出す」「いいね!を10回使う」「今年度中に子ども一人につき良いところを100個見つけられるようにアンテナをはる」って感じになるかな。

「自己不在感」について

駅に行く途中でたばこ屋の前で思いっきり止まってメモを取ってしまった「ハピペン」です。好き勝手な形而上学。

 

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「洗脳=認識している様々な枠」からの変化

 この本の冒頭。

超図解「デザイン思考」でゼロから1をつくり出す

超図解「デザイン思考」でゼロから1をつくり出す

 

「開発者の視点」ではなく、「生活者の視点」からの問題解決

(中略)

人間重視・生活重視の志向、それこそが、「デザイン思考」なのです!

 「あ、これだ。」と響いた。「自己不在感」の正体に急激に近づく。

 

私は世の中に「生活者の思い」は求められていない風潮(雰囲気)があると感じている。特に、そもそもの学校ってものが「個人の思い」を封殺するきらいがあると思った。

この社会の性格と自分の「脱・抑圧」「脱・排除」思考が共鳴して、自己不在を感じさせるのだった。

子どもたちには健全に自己を満喫させるために「どこからが自由」で、「どこまでが自由」かを示してあげる必要がある。不自由で何もかもが行いづらく、自分の思いや願いを封殺される世の中であり、何かをすれば急に怒鳴られるかもしれないリスクのあるのが社会なのではなく、知っていれば十分に楽しめるのが社会だと知らせたい。

 

自己不在感の歴史

たとえば、私は自分を「DAFLのNさん」に見つけられたという感じがある。

存在としての自分は確かにいたのだけど、他者の言葉で表現される自分がいなかった。

内的な自分しかいないから、社会での「存在感」が認識できなかった。今年の歓送迎会で自己紹介をしたときも、「存在感がない」と自分で言っていた。

訓盲でも少し年上のT先生に「もっと存在感だして」と言われた。そして「自分の幸せも考えなよ」と言われた。この人は、私のことが見えない存在として"見えていた"。つまり、そのときの、私のありのまま、真実の姿が見られたと思えた。

とにかく、「"これまで"」は「"今ここ"」にすべてつながる。メモにもやっぱりヒントはある。

私が、ずっと順を辿って、追っていたもの。

「恋愛への依存」「家族への執着」これらから抱く「自己不在感」は、すべてつながっている。

 

自己不在感の背景にあるもの

「表現」だったり、「会話」だったり、「コード(環境)」だったり、これらがこれまでの自分を形づくってきた(すべて言語活動である)。

そうして「作られた枠組み」すなわち「洗脳」に、私たちは自分の生き様を翻弄されている。

  • 自分自身による洗脳
  • 自分の外の何かによる洗脳

大切なことは「何に洗脳されているか俯瞰すること」だ。

そして「どこに脱・洗脳するのか」。

 

「脱・洗脳」のヒント(凝り固まった価値観から解き放たれるための自分の見つめ方)

ここでの「"どこ"」の目的が重要だ。だからといって困り果ててしまう必要もなくて、「リソース・資源」は、すでに自ずと手に入っていて、自分の人生の文脈の中にある。

「経験は自由且つ偶然に自分が生きる根拠を与えている」(これが、「生きてさえいれば人は誰でも必ず幸せになれる」仕組みの背景だ)。

そこから、生まれる「快」「不快」を頼りに、自分がしたい・できる変革を自分が担っていくということが、役に立つとか、社会的な自己実現とか、ライフワークといったことなのだ。

その流れの中で、他者に触れ、「自分の経験・感情」の

  • 客観化
  • 一般化
  • 情報化・コード化

が起こって「より多くの人にとって意味を為す形」に加工されるってことだ。

「生きている時点で意味はあるし、絶えず生まれ続けているし、絶えず更新されている」その都度ヒントは送られている。常にいつでも。それを「受け取る」ことを選ぶかどうかだ。

人生のマニュアル【「受け取る」というgive】

ポイントは「giveできる」という自らに課されている事実を「受け取る」かどうかだ。

giveできるという事実を「受け取る」。

何も具体的に与えられたと実感せずとも、自分がgiveされていることに気づけば、生きるってことはもう少し明るくなる。

そして、その「意味」に気付けるかどうかは、ある意味「運」だし、この世の同じ仕組みの中を生きている社会とは違った宇宙規模の存在の価値とつながることで、付与・負荷・付加される価値観がある。

そこから、自分の内側が変容するし、外側的な自分も見えてくる。

自分が「集団的無意識化する」と言ってもいいかもしれない。

自分だけの自分でなくなるような、自分が他者にとっての、社会にとっての、この世界にとっての媒介となるような。

一つの有用なデータとして存在するような。

webの一部になるような。

私にアクセスして誰かが変容するような。

意味のある価値のある情報になるような。

そういうモデルとなる、一つのパターンを生きることが、一人ひとりに必ず付与されているこの世界のルールで、最低限度の人生のマニュアルなのかもしれない。

私の人生は社会が求めなくても、地球としては「あり」だというような。

そして、その「表明」のようなものを、他者にも「あり」にしてもらうことで「生き辛さの旅」もとい「生きやすさへの旅」は完結する。Nさんが私の役割を新たに提案してくれるように。

人は無限の宇宙的な要素、一人ひとりの銀河を誰も彼もが毎日当たり前に携えて生きているのだ(そこから生まれる「集団的無意識」のような「ない人格・法人」のようなものもあって、それにコミットするパターンもある。その「ないもの」も「ある誰か」につながっている)。

 

「自分と他者を行き交う経験」をつくること

誰かとつながって自分が「有意義化」されるためには「自分と自分を行き交う経験」「多様な他者に関わる経験」その経験を言葉化して理解するための言語能力が超重要。

その「メタ」が「自分で自分を生かすことにつながる」。

自分が「いなさ」と感じているものって、実際は他者にとっての「いなさ」でしかなく、本当はいつでもその人は「"今、ここ"」にいる。

たとえば、それが、社会にとって「いる」になると仕事になる。

まとめると、自己不在感の解決のヒントは「自分を見つけてもらうこと」にある。

それは「他者の中の"自分"を見つける」ということだ。

 

では、どうして見つけられるか、どうしてその情報が生まれるかは、「自分」を媒介として飛び交う素粒子?ニュートリノのようなものだと考える。

 

「自分」と「6次元」(一気に形而上学に……。)

見えなくなった自分は、他者との間にある見えない時空間に追いやられていて、他者の自分観や自分に関する思考を媒介として、伝播して3次元化される。

その伝播は素粒子やニュートリノ、ダークマター的な見えないところで行き交っていて、人(他者や自分)に還元される。

自分って見つけるというよりは、「見つけられる」(受身)でもあるのかもしれない。

そして、それと「自分の思う自分との一致」が「納得できる自分の在り方」で、その「合う自分」かつ「客観的な自分」、「自分に合った自分を見つけてくれる人」、「見つけてくれるかもしれない人」は重要で、メンターと呼ばれ得る人なのだ。

この「どんな自分をよしとするか」、その都度、タイミング、バイオリズム、文脈、感情なんかで変わるが、ヒントの内側と外側のバランスは、その人それぞれで、心地いいものを選択できるといい。

「内と外のバランス」という部分があるのかもしれないし、「外の質による」というところもあるかもしれない。

 

こうして、言いたいことは、あなたは間違いなく「"そこにいる"」ということなのだ。

それを証明するためには、他者が必要だし、自分をクリティカルに見る必要がある。

自分の偏った価値観やこれまでのサンプリングによる洗脳から自らを解き放ち、「在り方」を言語化できたとき、そして、それが他者からも納得され得るとき、自分は存在できる。

 

そういう仮説を思いついた土曜だった。

 

ときに自分は自分が見えなくなる。自己不在化に陥る。

しかし、どうあがいたって、それは目に見えないだけで、自分が存在しなくなることなんてない。

その見えなくなった自分を見出すには、他者というスポットが必要で、それが洗脳を解くスイッチになるということだ。今の自分はこれまでの慣れた型に則っているだけである。「本当の自分は……」そう思って見出した先に、今もいつでもあなたは正しい形をとどめたままきちんと相変わらず存在している。

それにタッチできたとき、生きている意味・生きる意味に触れた感じがするだろう。

そうすれば、自分の生きたかった自分で、今を生きられる。

「自己決定させる」ことは、放任でも無責任でもなく「関係をつくるためのもの」

「目的」と「目標」の違いを意識しはじめた「ハピペン」です。

「目的を見失うな!!」って大事ですね。「何のために?」を考えたときに、「目標」を「目的」と錯覚して、自分が行方不明になることってあると思うのです。気を付けなければ。

 

引き続き、通勤の行きに読んでいる本『アドラー博士が教える「話を聞ける子」が育つ魔法のひと言』から。(今回を入れてあと2回)

 

第3章:子どもの素直な心をひらく「親子関係」のつくり方

昨日、読んだところ

  1. こんな手助けで、親子関係は変わりだす
  2. 何を聞いても「べつに」「わかんない」しか言わない子の本音
  3. 子どもとの距離が縮まる小さなきっかけ
  4. 親子の絆が深まる上手な疑問の答え方
  5. 一方的に言いつのる子への話し方

こんな手助けで、親子関係は変わりだす

「横の関係」のつくり方についての話。

子どもと「横の関係」を築くには、親が何でも先回りせず、子どものことを全部やってあげようとしないこと。
何かしてあげたければ、どうしてほしいか聞いて、子ども自身に考えさせること。
P141 

これは「自己指導能力」の育成という生徒指導の意義につながると考えられます。

生徒指導は、一人一人の児童生徒の個性の伸長を図りながら、同時に社会的な資質や能 力・態度を育成し、さらに将来において社会的に自己実現ができるような資質・態度を形 成していくための指導・援助であり、個々の児童生徒の自己指導能力の育成を目指すものです。
そのために、日々の教育活動においては、
①児童生徒に自己存在感を与えること、
②共感的な人間関係を育成すること、
③自己決定の場を与え自己の可能性の開発を援助すること
の3点に特に留意することが求められています。

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/04/__icsFiles/afieldfile/2010/06/04/1292248_02_1.pdf
(文科省:「生徒指導提要」より)

「横の関係」を築くキーワードは、「同意・合意」ではないか、と思っています。

「こうあるべき」というのは、子どもがやらされるべきことではなくて、子ども自身が「そうだな」って思えたり「やってよかったな」って思えたりする必要があると思うのです。

「同意・合意」がどうなされるか、と言えば、やはり「対話」です。相手が子どもだから「そういうもんだから」ってことでねじ伏せることもできると思いますが、それで「力が身に付くか」が問題点になってくると思います。

「行為」としてできる他律のレベルから、自律のレベルに向かうにあたって、やはり「対話」が必要になるでしょう。「行為としてできる」ということが確認できたのならば、自律を目指してどう促すかを考えなければ、大人は子どもの成長にコミットしていないのではないでしょうか。

そして、もう一点気をつけなければならないことがあります。

それは、子どもが選択して、失敗したときの「言葉掛け」です。

つい、自分の正しさや承認が先行すると、「ほら、見ろ。だから言っただろ」というような、上からの目線でかかわってしまうことってあると思うのです。

ただ、昨今の社会に求められる力は「その失敗をどう捉えて、次にどうするか」です。

一回目から正解を見いだして、失敗しない力ではありません。

その失敗をしたときに、もう一度立ち上がる、意欲だったり、自尊感情だったり、立ち直り力だったりが大切です。その先に失敗の分析、どの行動を変えるかといった、さらなる解決のための具体も必要になります。

「だから、大人の言うことを聞いておけばいいんだ。言う通りにしろ。」は、教育的では、必要としないメッセージでしょう。

「どうだった? 先生に怒られなかった?」
P144

この質問の言葉が「その子のため」という思いやりをまとって言われるといいなと思います。ゆくゆくのその子のための厳しさだったとしても、それも込みで伝えてほしいです。言わなければ、子どものうちはそのポジティブな過大解釈はできません。そして、大人になってからのあの厳しさのおかげでという論でいくと、もはや教育は法律に反しなければなんでもあり、になってしまいます。(それにそもそも厳しさは言い方の問題でもないとも思いますし。)

何を聞いても「べつに」「わかんない」しか言わない子の本音

これに対しては、単純に

①質問に答えたくない

②質問が分かりにくい(ため、答えにくい)

という理由が考えられます。

①の場合は、無理にこじ開けようとするほど、子どもは遠ざかっていくでしょう。

②の場合は、聞き方を具体にするなどして、答えてくれる可能性を高められるかもしれません。

子どもとの距離が縮まる小さなきっかけ

人の話に耳を傾けようという気持ちになるときは、まず、その対象に対する興味を持つことが不可欠です。

興味が持てないときは、相手の言うことは単なる音と化して、脳にまで届くことがないのです。

P148 

ここでは、子どもとの距離を縮めるために、子どもの興味に関心を寄せるといったことが書かれています。

子どもがゲームばかりしてしまうとき、取り上げるという「縦の関係」ではなく、そのゲームに関心をもち話題にし「横の関係」にシフトしていくということです。「対話」をはじめるための作戦です。

前に偉い先生がいました。その先生は。授業中に一切学習をしない子を受け持ったときに、とことんその子の興味に寄り添おうとしました。

その子の話にノリを合わせて聞きました。その先生もドキドキだったと思います。関係をつくるためとはいえ、大切な授業時間です。

そして、45分中40分経過したとき、「この問題だけやっちゃわない?」と言ったのです。そしたら、その子はなんて言ったと思いますか?

すごいですよ。「ああ、そうパターンね」って言ったそうです。子どもに一杯食わされてしまった。 

ここが、目に見えない、その子に寄り添うっていう部分です。その子のためを思って、勉強が促されていたか、が大切なのです。

「その子のために勉強をさせたい」としたら、話す前に「自分は君が生きやすくなるためにも勉強をした方がいいと思っている。ただ、45分って辛いし、つまらないと思いながらやってもよくないから、今日は終わり5分だけ頑張ってほしいって思っている。それまで、私も興味があるし、少しでも仲良くしたいから好きなゲームの話聞かせてくれない?」みたいな感じに同意を得られたかもしれないのです。

この、興味に寄り添って、アプローチするというのは、大人側の姿勢によって、たとえば、「させたい」だけが先行してしまうと、見透かされて反対に距離ができてしまうこともある手法だなあ、と感じます。

そして、

子どもが興味を持っていることを知るためには、ふだんから子どもの行動をよく観察する必要があることは言うまでもありません。
P150

どんな姿に対しても、よく観察して、その見立てさえ大きくはずれすぎなければ、子どもに寄り添った指導ができると思います。

親子の絆が深まる上手な疑問の答え方

ここでは、

①疑問を蔑ろにして邪見に扱わない

②分からないものは、分からないでいい。
「考えてみるね」とか「分かったら教えてね」とか「一緒に調べてみよっか」とかでよいってことです。

自分への驕りや役割を捨てることで、これは防げると思います。

生きているなかで他人が抱く疑問なんて、基本的に分からないことだらけです。答えられなくていいんです。その前提を大切にすることが、結局子どもを大切にするってことを忘れちゃいけません。

こうした姿勢が「わからないことは子どもに聞く」姿勢につながると思います。

それに、何度も言いますが、これからは、答えがすぐ手に入って満足することより、答えを手に入れるためにどんなアクションを取れるかの力の方が大切です。

自分の体裁なんていいんです。「子どものためになること」を視点としてもっていれば、ブレることも少ないでしょう。

一方的に言いつのる子への話し方

これには

①沈黙によって、子ども自身に子どもなりの最適解を考えさせる。

②大人はその場から離れて、言いたいことを整理してからもう一度話して。

などの応じ方があると書かれています。

これも、つい忘れがちな視点ですね。大人は即解決こそ正義だと思っている節があります。何日かかけたっていいのです。懸念はこじれないかどうかだけです。

それも、まあ周囲の大人によりますが「こういう力を育てたいので、子ども同士で考えを伝えあいながら解決できるようにさせてもらってもいいですか?」と伝えていけば、気長に見守れる可能性も出てきます。

問題は、特にやり取りもなく、次の日には解決しているパターンです。変な話「ちゃんと最後までケンカしなさい!」って言いたくなることもしばしばありますね。

大事なことは、現状を打破するにはどうすればいいのかを、いっしょに考えることなのではないでしょうか。こちらの提案を聞いていただくために、私は席を外して、相手が冷静になるのを待つのです。
P158

その場の共感で終わりにするでなく、共に考えるために、席を外して冷静にさせる。スイッチを入れ直させる。

ちょっとマインドフルネスにも似た感じがします。目の前のことに集中し直させることって大切ですね。

なんとなくスッキリした、で終わるのではなく「じゃあ、これからどんなアクションするの?」という対話ができなければ、解決した感じがする喜びは、感じでしかなくてその場限りのものになってしまいます。

その子に力を付けるためには?と考えると、少しでも自分で考えさせること、選ばせることが大切なのだな、としみじみ思います。