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インクルーシブ教育とは#6(「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」)

(2017.2.25に加筆修正)

平成24年7月23日「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」について。

時系列的には「改正障害者基本法」の後です。

(1)3つのポイント

大切になってくるキーワードは、

「同じ場」「共に学ぶこと」「合理的配慮」「基礎的環境整備」「就学先決定の仕組み」「教育支援委員会」「多様な学びの場」「教職員の専門性の確保」「合意形成」などです。

キーワードのそれぞれについては、それぞれ見てみてほしいです。ここでは、(報告)で大切にしたい3つのポイントを示します。

さまざまな言葉の定義

言葉の定義のまとめのようになっていて、確かめることができます。

共生社会とは
・インクルーシブ教育システムとは
・合理的配慮とは
・就学先決定について

共に学ぶことへの期待(これからの展望)

短期・中長期の展望

今後の進め方については、施策を短期(「障害者の権利に関する条約」批准まで)と中長期(同条約批准後の10年間程度)に整理した上で、段階的に実施していく必要がある。

 短期:就学相談・就学先決定の在り方に係る制度改革の実施、教職員の研修等の充実、当面必要な環境整備の実施。
「合理的配慮」の充実のための取組。それらに必要な財源を確保して順次実施。

 中長期:短期の施策の進捗状況を踏まえ、追加的な環境整備や教職員の専門性向上のための方策を検討していく。最終的には、条約の理念が目指す共生社会の形成に向けてインクルーシブ教育システムを構築していくことを目指す

共に学ぶことについて

「共に学ぶこと」と「同じ場」をキーワードに抜粋。

共生社会の形成に向けて

インクルーシブ教育システムにおいては、同じ場で共に学ぶことを追求するとともに、個別の教育的ニーズのある幼児児童生徒に対して、自立と社会参加を見据えて、その時点で教育的ニーズに最も的確に応える指導を提供できる、多様で柔軟な仕組みを整備することが重要である。小・中学校における通常の学級、通級による指導、特別支援学級、特別支援学校といった、連続性のある「多様な学びの場」を用意しておくことが必要である。(参考資料4:日本の義務教育段階の多様な学びの場の連続性)
(※『〇2「インクルーシブ教育システム」の定義』にも同記述)

 

基本的な方向性としては、障害のある子どもと障害のない子どもが、できるだけ同じ場で共に学ぶことを目指すべきである。
その場合には、それぞれの子どもが、授業内容が分かり学習活動に参加している実感・達成感を持ちながら、充実した時間を過ごしつつ、生きる力を身に付けていけるかどうか、これが最も本質的な視点であり、そのための環境整備が必要である。

(※『〇4共に学ぶことについて』にも同記述)

 

1.共生社会の形成に向けて

(2)インクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進

○4 共に学ぶことについて

共に学ぶことを進めることにより、生命尊重、思いやりや協力の態度などを育む道徳教育の充実が図られるとともに、同じ社会に生きる人間として、互いに正しく理解し、共に助け合い、支え合って生きていくことの大切さを学ぶなど、個人の価値を尊重する態度や自他の敬愛と協力を重んずる態度を養うことが期待できる

障害のある子どもにとっても、障害のない子どもにとっても、障害に対する適切な知識を得る機会を提供するとともに、バランスのとれた自己理解達成感の積み重ねから得られる自己肯定感自己の感情等の管理する方法を身に付けつつ他者理解を深めていくことが適当であり、子どもの多様性を踏まえた学級づくりや学校づくりが望まれる

○個々の子どもの障害の状態や教育的ニーズ、学校や地域の実情等を十分に考慮することなく、すべての子どもに対して同じ場での教育を行おうとすることは、同じ場で学ぶという意味では平等であるが、実際に学習活動に参加できていなければ、子どもには、健全な発達や適切な教育のための機会を平等に与えることにはならず、そのことが、将来、その子どもが社会参加することを難しくする可能性がある
財源負担も含めた国民的合意を図りながら、大きな枠組みを改善する中で、「共に育ち、共に学ぶ」体制を求めていくべきである。(参考資料11:OECD各国との初等中等教育段階における一学級当たり児童生徒数及び公財政支出の比較)

障害のある子どもが、多様な子どもの中で共に学び、社会で生きる力を身に付けることと同時に、同じ障害のある子ども同士が共に学ぶことにより、それぞれの障害固有のコミュニケーション能力を高めるなどして、相互理解を深めていくことも重要である。学校教育の場でも学校教育以外の場でも、それらの機会を提供していくことが重要である。

 

2.就学相談・就学先決定の在り方について

(2)就学先決定の仕組み

○1就学先の決定等の仕組みの改善

○就学時に決定した「学びの場」は、固定したものではなく、それぞれの児童生徒の発達の程度、適応の状況等を勘案しながら、柔軟に転学ができることを、すべての関係者の共通理解とすることが重要である。そのためには、教育相談や個別の教育支援計画に基づく関係者による会議などを定期的に行い、必要に応じて個別の教育支援計画及び就学先を変更できるようにしていくことが適当である。この場合、特別支援学校は都道府県教育委員会に設置義務があり、小・中学校は市町村教育委員会に設置義務があることから、密接に連携を図りつつ、同じ場で共に学ぶことを追求するという姿勢で対応することが重要である。その際、必要に応じ、「教育支援委員会」(仮称)の助言を得ることも考えられる。

 

4.多様な学びの場の整備と学校間連携等の推進

(4)関係機関等との連携

 ○各地域において、同じ場で共に学ぶことを具体的に実現していくためには基礎自治体の取組が大きく影響する。その際、教育委員会だけではなく、財政、福祉等の観点から首長部局との連携も重要である。例えば、特別支援教育コーディネーター、福祉事務所、民生委員・児童委員が連絡会を年に数回必ず開催するといった連携も考えられる。その際に、既存の特別支援連携協議会、地域自立支援協議会等の活用が考えられる。

とにかく合意形成

<就学先決定>も<合理的配慮>も「合意形成」が重要です。

(その辺りについては、こちらの記事をご覧ください。なお、脱線もあるため、ここを見終わったあとにどうぞ)

inclusive.hatenablog.jp

(2)内容

 いわゆる当面の文部科学省が「共生社会を目指す上での指針の<まとめ>」です。

これを読み、分からないところは、立ち帰っていくということが分かりやすいと思います。

(決まっていく過程を体感したくて、時系列で第1回から第19回まで見てみましたが、時間がもったいない笑)

 「目次」を見て気になるところを見てみるのがいいと思います。

「目次」

はじめに

1.共生社会の形成に向けて

(1)共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システムの構築

(2)インクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進

(3)共生社会の形成に向けた今後の進め方

2.就学相談・就学先決定の在り方について

(1)早期からの教育相談・支援

(2)就学先決定の仕組み

(3)一貫した支援の仕組み

(4)就学相談・就学先決定に係る国・都道府県教育委員会の役割

3.障害のある子どもが十分に教育を受けられるための合理的配慮及びその基礎となる環境整備

(1)「合理的配慮」について

(2)「基礎的環境整備」について

(3)学校における「合理的配慮」の観点

(4)「合理的配慮」の充実

4.多様な学びの場の整備と学校間連携等の推進

(1)多様な学びの場の整備と教職員の確保

(2)学校間連携の推進

(3)交流及び共同学習の推進

(4)関係機関等の連携

5.特別支援教育を充実させるための教職員の専門性向上等

(1)教職員の専門性の確保

(2)各教職員の専門性、養成・研修制度等の在り方

(3)教職員への障害のある者の採用・人事配置

共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告):文部科学省より 

 (3)出されるまでの経緯

出されるまでの経緯について。

 

平成22年12月14日「特別支援教育の在り方に関する特別委員会(以下 特別委員会) 論点整理(以下 論点整理)」が出されました。

inclusive.hatenablog.jp 

その後も審議は続きました。たーんと時系列を書きます。

・平成22年12月17日「障がい者制度改革推進会議」において「障害者制度改革のための第二次意見(以下 第二次意見)」が取りまとめられる。

平成23年5月「合理的配慮等環境整備ワーキンググループ(以下 ワーキンググループ)」を設置。

平成23年8月5日「論点整理」と「第二次意見」をふまえて「障害者基本法」が改正される。教育については、第16条において、以下のように改正されました。

(教育) 第十六条

 国及び地方公共団体は、障害者が、その年齢及び能力に応じ、かつ、その特性を踏まえた十分な教育が受けられるようにするため、可能な限り障害者である児童及び生徒が障害者でない児童及び生徒と共に教育を受けられるよう配慮しつつ、教育の内容及び方法の改善及び充実を図る等必要な施策を講じなければならない。

2 国及び地方公共団体は、前項の目的を達成するため、障害者である児童及び生徒並びにその保護者に対し十分な情報の提供を行うとともに、可能な限りその意向を尊重しなければならない。

3 国及び地方公共団体は、障害者である児童及び生徒と障害者でない児童及び生徒との交流及び共同学習を積極的に進めることによつて、その相互理解を促進しなければならない。

4 国及び地方公共団体は、障害者の教育に関し、調査及び研究並びに人材の確保及び資質の向上、適切な教材等の提供、学校施設の整備その他の環境の整備を促進しなければならない。

(参考資料1:障害者基本法(抄))

inclusive.hatenablog.jp 

平成24年2月「合理的配慮等環境整備検討ワーキンググループ(報告)」が出される。

inclusive.hatenablog.jp

 

これらをふまえて、特別委員会におけるこれまでの検討についてまとめた報告が、「共生社会に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進 (報告)」です。

 

※特特委の第16回~第19回までが、この報告についての話し合いがされました。

 (4)話し合いの中身の抜粋

第16回と第17回の中で印象的だった部分を書いておきます。

流して太字だけでも見てみてください。

「特特委第16回」

・2点申し上げますが、第1点目は、就学相談・就学先決定の在り方についてで、二つ目、四角枠の二つ目の白○の中ほどですが、その際、本人・保護者に対し、十分情報提供をしつつ云々と、こうなるわけですけれども、実は十分な情報を持っている保護者の方というのは、比較的御自身のお子さんのことをよく理解されている。しかし、情報を拒否する、情報提供を拒否されている方の就学相談というのが実は一番問題だろうと思います。今、どうしても小学校、中学校の通常の学級へという方の多くは、特別支援学校も特別支援学級も御覧になっていない方がかなり多い。ですから、ここのところをどのように表現をしたらいいのか、ただ、情報提供を拒んでいる人たちにどういう対応をしていくか、ここが就学相談の私はやはり一番大変なところではないかと思います。そこのところがまず第1点。  それから、第2点は、早期からの教育相談・支援の重要性、これにつきましては、前回の学習指導要領の改訂、これは旧盲学校・ろう学校・養護学校の学習指導要領の改訂の際にも、早期からの教育相談というのは挙げられていたわけですけれども、なかなかうまくいかない。例えば公立の幼稚園はまだしも、私立の幼稚園であるとか保育所との関係、あるいは療育センターという、そういうところの関係をどのようにしていくかという、ここが課題になると思うのと同時に、視覚障害聴覚障害については、早期からの教育相談、あるいは教育的対応というのは、古くから行われてきているわけですが、特に発達障害、知的障害、あるいは自閉症といわれる人たちの早期の教育への専門家の支援がまだ薄いような気がします。ですからこの辺の書きわけというか、既にかなりの部分進んでいるところと、まだこれから開発をしていかなければならない、支援を厚くしていかなければならない障害についての書きわけを、是非皆さんで検討していただければと思いました。以上です。

・これも合理的配慮なのかもしれませんが、通常の学校において、健全な学校運営、学級運営がなされていないところに、障害のある子どもを受け入れるということはなかなか難しいと考えています。これは私も子どもが3人いて、通常の公立の学校に行く子どもと、当時養護学校ですが、養護学校に行った子どもとがいるわけです。両方の親を経験しますと、特に感じることです。不登校の子どもがいる、暴れる子どもがいる、立ち歩く子どもがいる、そういう中に、なかなかハンディキャップを持った子どもたちが学ぶという環境が整いません。これも合理的配慮の一つではないかと思います。そう表現していいかどうか分からないのですが、教えていただけたらと思います。

・この四角の二つ目の○に、子どもの一人一人の学習権を保障すると書いていただいておりますが、ここに学校教育が提供するのは学習だけではないので、健全な成長発達権の保障とも入れていただきたいと思います。  と言いますのは、障害があろうがなかろうが関係なく、いじめや不登校、あるいは反社会的行動を取る子どもに対して適切な指導が行われなければ、社会適応していく上でリスク要因が上がるからです。取材をしておりますと、現状、この点についてはニーズベースな、適切な指導は不十分のように感じております。  それから、三つ目の○の冒頭に共生社会とあり、障害のない人が障害のある人を分かるという共生社会という印象を受けたのですが、教育権や成長権を保障するということは生得的な課題や環境的な課題を持っている人たちが将来社会不適応を起こさないよう動的なリスク要因を下げ、保護要因を強化することでもあります。言ってみれば教育はセーフティーネットだということを学校関係者、それから教育行政に関わる人たちはもう少し強く意識する必要があると取材をするたびに痛感します。特別支援教育やインクルーシブ教育は、変容する社会におけるセーフティーネットでもあるということも是非明記していただければ幸いです。

・私は特に、このインクルーシブ教育システムの根本的な部分ですが、国の覚悟をもう少し明確に示す必要があるのではないかと思っております。  全日本中学校長会で、昨年11月に全国調査をしました。先日、それを公表したのですが、その中で特別支援教育について、15項目調査をしました。1項目紹介しますと、こういう質問がありました。発達障害のある生徒に対して、通常の学級では、どのような教育的支援を行っているかという項目がありまして、65%が学級担任の個別的配慮という回答をしていました。特別支援教育として、全国展開が始まりまして、もう5年たっています。この段階で6割以上の学校において、まだ担任の属人的対応に委ねられているという状況は、非常に課題があるのではないかと思っております。  特別支援教育が始まりまして、定着したのは個別指導計画の作成ということで、これだけは広まったかと思っていますけれども、やはり設置者の財政力による取り組みの格差が相当出ているのではないかと思います。この件については、品川委員の言葉と非常に共感します。国が提唱したにもかかわらず、その後の財政支援が不十分ではないか、そんなふうに疑問を思うところであります。  例えば研修と連携とか、資質向上、リーダーシップ、教員の研修、否定はいたしません。否定はしませんが、属人的な発想は否定しませんが、それだけの特別支援教育というのは適正に実施できないのではないか、そんな懸念を持つところであります。  30年さかのぼって恐縮ですが、校内暴力や学校の器物破損等が起こった時期がありました。その際には国は、人的・物的に相当程度の財政支出をしたわけであります。国が腹を決めて、学校や生徒・保護者を支援していった。そんな現状があります。それで収まったのです。  日本的インクルーシブ教育システムの構築は、やはり国の覚悟をきちんとしてもらわないとまずいのではないか。ただこれは、文部科学省というよりも、関係省庁も含めて、みんなでやると決めていかないと、それほど重要な問題ではないかと思っています。  基礎的環境整備とか、合理的配慮の実現は、設置者や学校にその多くを委ねるという考え方では、障害者の教育を受ける機会をますます低下させてしまうのではないか、そういった懸念も持つところではあります。障害のある生徒を受け入れるためには、やはり学校現場において、その環境が十分整備される、そのことを前提で議論していかないと、ただ学校に任せますよ、設置者に任せますよという意味では、非常に不安であります。是非、合理的配慮を、設置者及び学校というだけではなくて、義務教育諸学校にとっては、設置者というのは区市町村です。国が責任を持って推進するという明確な表記が今後必要なのではないかと、そんな感想を持ったところです。以上です。

・合理的配慮の充実に関して、やはり過度の負担を課さないとか、財政面を勘案しというあたりをしっかり、当然といえば当然ですけれども、書き込んでいただいて、よかったと思っております。
 今、この特別支援教育に関わる部分でなくても、地方の財政力によって、教育の環境というものが非常に多様化し、格差という言葉を使うべきなのか、あるいは特色という言葉を使うべきなのか分かりませんけれども、その財政的な裏付けがなければ、良いことをたくさん言っても、なかなか実現しないということが実際の問題ではないかと思います。そういう意味で、合理的配慮ということがあるわけですけれども、その中で過度の負担を課さないようにということはもう書かざるを得ないことなのではないかと思っております。

・現に、今東京都の23区のそれぞれの区の中でも、特別支援教育の様々な手を打っているわけですけれども、明らかに区間の差が出てきていることもありますので、これからますます設置者の体力というのか、財政力というか、そのあたりの影響が非常に出てくるだろうと思っています。これは、やはりもう少し上のレベルで東京都だとか、あるいは国だとかのレベルで、どこでも平等な教育が、あるいは特別な支援の合理的な配慮が、あるいは基礎的な環境整備が整えられるような、そんな方法を講じていただけることを全特協でも望んでいきたいなと思っております。以上です。

・ 前半のテーマに戻り申しわけありませんが、一つ発言をさせてください。3ページ(3)の障害のある子どもが十分に教育を受けるための合理的配慮及びその基礎となる環境整備というテーマの部分ですが、一つの実例を紹介したいと思います。
 ろうあ連盟は、ネパールというかなり貧しい国におきまして、三つのろう学校に支援をしておりまして、山の上に建てた学校で、日本で100万円援助をすれば、ネパールでは、日本でいえば、大体2,000万円から3,000万円相当に当たる物価になります。その経済的な支援を三つの学校に支援をしております。
 山の上ですから、交通機関もなく、子どもたちはバスで通学をするということになります。非常に貧しい環境にありまして、子どもが教育を受けることについて、家庭の関心度が非常に低い。労働力としての提供というレベルでしか考えていないという状況です。学校に関する意義を説明することが非常に困難であるという国民性があります。
 そのろう学校では、日本の環境整備という言葉が使えるような状況ではほぼなく、本当に設備、施設もないという状況です。階段はありますが、手すりもないという状況で、子どもたちはかなり危険な状況で歩いており、遊んでいる際にもし転倒したら、と思いますと、非常に危険ではないかと思います。
 私は何を申し上げたいかといいますと、そのろう学校は、設備も全く劣悪状況で、経済的支援もなければ、学校運営もできないというような環境の中で、一つだけ日本と違った義務といいますか、義務付けがあります。学校の先生はみんな手話を熟達するようにというこの条件で、手話ができないと先生としては採用しないという条件つきの学校です。
 ですから、そういう中で教育を受けている子どもたちは、非常に優秀、また明るい、そして元気いっぱいで勉強しています。この環境で、その明るさというのは、今の合理的配慮という言葉を使うときに、欧米の例を取り上げる例が多いのですが、やはり貧困の中で、設備がない中で教育を受けるということが一体何なのかと考えたときに、最低限必要なことはまずこれは手話のできる先生の配置というような条件整備、これが合理的配慮ではないかと思っています。
 もう一つは、ネパールですので、医療設備もやはり十分ではないという状況になっております。ですから、病気など、また聞こえない子どもたちの中でも、手足の不自由な子どももおりますので、足の不自由な子どもたちが入学した場合、どうするのかと伺いましたら、階段の手すりを作りますということでした。しかし、手すりを作るお金がないのです。もしそういう子どもが入った場合には、ろうあ連盟からの援助を期待しますという、逆にそういうお話をいただいたということがあります。そのようなことを考えたときに、経済的な問題で環境整備ができないというところにおいては、合理的配慮といったときに、委員長がまとめていただいたような形で3ページに基礎的環境整備ということにありますが、これは合理的配慮のための条件ではなくて、合理的配慮の中に含まれるということだろうと私自身は考えております。
 それで、仮に基礎的な環境整備ということについて、この考え方で進めた場合に、これは決して、もちろん悪いことではないのですが、あえて5ページ(2)「基礎的環境整備」についてという文言があります。○1から○8、かなり言葉としての使い方の整理をされたような形ですけれども、活用、確保、指導、配置、こういう言葉が使われています。非常に分かりやすいのですが、次の(3)学校における「合理的配慮」の観点というところで見ますと、○1、教育の中身、教育の方法、支援体制、施設・設備、このようなところで使われている言葉は、配慮という言葉が多いわけです。(2)、(3)との整合性がとりにくいのではないかと考えております。もし、何か言葉を変えるならば、○1の1-1のところに、学習上また生活上の困難を改善・克服されるための配慮という言葉を使っています。この「配慮」という言葉を使うのであれば、「工夫」という言葉に置き換えた方が良いのではないかと思います。
 また、情報・コミュニケーション及び教材の配慮という言葉、このことにつきましては、「教材の提供」というような文言に変えた方が適切ではないかと思っています。
 次に、(2)の考え方については、非常に良い整理の仕方をしておりますが、(3)の「合理的配慮」の観点というところの言葉ともう少し整合性がとれるような何か使い方ができないだろうか、工夫があってもいいのではないかと思います。これについて今、どんな言葉が適切かについては、今、私自身も工夫とか提供という言葉を申し上げましたけれども、改めて、この適切な言葉につきまして、案を、後に出させていただきたいと思います。以上です

・子ども・若者育成支援推進法を教育再生会議で作るときも議論になりましたが、あのときは最終的に早期対応早期支援、子どもを制度のはざまに落とさないということにご理解いただき、第2条6項に教育、医療、福祉、医療矯正、更生保護、雇用と入っています。そういった多角的有機的な、実質的に機能する連携が行われないと、ボーダーだったり知的に課題があったり認知がずれていたり衝動性攻撃性などのコントロール方法を学ばず、また保護者も対応しない・できない、学校も指導しない・できないなど複数のリスク要因が重なって反社会的行動を繰り返す子どもたちが漏れてしまいます。そういったことを予防するためにも、この連携は事が起こる前から必要だということを強調したいと思います。  ちなみに、既に子ども・若者育成支援推進法を法的根拠に、鑑別所の法務技官が教育委員会と連携して、子どもの問題行動等の対応をしている自治体もあります。  また、この話に続きますが、この6ページの(1)と(2)のどちらに入るか、私は判断がつきかねたのですが、特別支援教育的な視点が生徒指導にも必須になります。ですので、生徒指導との連携とすればいいのか、生徒指導も特別支援教育・インクルーシブ教育の視点で行うといれればいいのかわかりませんが、明記していただきたいと思っております。先ほど河本委員が、自治体間の格差がこの5年ですごく広がったとおっしゃっておられましたけれども、特別支援教育を、従来どおり障害児教育だけと捉えている自治体と、子ども理解という視点の中で、特別支援教育課と生徒指導課が連携したり、一緒になったりしているところでは、子どもへの対応が見事に変わってきています生徒指導や児童指導の先生たちの子どもへの見方が変わると対応が変わりますがその発想がないと従来どおりの問題行動と判断して、もうお手上げだとなると、警察や病院が登場し、教育が手を離してしまうケースも多々見てきました。教師も保護者も指導できない小学生を医学モデルだけから見て、つまりほかのリスク要因はコントロールしないで、入院させて、しばらくして退院しても集団に入れさせられないとの判断から単独指導や登校禁止というような対応をしている現場も知っております。一方、特別支援学校や学級に在籍する子どものなかにも問題行動を取る子はずっと単独にし、ニーズに対して適切に指導しないというかできないというようなところも知っておりますので、特別支援教育における生徒指導ということも、これから大きな課題になるのではないかと考えています。
 社会に出てからは、本当に認知特性などに応じて学ぶ場がないのです。学ぶ場がないと、結局、よく分からないまま逸脱を繰り返してしまうことになります。障害があるから制度に乗せる、とお考えの人も少なくありませんが、制度の中にはいっても逸脱を繰り返すこともあるのです。
 それから障害と診断されない子どもたちもいます。発達障害的な状態像を示す子が全て発達障害とは言えないのは言うまでもないですが、一方で発達障害を持つ子どもたちの中に診断ではないがゆえ、何か課題があって、行動が起こってしまってもニーズに応じて適切な指導を受けられないケースがあります。これはまさに子どもたちの教育権、あるいはその健全な成長発達権の侵害だと考えます

・特別支援学校の寄宿舎は、個々の子どものニーズをどう踏まえて、どういうプログラムが入っていて、県の職員の方がやっていらっしゃるということは存じていますが、どう指導しどう効果測定しているのか。せっかく24時間で指導ができるのに、もったいないということを、子どもたちを取材しているといつも思います。事実、自立や社会参加を踏まえニーズベースの指導を学校と寄宿舎で受けた子どもが成人した時、社会参加の点から考えますと本当に有効だと若者たちを取材していると痛感するんですね。大事大事に育てられたのに、社会に出る段階で自己理解も他者視点もなく就労も協働も社会参加もできないという若者たちに関わっていますと、本当早期から自立や社会参加を踏まえた濃密な指導がいかに効果的かと思います。かように寄宿舎も使って、子どもたちを24時間体制で指導支援することで自立や社会参加できるようにすることはとても有用と考えます。

・1点は、私も以前は財政がない中で教育長をやっておりましたので、どこにお金を出すかというのが非常に苦労でした。本当に財務省が回してくださればいいのですが、難しいという思いの中で発言していますが、1点目です。発達障害なのか、本当は育児の問題で発達障害の様に見えているのか、それから非常にわがままな育ちをしているお子さんが多いという中では、お一人お一人がうちの子どもに1人の人をつけてくれということが話されると聞いております。40人学級で40人個別に教育するということは不可能なわけですからもう一つ踏み込んで、発達障害ではないお子さんを学習集団の中にうまく溶け込ませるような教育、つまり予防的な措置というものが大切であることをどこか考え方の中に入れてほしいと思っております。それが1点目です。

・3ページ目の一貫した支援の仕組みのところに関して、三つあるのですが、一つが、この一貫した支援というものが、ともすれば、どの年齢でも相談ができるというような印象で語られることが多いのですけれども、以前ここの委員会でもキャリア教育の講演をいただきましたが、多分、一貫した支援というのは、卒後にその教育の成果が確認をされるというところから振り返って、今何をするのかという、そこが多分合理的な配慮なのだと思います。その視点で合理的な配慮というのをとらえるのだということを、どこかに入れていただけないのかというのが1点目です。
 揚げ足をとるようですみませんが、小学校入学のときに、何も問題がないかに見えても、高校卒業のときになって、いろんな問題が出ることがよくありますので指摘しました。
 それから2点目が、4月から厚労省の音頭で、発達障害の支援センターができます。これは、私のとらえ方で考えますと、支援のコンビニです。つまり、今まで確定診断がなくても支援をしましょうということと、それから民間の力を借りようというアイデアで、ぼこぼこと小規模のコンビニ型の支援ができあがって、多分これが恐らくかなり大きな影響を与えてくると思います。
 それとのつながりというのが当然出てきますので、学校というのは、コンビニではなくて、官公庁ですので、そことの連携というのは一つ意識しておく必要があるのではないか。どこか意識した部分というのも触れておく必要があると思います。大きく変わると思います。
 それから、3番目が、先ほどから話題になっている、保護者支援で、我々専門家は、結構パンドラの箱だと思っていました。これを入れるということが特別支援教育どころではない、大きな教育の枠組みの変換につながる可能性があるという具合に考えていまして、ただ、この報告書で、宮﨑委員長が共生社会ということを言うからには、やはりこの部分というのはすごく大事なのではないかと思い直しました。
 保護者支援といっても、実は非常に支援が必要なグループというものが二つありまして、一つは先ほど齋藤委員が言われた、ネグレクト系というか、虐待系の親です。それからもう一つが、虐待系といったら言い過ぎですが、生活に非常に苦労していて、シングルマザー、シングルファーザーとか、非常に子どもどころじゃないアップアップの生活をしているところ。それからもう一つが、お父さん、お母さん自身が発達障害とは言わなくても、発達でこぼこ系の親です。これがまたすごく多くて、この両方ともクレーマーになっています。
 このネグレクト系に関しては、これは保護者支援といった場合には、ダイレクトにトワイライト・スクールだと思います。学校が子育てに参加するという形の解決方法になるので、そこまで言及するのかどうか。それから、発達でこぼこ系、あるいは発達障害系の親に関しては、教師との研修の共同だと思います。これは下手をすると、こういう形でインクルーシブ教育、合理的配慮ということで、教師側がその、今までと逆転するというか、発達障害に関して、非常に先行的な知識を持つようになって、逆に親との間にギャップができてしまう可能性があります。
 この場合ですと、一つの解決方法としたら、学校においてもペアレント・トレーニングのようなものを導入するということが一つの解決方法だと思いますけれども、これも一つ、どこまで踏み込んで書くのか。これは、ここの部分はすごいパンドラの箱なものですから、施策的にはさらっと触れるぐらいの方が安全ではないかと考えています。以上です。
・今、そう言っては申しわけないようなことがあると思いますけれども、一般教員の声の中には、特別支援学級を担当している先生方に対して、ネガティブな見方をする人がいるわけです。一言で言えば、楽をしているというような見方をする一般教員がいるわけです。これからこの通級、あるいは一般の学級に軽い障害であれ、とにかく障害を持った子どもたちに先生方がちゃんと対応しなければならないとなれば、当然そういう負担が増えるわけですので、今一般教員はそういうことに対する処遇というか、そういう点はほとんど配慮されていないと思いますけれども、これはやはりそういう面も含めて、全般に処遇をよくすることも含めて、一定の配慮、整備ということが必要なのではないかと思います。これはどこかで入れていただきたい。  それから1ページ目の先ほど佐竹委員や大南委員が言われた、共に学ぶことという、共生社会のところですけれども、私は前から佐竹委員のように、この正しくという言葉に引っかかったわけではないのですが、こういう社会というのは、私は公教育というのは基本的に国の未来の主権者を育てていると思います。そういう意味では、国の未来の主権者としてという、どの子も平等であるという視点をやはり何かあらゆるところに本当は入れた方がいいと思っております

「特特委第17回」

交流及び共同学習は全ての学校でやっています。それもかなりの時間を使っています。問題は、やればいいというものではないと私は思っています。全特協も、ただ子どもたちが一緒の空間を共有しているだけでは駄目だと考えています。いつ、どういうところで、どんな学習内容をしているかということがこれから重要になってくるということで、今進めているところです。

・ また、実際にどうしても納得しないときは乙武委員がおっしゃったような裁判という形で決着をつけるということになるわけでありますけれども、私は共生を目指すというときは、やはりいろいろなトラブルも含めて当事者同士で議論をしたり、あるいは知恵を絞ったり、汗を流しながらやっていく、そのことが回り道かもしれませんけれども、それぞれの生活の身近なところに共生社会を作っていく必要条件ではないかと思っております。
 ここですばらしいものを提示して即そのようになるくらいだったら、もっと早くなっていなくてはいけないわけでありまして、やっぱり大人の一人一人が今自分の立っているところで共生にどのような形で参画して、目の前にいる子ども、あるいは隣人、そういったものの障害のある方、あるいは自分も可能性としてはいつそういうものになるか分からないわけでありますけれども、そういう生活の中でときにはトラブルがあったり対立しながらも、それが全体として分厚い社会的な相互の関係性の中でいい社会ができるということを、恐らく実感できると思います。

・ 私たちが、外来で見ていても、年度がわりで環境が変わってしまうと、それまではせっかくいい人が支援員としてついていて、すごく通常学級で頑張れていたのが、年度がわりで担任もかわる、それから支援員もかわって、そこでがたがたと崩れてしまい、やっていけない状況になることは現にあります

・ 大事なことは、いかに障害や病気と共に生きるか、病気や障害を持つ人たちをどう理解し、どうつき合っていくか、あるいは自分に何ができるかというような形の教育をしていくことではないかと思っております。単に病気や障害の説明をすれば足りるわけではありません。そういうことを文言に加えていただければありがたいと思いました。

教育委員会に取り合ってもらえない保護者はどうすればいいのだろうかと思います。乙武委員は司法にとおっしゃったのですが、司法は最終手段ですし、子どもは日々成長しますから1日も早く解決したい。ところが司法も裁判も手続が結構ありますから、フットワークがさほど良くないわけで、その間に子どもがニーズに応じた指導を受けられないなど不利益を受けたまま、どんどん成長していってしまうという可能性が考えられます

・前回欠席しましたので、どういう流れか、私の中で理解出来ていない部分がありますが、一番大枠のところとして、平成22年12月の論点整理までの議論の中で基本的なお話をいろいろしている中で、一つは、障害がある、障害がないというのは、完全に分かれるわけではなく、かなり連続的なものであって、私たちの臨床の立場からすれば、境界域のお子さんたちがかなりたくさんいる。それから、いわゆる障害の枠に入らないけれども、かなり家庭的な問題や心の問題などがあって、そういう問題が学習の問題に影響して、結果的に学習のハンディを持ってきている、そういうお子さんもいる
 障害があるなしで分けることはできなくて、連続性がある中で、どうきちんと対処していくかということが、一つ大きな問題意識としてあったと思います。それが、今の議論の中で、障害がある子どもということに限定された議論になってきているということ。
 もう一つ大事なポイントは、私はインクルーシブ教育を進めるためには、一般教育の状況が変わらないと難しいだろうと思います。障害がある、ないが連続している中で、かなり厳しい状況のお子さんが増えている。その中で一般教育の状況がかなり厳しくなっている。先生の状況も厳しい。その中で、このインクルーシブ教育を進めるにはどうなのか。
 一般教育の状況を改善していかないと、インクルーシブ教育は成り立たない。そういう方向で、あるいは主張していくことが、いわゆる国民的な理解を得ることにつながるだろうし、その確保のためのコンセンサスも得られやすい。そこで、私が言いたいのは、基本的なところとして、総論の共生社会の形成云々のところで、一般教育の状況の改善が大前提として必要であるということを強くうたうべきだろうということです。
 具体的には、その中で、この文言の中で長期的な目標、資料5-2の、細かい方の3ページの一番下の短期的な、中長期の中でも、その中長期の中の追加的な環境整備の中では、基本的な少人数学級というところ、その辺の文言。
 それから、9ページの一番上のところ、大きな枠組みを改善する中でという、大きな枠組みの改善というのが何かということ。それも一般教育の状況の1学級の少人数化、そういうことも含めて、この大きな枠組みの改善というのが、前も論点整理の中でもこの言葉が使われていますけれども、それが何かということは議論されていない状況があると思います。
 議論されてきた、障害がある、ないの連続性のことが一つ、それから、一般教育の状況が厳しい、先生の厳しい状況がある。その中でインクルーシブ教育を進めるためには、一般教育の状況を改善しながらインクルーシブ教育も進める。そういう主張をきちんとしていくことが必要だろう。以上です。

・ 全肢P連の佐竹です。この場を借りてちょっとお願いが一つあります。34ページ、多様な学びの場の整備と学校間連携等の推進という項目があります。これは、スクールクラスターという表現でこの委員会の最初のころに出てきたものが議論されて、今こういった形になっているところですが、私は親として就学を迎えた子どもが、例えば特別支援学校なりどこなりに行った後、その子の成長の度合いに応じて転学できるといいなと、かねがね思っておりました。
 そういった仕組みをもう少し分かりやすく、具体的にこの中に明記することはできないだろうかと考えております。皆様のお知恵を拝借して、何かそれに近い文言があれば、親として大変ありがたいと考えております。この委員会は、校長先生方、たくさん出席しております。是非通常の学級のインクルーシブな教育という部分で、やるというような皆様の力強いお気持ちがあるともっとありがたいと、親として考えております。
 そして、この多様な学びの場の整備が進んでいくことで、これが就学相談にも影響するのではないかと思っております。前半のところで、就学相談が第三者機関なり何なりという整備が必要である。もちろん、その同時進行で整備は必要だとは思いますが、仮に法的な訴えまで親がするとなると、これは大変な努力と時間とお金がかかることです。そういったことが親としてできるかということを、自分に振り返って見ると、なかなかこれはちょっと難しいかなと思います。
 親は、誰が決めたことであっても、自分の気持ちを酌んでいただけない意見には従いたくないのが常ですので、就学というところだけでつまずいてしまわないように、全体の整備として進めていっていただけたら、なおいいかなと思っています。この多様な学びの場、是非制度として確立し、もっと充実した現状に沿ったものにしていただけたらと考えております。

・ありがとうございます。教育ジャーナリストの品川です。手短に話をしたいと思います。
 まず28ページの○4です。教材の確保ですが、ここにボランティア団体等に対して提供するとありますけれども、LDやディスレクシアの子どもは当然ですが、ADHDや自閉系圏の子どもの中にも、視覚的情報処理が苦手な子がいます。本人たちが使う教科書は、ボランティア団体に提供するのではなくて、やっぱりまず本人自身に提供され、本人からボランティア団体に渡されるのが順当ではないかということを常々考えています。
 例えばLDやディスレクシアADHDの子どもたちは紙の教科書ととおに教科書の入稿データをPDFをもらえれば、パソコンに音声エンジンを入れることで、自分で自由に工夫して勉強することができ、学びの選択肢がより広がります。ですので、そういった文言を、ぜひ加えていただきたいのです。その下のところに発達障害のある児童等とも書いてありますが、現状を踏まえ、あえて申し上げました。それが1点目です。
 それから、32ページの○2のところに障害がない周囲の子どもたちへの理解啓発を図るとあり、これはインクルーシブ教育を効果的にするためには必要だとのエビデンスもあり、私自身絶対に必要だと考えているので提出した資料にもこの点については書かせていただいたのですが、その点について、補足させていただきたいことがございます。と言いますのも、障害のない子どもたちに理解啓発を進めるための授業も、やり方や内容によっては新たな差別や偏見を生む可能性が潜みます。そこを踏まえて、もう少し踏み込んで書いていただけるとありがたいと考えました。
 例えば病気や障害の一知識だけを機械論的に教えてしまうようなことです。最近がんの取材をずっとしているのですが、がんの発生率は生活習慣によるものは3割だと言われています。つまり、ほかの原因もたくさんあるのに、がんの原因についてというとたばこなど生活習慣ばかりを説明してしまうので、正しく伝わっていないという現状があるのだそうです。その後調べてみると、確かに、がんで闘病中の保護者がいる子どもに同級生が「たばこを吸ったからガンになった。自業自得」と言い、それが排除などいじめのきっかけになっていたものですから、そういう機械論的な指導には限界があることを踏まえた指導を行う必要性まで踏み込んだ書き方が必要なのではないかと考えます。
 大事なことは、いかに障害や病気と共に生きるか、病気や障害を持つ人たちをどう理解し、どうつき合っていくか、あるいは自分に何ができるかというような形の教育をしていくことではないかと思っております。単に病気や障害の説明をすれば足りるわけではありません。そういうことを文言に加えていただければありがたいと思いました。
 それから、先ほど出ていました36ページと37ページのところに、分教室を作ることも大事だとあり、私も全く同感です。宮﨑委員長がおっしゃっているスクールクラスターというのは非常に大事な考えだと思っており、賛同もいたしております。
 一方で、少々注意する必要があると思ったのは、例えば特別支援教室や通級指導教室が生得的な、もしくは何らかの課題のある子どもの個別指導をするという名目で排除の場にしてしまっているという現状もあるからです。やはりそこを、そういう排除の場にしては駄目だという文言を踏み込んで書いていく必要があるのではないかと考えています。
 提出した資料にも詳しく書いたのでそちらを読んでいただければと思いますが、例えば発達的な課題があったり、あるいは環境要因などリスク要因も重なって何らかの問題行動を取る子どもを、学校側がお手上げになってしまったら医療機関に送ってしまったり、メインストリームの学校では見られないからと支援校に送り込んでしまったりというようなことを、取材をしているとよく見聞きいたします。ですので、そういう排除だったり、将来の自立や社会参加を見据えないような指導を防ぐ文言を是非入れていただきたいと思うのです。
 それと、学校間連携のところですけれども、寄宿舎のことを入れていただいて本当にありがたいと思っております。今の話ともつながりますけれども、例えば児童自立支援施設内の分校や分教室ではニーズに応じた指導が徹底されているのか、専門家等とのかかわりはどうかなどの連携や、高校でいえば通信制や単位制等の学校などもこういった連携がすごく必要になってきますので、その点についても触れていただければ良いと思っています。以上です。

 

約2年間たくさんの大人がかかわってつくられたものを大切に現場でも意識して教育活動をしていけたらと思います。

【リンク】

共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告):文部科学省

特別支援教育の在り方に関する特別委員会(第19回) 議事録:文部科学省

特別支援教育の在り方に関する特別委員会(第19回) 配付資料:文部科学省

特別支援教育の在り方に関する特別委員会(第18回) 議事録:文部科学省

特別支援教育の在り方に関する特別委員会(第18回) 配付資料:文部科学省

特別支援教育の在り方に関する特別委員会(第17回) 議事録:文部科学省

特別支援教育の在り方に関する特別委員会(第17回) 配付資料:文部科学省

特別支援教育の在り方に関する特別委員会(第16回) 議事録:文部科学省

特別支援教育の在り方に関する特別委員会(第16回) 配付資料:文部科学省