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【キーワード】就学先を決定する仕組みの改正(第5条及び第11条関係)

平成25年9月1日 「学校教育法施行令の一部を改正する政令」が施行された。

学校教育法施行令の一部を改正する政令 理由:文部科学省

1.内容

1.1.趣旨

平成24年7月23日 「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進 報告」が出されました。

これを受け

「就学基準に該当する障害のある子どもは特別支援学校に原則就学するという従来の就学先決定の仕組み」

を改めることになりました。

そして

「障害の状態、本人の教育的ニーズ、本人・保護者の意見、教育学、医学、心理学等専門的見地からの意見、学校や地域の状況等を踏まえた総合的な観点から就学先を決定する仕組み」

とすることが適当である。との提言等を踏まえ、学校教育法施行令について改正を行うことになりました。

参考:学校教育法施行令の一部を改正する政令の概要:文部科学省

1.2.改正の概要

(1)就学先を決定する仕組みの改正視覚障害者等(視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者肢体不自由者又は病弱者(身体虚弱者を含む。)で、その障害が、同令第22条の3の表に規定する程度のものをいう。)について、特別支援学校への就学を原則とし、例外的に認定就学者として小中学校へ就学することを可能としている現行規定を改め、個々の児童生徒等について、市町村の教育委員会が、その障害の状態等を踏まえた総合的な観点から就学先を決定する仕組みとする。
(2)視覚障害者等による区域外就学等
視覚障害者等が、その住所の存する市町村の設置する小中学校以外の小学校、中学校又は中等教育学校に就学することについて、規定の整備を行う。
(3)保護者及び専門家からの意見聴取の機会の拡大
市町村教育委員会による保護者及び専門家からの意見聴取について、現行令は、視覚障害者等が小学校又は特別支援学校小学部へ新入学する場合等に行うこととされているところ、これを小学校から特別支援学校中学部への進学時等にも行うこととするよう、規定の整備を行う。

2.理由

障害のある児童生徒等の教育の充実を図るため、市町村の教育委員会が、当該児童生徒等について、その者の障害の状態、その者の教育上必要な支援の内容、地域における教育の体制の整備の状況その他の事情を勘案して、その就学する学校を通知する手続を定める等の必要があるため。

参考:学校教育法施行令の一部を改正する政令 理由:文部科学省

学校教育法施行令の一部改正について(通知):文部科学省

学校教育法施行令の一部を改正する政令の概要:文部科学省 

学校教育法施行令の一部を改正する政令 新旧対照表

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2013/10/17/1339465_02.pdf

3.議事録より抜粋

 議事録に就学相談について話し合われている内容は、就学相談についての見識が確実に深まると思うので、抜粋しておきます。

資料1:第25回障がい者制度改革推進会議(2010年11月15日)第3コーナー議事録より

○(北野) 私の方では急に資料を出しました。かつて、一緒に仕事をしたことがある堀先生などが理事として入っている公教育計画学会の資料を出させてもらっています。ちょっとルビつける時間がなくて、6頁以降は無視していただければと思います。すみません。幾つか意見を言います。
 ページごとに幾つか言いますが、共有できる部分も実はまったくない訳ではありません。例えば4ページの○5番、この中で特別支援教育の言葉をインクルーシブ教育と変えていただければ十分同意できます。財政的な措置を日本のインクルーシブ教育全体に対して高いインセンティブをあげてほしい。つまりOECD諸国から見ても日本の教育予算は最低レベルですよね。ですから、福祉だけじゃなくて、教育全体としても、教育の予算をOECDでも平均並みにしていくことがとても大事なことだと思います。予算も、私達は本当に勝ち取っていきたいと思います。
 問題は、その次に書かれてある「(3)インクルーシブ教育システムと地域性」のところです。「インクルーシブ社会のためには、障害のある当事者がどれだけ社会で参加できるかが問われている。インクルーシブ教育システムの推進にあたっては、普段から地域で…」と書いてもらって、「地域の学校に学籍を置いて」と書いてありますが、根本的に違うんじゃないかと。はじめから一緒に学校で共に学び、いろんなことをしておれば、目的が達成されると。ここは学籍の問題じゃなくて、普通学校・学級で学ぶということがまず基本にあれば、こういうことは達成できるということです。ですから、次の5ページ、真ん中の下、「通学の利便性の向上のために特別支援学校の分室を設置するなど地域化を進めている都道府県もある」って、そういう問題ではないのではないか。
 つまり、アメリカについて書いてもらっている中で一番表現で足りないのは、アメリカでは基本的に「最も制約の少ない環境」、「最も統合された環境」で教育を受けることがまず権利であり、前提なんです。「リースト・レストリクティブト・エンバイアメント」とか、「モースト・インテグレート・セッティング」で、共に教育・サービスを受けると。基本は地域で普通学校・学級で受けるということが、原則。この原則ということを明確にうたわない限り、小手先で書かれても、私はそこが、全体を読んでいて、その原則が不明確だなと思います。
 例えば8ページでは、その原則が見えないためにこういう表現が出てまいります。○6です。「地域の事情等により環境整備に困難が予想される場合には、本人・保護者にあらかじめ受けられる教育や支援について説明し、十分な理解を得る」ということは、これは「ごめんなさい」ということですよね。昨年の奈良県のケースでもそうです。しかし「ごめんなさい」ではすまないということなんです。つまり、バリアフリーとか、インクルーシブなシステムというのは、それをすることが当然のことで、しないことが差別であるということを今回の障害者権利条約はうたっているので、「ごめんなさい」ではすまないことを明確にするべきです。
 それでは、予算制約性の問題はどうかというと、ここは誤解をされておられます。誤解は11ページですが、非常に大きい誤解です。合理的配慮もあるけれども、均衡を逸した場合、過度な負担・アンデュー・ハードシップが書かれていますが、これはアメリカのADA法を含め、民間のサービス上にはこういう表現がありますが、公的なシステムにおいては、当然、バリアフリーすることが義務づけられています。アンデュー・ハードシップの議論は成立しません。権利としてのバリアフリーです。学校的なシステム、公的な機関をバリアフリーにすることは最低の条件で、それは義務づけられていて、プラス、障害児1人1人により細かい配慮がいる場合に合理的配慮の問題が出てくる。それに関しても、公教育の場合には連邦政府から予算をもらっている関係でリハビリテーション法の504条が働きますから、当然、それについても予算がおりてきます。ここはアメリカのADA法の仕組みを誤解されていると思います。
 言い出したらいろいろあるんですけれども、11ページの上の方で悲しい表現があります。一番上、「環境整備が進まないまま、インクルージョンを進めることは結果として教育のダンピングを招いてしまう」というこの表現は、私は、危険な表現だと思います。皆さんに配った資料にもあるように、特別支援学校の子どもさんにかかっている予算は1人当たり850万です。一方で、普通学校や特別支援学級の方は80~90万円で、100万かかってないという資料、皆さん見てもらったらわかります。つまり、特別支援学校で10倍以上の予算がかかっている。当然、それに基づいて特別支援学校から普通学校・普通学級に予算が回れば、ダンピングなんてことが起こるはずはない。より高い支援が普通学校、普通学級で受けられますので、この表現も納得のいかない表現だなと。もう少しそれも含めて考えていただきたい。
 言うときりがないので、この辺で終わります。

資料1:第25回障がい者制度改革推進会議(2010年11月15日)第3コーナー議事録:文部科学省

 力強い意見が書かれています。他にも様々な意見がありました。それを受けて特特委(第7回)は話合いを進めました。

特特委(第7回)議事録より

【宮崎委員長】

 次に、6ページの下の2の「就学相談・就学先決定の在り方について」を御覧ください。7ページの一番上の○ですが、就学先については、前回さまざまな御意見をいただきました。どのように合意形成のプロセスを持つかという観点、学校、教育委員会や保護者の役割分担等の観点から整理をしてみたものです。まずは、本人・保護者に対する十分な情報提供が重要であろうということ。次に、本人・保護者の意見を最大限に尊重して、さらに本人・保護者と教育委員会、学校が教育的ニーズと必要な支援について合意形成を図っていきながら、最終的に市町村教育委員会が決定するとしてみました。イメージとしては、32ページの下の図を御覧ください。合意形成を図ることがとても重要であると考えています。

 また一方で、国と地方公共団体が責任を持って教育を実施するという日本の制度からすると、教育委員会が最終的に決定するということが適当と考えられるということで、こんな整理をしてみました。

 前回も述べましたが、このような就学先決定の仕組みを変えていくに当たっては、本人・保護者と教育委員会、学校等の意見が一致しない場合の調整のための仕組みが重要になってくるものと思います。

 また、対峙的なものではなくて、円滑に合意形成を図る観点から取り組まれることが重要と考えています。

 また、就学先は一度決めたら変えられないということではなく、非常に柔軟な仕組みにしていくこと、ここでも何度も意見も出されていますが、そのような考え方を関係者間で認識していただく必要があると思います。

 最終的な決定を教育委員会がするのは、仕組み上そうするしかないのだろうと思います。それでも、決めていく中で、「誰が決める」というのではなく「合意形成」をしていく。この視点を忘れてはいけませんよね。

 お互いの意見のぶつけ合いではないのです。すべて、子どもの未来のために、今必要だと考えられることを周囲の大人と本人も交えて決めていこうといものです。私は、温かいものだと思います。

 ここで、問題点が挙げられています。

【石川委員長代理】

 石川です。2点あります。1点目は、今の北住委員の御意見と大久保委員の資料にもありました短期、中長期についてですが、ほぼ同意見です。短期について言うと、やはり批准までを短期として、批准をするための要件をここでクリアするということが短期的にはどうしても必要なことですから、そのことを書く。その中には、今短期の中に入っていませんけれども、北住委員もおっしゃいましたけども、法案の中身まで踏み込む必要はないと思いますが、施行令を改正しなければいけないということは、本特別委員会の基本的な考え方、共通理解として書くべきではないかと考えます。
 中長期は、批准後5~10年ぐらいというようなスパンで、これまでの障害者基本計画だとか、いろんな枠組みとの整合性ということもあるので、数字についてはもう少し検討は必要かもしれませんが、やはりおおよそ目安がないと、みんな不安なので、中長期は20年先のことなのかなど、そういうことも思ったりすることもあるので、10年も長い気はしますけれども、5~10年以内に合理的配慮をこれぐらいまで達成するのだというように書きたいと思います。それが1点目です。
 2点目ですけれども、就学決定についてですが、先ほどの品川委員、佐竹委員からの御発言からも、親の同意ということをあまり強く入れすぎることに対する懸念が示されたと思います。例えば品川委員の場合ですと、ネグレクトというケースをたくさん見てきているというお話で、そのこと自体は説得力のある話なのですが、要は、2つの正反対のリスクをどうヘッジしていくかということです。1つは、同意要件は絶対必要だというように、私もそう考えていますが、障がい者制度改革推進会議でもそのような意見は多いわけです。親はしっかりしているけど教育委員会はしっかりしていないというリスクです。逆に、品川委員は、むしろ教育委員会というか、専門家、しっかりしている専門家が、就学決定において全責任を負うべきであって、しっかりしていない親をたくさん見てきているという。その2つのリスクを同時にヘッジするにはどうしたらいいかということですけれども。
 要するに、そこからは、だれであれ、絶対的な決定権を一者が持つべきでないということは言えると思います。だとすると、合議ということになるし、対話によって情報を、それぞれの、なぜそのように考えるのかということをお互いに共有し合って、会話を深めて、歩み寄って、合意形成していくことが大事で、にもかかわらず合意が得られない場合に、調停でいいのか、それとも、ネグレクトのような場合には、調停すらできなくて、やっぱり何か裁定までしなくてはいけないのか。このあたりが、議論として残っているのではないかと思います。ネグレクトのケースだったら、調停といっても、やってこないというのが、品川委員の話からすると想像されるわけです。それから、調停や裁定に時間がかかってしまったら、その間に子どもをどうするのかということも決めなければならない
 だからといって、そういうのは面倒だからと、尊重、あるいは、一応今回、同意を図りながら決定するというところまで書いていただきましたが、これでいいかどうかです。合意形成を図りながらでいいかどうか。ここはもう一度考えてみる必要があると思います。

 保護者や本人の立場に立つ意見も見てください。

乙武委員】

 乙武です。僕も就学相談・就学先決定についてです。現状では、保護者の意見を最大限尊重し、区市町村の教育委員会が決定するという方向で議論が進んでいますが、僕自身はやはりここにどうしても疑問を感じています。例えば、9ページに、親身に相談に乗るとか、地域で受け入れるという意識を持って相談に臨むということが書いてありますが、それって、結局、態度、姿勢の問題であって、そのようなものは後で幾らでも言えるのかなと思います。「いや、親身になったのですけれども、御希望に添えませんでした」とか、「受け入れる姿勢でしたけれども、だめでした」とか、何でも言えるかなと思います。
 結局、区市町村が決定をする際に判断をするのが専門家の意見であると、その専門家の意見というのがどうなのかなと思っています。主にそれまでの経験ですとかデータというものに基づいて専門性というのが生まれてきていると思いますけれども、果たして全ての子どもがその経験、データに当てはまるのかということについて僕は疑問に思っています。例えば、最近は発達障害と呼ばれる子どもたちも出てきていて、一見何の問題もない、何の障害を抱えていないような子どもだけれども、実際に学校生活を送ってみると、なかなか周りとうまくいかない、適切な教育を受けられていないという現状があるのと同じように、逆に、一見、ここは少し難しいのではないか、通常の学級ではなかなか受け入れることが難しいのではないかと専門家が判断しても、実際、もしその学級に入ってみたらうまくいく、その子にとって実は適切な教育であったというケースも十二分にあると思います。
 例えば、僕自身が28年前に就学指導を受けて、一般的に考えれば、約30年前に両手両足、四肢が全部ない、電動車いすに乗った子どもが通常の学校、通常の学級に受け入れられるということは、常識的に判断すればあり得なかったと思いますし、普通であれば、養護学校へという判断が一般的だとは思いますけれども、当時の教育委員会、当時の受入れ先の校長先生が、どういう御判断だったのか、受け入れてみましょうということで、受け入れてくださったら、何とかなってしまった。もちろん、そこには担任の先生をはじめ、周囲の大人の人たちのすばらしい御指導、御支援があったからだとは思いますけれども。そういうケースもあるということを考えると、実際に入れてみないと、うまくいくかどうかはわからないのに、この子は無理だろうという判断で、その地域の学校でその子が能力を伸ばしながら、地域の子どもたちと一緒に教育を受けていけるという可能性が奪われてしまうというのは、すごく怖いことだと思っています。
 結果的に、特別な教育ニーズのある子どもが通常の学級に入ってみて、やっぱり難しさがあった、なかなかうまくいかないということで、途中から特別支援学校や特別支援学級に移って勉強していくということも、もちろんあるとは思います。でも、その際の保護者の思いというのは、初めから通常の教育を受けさせたかった、通常の学級で学ばせたかったという思いを、忸怩たる思いを抱きながら、最初から市区町村の教育委員会の判断によって特別支援学校・特別支援学級で学ぶことになるのとでは、大きく違ってくると思います。
 ここで大事なのは、保護者の自分の子どもに対する障害の受容ということかなと思います。僕自身の場合は、母親が、父親もですけれども、僕が生まれてからすぐにこの障害を受容してくれて、育ててくれることができましたけれども、やはりなかなかそういう親ばかりではない。特に僕の場合は、見てすぐにわかる障害なので、生まれてすぐ「ああ、障害者だ」とわかりますけれども、品川委員がおっしゃっているように、ぱっと見てわからないとか、だんだんわかってきたとか、いろいろなケースがあるからこそ、余計保護者の受容ということは、すごくこれから大事になってくるのかなと思います。そのときに、やはり小学校に上がる、人生の新たなスタートを切る段階で、「あなたはこっちです」という、家族ではない第三者の判断によってスタートラインを決められてしまうというのは、やはり社会から拒絶されているような感覚を受けてしまうのではないかと思います。やはり自分は、自分たちの家族は、こういう教育を受けさせたいという形でスタートしてみた。けれども、なかなかうまくいかない。やはりこちらのほうがよかったのではないかというように、だんだんと軌道修正をしていくということができるのとできないのとでは、大きく本人、そしてその家族の人生というものが変わってくるのではないかなと思っています。
 この委員会の中では品川委員が再三御指摘されているように、最近では教育ネグレクト、つまり、親がその子どもにとっての一番の支援者であり応援している人間であるという前提が覆されてしまうような家庭も、確かにないとは言えない。そういうケースに関しては、また別途議論が必要なのかもしれませんけれども、原則的には、僕自身は、就学先の決定権というのは、やはり保護者にあるべきなのではないかなと考えます。以上です。 

次の意見も見てください。

【久松委員】

 全日本ろうあ連盟の久松です。発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。今回、意見書をお出ししました。資料9です。考え方の基本は、資料5の太田委員の御意見と基本的に同じです。
 1つ、資料9について説明に入る前に、一言申し上げたいことがあります。親が障害のある子どもが生まれてショックを受けるということについて、まず親がその障害のことを知らないということ今の社会は、インクルーシブ社会ではないということが、1つあらわれていると思います。

 また、親が自分の子どもをどのように育てていけばいいのかわからないということ。今の社会には親を支援する仕組みがないということが言えるだろうと思います。ですので、最初に、向山委員の目次の整理が必要だというお話は、基本的に私もそのように思います。その中で、2の(1)のタイトルにある「早期からの教育相談」は、単なる相談、単なる情報提供だけでは足りないのではないかと思います。「支援」が必要だと思います。早期教育、また、親が育てられる環境整備、制度的な支援ということも盛り込まないと、親、保護者が全て負担を負うことになります。それが今問われているのだと思います。障害者のことを知らないということ。私たちは当事者団体として、社会に対して、私どもろうあ連盟は、ろうあ者のこと、聴覚障害者のことを理解していただくために、映画をつくって、そして、全国の高等学校など、聞こえない方々に理解を求めるということで、啓発活動を広めていっているところです。聞こえる人たちが、聞こえないということはどういうことなのかを理解するような取組が必要だと思います。地域の小学校、中学校に出向いて、手話を教えながら、聞こえないということは何が大変なのか、どういった障害なのかということを子どもたちに教えるような取組、それを障害のある立場で、障害のない子どもたちに理解を広めていくような取組です。ですから、親が障害者のことを知らないということが大きな問題だと思います。日常的に障害者とつき合う機会がない社会というのが、インクルーシブな社会ではないということ、それをまず強く言いたいと思います。
 私は障がい者制度改革推進会議のメンバーに入っています。障がい者制度改革推進会議で一番のテーマとして議論されているのは、学校教育法施行令の問題です。ここでは学校教育法施行令をどうするかということについて議論がないので、おそらく障がい者制度改革推進会議の中で、学校教育法施行令について議論することになろうかと思います。やはり保護者の「合意」または「同意」をどう見るかということについて議論になるものと思います。基本的には太田委員の考え方と賛同しますが、この「同意」できる仕組みをつくるということ。中間報告に合意形成を図りながら決定するという書き方ではなくて、合意形成を受けて決定する仕組みということになるのかなと感じています。ですので、その方向でもう少し踏み込んだ文章表現にすることで、障がい者制度改革推進会議にもつなげて議論ができるような形を求めたいと思います。

 インクルーシブな社会や教育を「"本当に"実現しようとしているのか」が強く問われているように感じます。

 私は、乙武さんと久松さんの意見から、障害者について考えること、知ることをそもそもしているかが問われているように思いました。むしろ、その手前の考えようとしているか、知ろうとしているかの段階な気がします。

 もう少し続けさせてください。特別支援学校で学ぶ意義についてです。

特特委(第8回)より

【石川委員長代理】

 石川です。今日は、資料を用意いたしました。この資料は視覚障害教育の研究者の皆様がまとめられた提言です。これは非常に内容が充実しておりまして、力がこもっております。残念ながら、この具体的な中身についてお話をする時間はありませんので、ぜひ後ほど御一読いただきたいと思います。視覚障害について書いてはありますけれども、なぜそれぞれの個別のニーズに対応した専門的教育が必要で重要なのかということが非常に説得的に書いてありまして、ほかの障害についても共通する点がかなりあると思いますので、その点をまず申し上げたいと思います。思いっきり意訳してというか、私の意見でもありますけれども、こういうことを言いたいのだというお話をさせていただきたいと思います。

 まず、インクルーシブとか、インクルージョンに対して、その反対概念として、エクスクルーシブとか、エクスクルージョンという概念があります。排除的、排除ということです。エクスクルーシブな社会、障害者をエクスクルードする社会というものにおいては、排除と分離という社会環境の中で特別支援学校がつくられてきたという歴史的な事実、これは否定しがたくあると言えると思います。しかし、結果的に、そこから教育の専門性とか、仲間集団が形成されて、そこでエンパワー機能を図らずも果たしてきたという面もあります。したがって、特別支援学校は両義的な存在であるということが言えます。1つの印象的な言い方として、入学式と卒業式がその様子をよくあらわしていて、入学式は何となく悲しげであるのに対して、卒業式はみんな元気に卒業していくということが言われています。
 一方、インクルーシブな社会、障害者をインクルードする社会、我々が目指している社会ですけれども、そこでは合理的な配慮によるインクルーシブ教育が実現しているはずです。しかし、その場を共有するということは、ユニバーサルデザインとしての原理的な限界が残る可能性があります。そういうような障害者をインクルードする理想的な社会における特別支援学校の存在理由は何かというと、やはり個別ニーズに対応する専門性と仲間集団です。ただ、特別支援学校が存在するだけではそのような機能は担えません。更なる充実と新しい役割の引き受けが必要であるということを先ほどの提言は述べております。つまり、障害者をインクルードする社会においては、もはや特別支援学校には排除や分離といったような社会的機能は担わされていないはずだということです。
 完全にパラレルかどうか分かりませんけれども、例えば女子大とか女子校というのを思い出してみることができると思います。戦前の女子教育は初等教育を除けば分離教育でした。しかし今では、女子のための学校をエクスクルーシブなものと考える人はいないと思います。
 もちろん、インクルーシブな社会における特別支援学校においてもデメリットは残ります同質的な集団であって、多様な人々とつき合う力をどうやって育てていくのかという問題、そういう弱点があります。つまり、障害者をインクルードする社会であっても、障害のある子とない子が共に学ぶ学校があろうと、特別支援学校であろうと、メリットもデメリットもあるはずだということです。
 今はインクルーシブな社会へと向かう過渡的な段階ですけれども、社会全体で積極的にインクルーシブ教育に取り組まなければなりません。同時に、多様な学びの場としての特別支援学校を更に充実させていかなければならないと考えています。一方で、充実したインクルーシブ教育と空っぽの特別支援学校、あるいはその逆、合理的配慮のない統合教育と充実した特別支援学校これらは比較にならない子どもの教育的利益にとってどちらがベターなのかというのは、どちらの場合もほぼ明らかだと思います。そうではなくて、インクルーシブ社会を目指す今日においては、両方充実させていくことが重要だと考えます。
 特別支援学校が担わされてきた障害者を分離するという機能を払拭するには、少なくとも2つのことが前提条件になると思います。先ほど大久保委員もおっしゃいましたけれども、1つは親の同意ということです。それから、もう一つは就学先決定における同意要件とともに学校教育法施行令等の改正、これはやはりどうしても画竜点睛であると思います。この2点。
 インクルーシブな社会を目指す段階において、エクスクルーシブな力を一掃しようとして、原則インクルーシブ教育だという主張を私は理解できます。ところが、それでは多様な学びの場のボジティブな機能も急速に失われてしまう危険があると考えます。教育というのは子どもの利益のためにあるのだから、私としては何がなんでもインクルーシブ教育だという主張はここではしないという立場をとりました。障害のある子どもを分離し、排除しようとする個々の場における力に抗して、それが子どもの利益になるのならばインクルーシブ教育を難なく選択できる、そういうしっかりとした制度をバックボーンとして構築することが、このような立場をとる前提条件であると考えています。つまり、原則インクルーシブ教育という主張をあえてせずに、選択というためには、しっかりとした制度的なバックボーンが必要です。それができないのならば、やはり私もまた原則インクルーシブ教育だと言わざるを得なくなってしまうということです。
 2点ありますけれども、先ほどの繰り返しになりますが、4ページの1行目、やはり短期に関していうと、学校教育法施行令と法制度の改革をぜひ入れていただきたいと思います。それから、これは短期なのに「必要な財源を確保し」というと、非常に時間がかかりそうな印象を与えるので、ここは削除していただいたほうがよいと考えます。それから中長期に関していうと、つまり、地域間の格差、自治体間の格差というものをなくすためには、合理的配慮指標とか、合理的配慮基準の策定、評価ということがやはり必要だと思います。そういうことを入れていただきたいと思います。
 2つ目ですけれども、8ページの2.(1)○1の4行目の「合意形成を図り」につきまして、昨日まではこれでいいと思っていたのですが、ふと「図る」とはどういう意味だろうと思い直してみたら、「企てる」「試みる」「努力する」「アテンプト」などという意味です。実は事務局も委員長も私も、それから多くの委員もそうだと思いますけれども、「合意を得て」という意味で、この修文を考えてきたと思いますが、あとでほかの人が読んだときに、「図る」というのは努力するという意味に読まれてしまう危険があるので、やはり「合意を形成し」とか、はっきりと、委員会としての意図が誤読されないようにする必要がある。「合意を形成し」と修正することを提案させていただきたいと思います。
 3つ目ですけれども、14ページの(2)の○3ですが、「合理的な配慮が不十分なままでは、子どもに適切な教育を提供することができない」として、「障害者権利条約においても、それを差別と規定している」くらいは書いておきたいものだと思います。なぜかというと、ほかのところでは、まだまだ合理的配慮についての認識が社会には全然浸透していないということを書いているので、合理的配慮について、やはりここできちんとそのように書いておくほうがよいのではないかと考えています。
 これら3つとセットですけれども、もう一点だけ提案させてください。4ページの真ん中の「共に学ぶ」というところですが、障害のある子とない子とが共に学ぶことの重要性について書いてある話ですし、この節全体がそういう意図ですけれども、障害のある子が仲間集団との中で育つことの意義ということも書いていただきたいと思います。例えば、こういう文はどうかということですが、「同時に障害のある子どもが他者への尊敬と自己肯定感を育てる過程では、同じ障害のある仲間と共に学ぶ機会も必要である。人は同じ体験を共有する仲間とのつながりから多くを学び、成長していく」、つまり、自分と同じような障害のある他者と出会って、信頼とか友情とか、あるいは尊敬とかあこがれとかを抱き、それを模倣したいと思って頑張り、やがてそこから自己肯定感が生まれてくると、そういう点も、インクルーシブであろうと、特別支援学校であろうと、特に低発生障害の子どもたちの場合で、同じ障害を持った仲間とともに育つチャンスを提供するということの重要性も一緒に書けないかと思います。ただ、これはほかの3つの話とは切り離せないと考えています。先ほど、もっと一般的な言い方で述べたこととかかわっていまして、インクルーシブな社会を目指してバックボーンをきちっとつくっていくという前提でもって、初めてこういう言い方が意味を持つというか、誤読をされないで意味を持つと思いますので、そういう意味でセットで提案させていただきました。以上です。

原則インクルーシブとしない立場の視点について意見が出されています。

 

就学相談の合意が難しいときについても何度も話し合われています。

第三者が必要な視点、就学時になって相談ではなく早期から行っていく大切さなどが挙がっていました。

最終的に司法に委ねるという話もでましたが、

教育委員会に取り合ってもらえない保護者はどうすればいいのだろうかと思います。乙武委員は司法にとおっしゃったのですが、司法は最終手段ですし、子どもは日々成長しますから1日も早く解決したい。ところが司法も裁判も手続が結構ありますから、フットワークがさほど良くないわけで、その間に子どもがニーズに応じた指導を受けられないなど不利益を受けたまま、どんどん成長していってしまうという可能性が考えられます

という意見が出ました。

 

初等中等教育審議会(第70回)資料:障がい者制度改革推進会議における文部科学省ヒアリング(平成22年4月26日)ヒアリング項目に対する意見書:文部科学省

「ヒアリング項目の⑤」に

○保護者に全面的に選択を委ねることについては慎重な検討が必要と考える(通常学校における合理的配慮の内容にもよるが、本人にとって、その精神的・身体的な能力を可能な最大限度まで発達させるための教育[権利条約第24情第1項(b)による]が受けられなくなる可能性があるほか、他の児童生徒等への影響等に関する考慮が必要と考える。)

と、ある理由の具体は以上のような視点があったためです。

こうした、様々な視点をまとめていくために何度も話し合いがされました。

 

4.まとめ

疑問点などをまとめて、この項を終えようと思います。

【就学先決定問題】誰が決定するか。

これは、本人・保護者の意向を「最大限の尊重」をし、「合意形成を原則」とします。

 理由は、法律等によって行政が一方的に決めないためです。また、保護者や本人が決定権をもたないのは、この国の制度的な部分と、別のリスクがあるためです。

 一つは、子どもの就学に無関心な親がいるというリスク。このリスクには、早期相談で接触しつつ、情報拒否の親もいるので、かみ砕いて伝わるように情報を加工することを大切にします。

 二つは、特別支援学校に行きたい軽度発達障害の子どももいるというリスク。もし、親の意見のみで決定としてしまうと、すぐに満杯になってしまうという視点があります。子どもにとって一番有益な場で学ぶことができるように、保護者の方もいろいろ知ったうえで、合意形成していくことが大切だと考えられて、就学先決定の方法は導き出されました。

 最後に責任をもって、教育委員会が決めるということで私はよいなと思います。そこに、不当さがなければです。

 そして、不当さが回避できるように、就学先決定の意見が一致しない場合の対応についても考えられています。

共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)

資料18:就学先決定の意見が一致しない場合の対応について

http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2012/07/23/1321672_8.pdf

 第三者として「教育支援委員会(仮名)」が間に入り、合意を形成を目指す旨が書かれています。

 

5.参考リンク

障がい者制度改革推進会議における文部科学省ヒアリング(平成22年4月26日)ヒアリング項目に対する意見書:文部科学省

別添1 就学先決定の仕組みの見直しについて:文部科学省 

別添2 障害のある児童生徒への十分な教育に必要な人的体制・物的条件の整備について(義務教育段階):文部科学省

障がい者制度改革推進会議における文部科学省ヒアリング(平成22年4月26日)追加質問項目に対する意見書:文部科学省