この記事から半年ちょっとかな、書こうとしたことを書いていなかったために、再エントリー、インクルーシブについて書きたいことはいろいろある。
とりあえずの「Google」での検索結果
"フルインクルーシブ"、"フル・インクルーシブ"は、「73件」
"フルインクルージョン"、"フル・インクルージョン"「414件」
フルインクルーシブ、フルインクルージョンについて書かれたサイトに書かれていることをまとめてみます。
私の記事では、特に分けて表現せず「フルインクルーシブ」で統一します。
(フルインクルージョンとの意味の違いは意識していません)
ちなみに、私は、ほとんど、LITALICOの野口晃菜さんの言う「インクルーシブ観」が、どの学校にも必要で、バランス感覚も取れたものだと感じています(+αはそこにいる子どもの実態に合わせてあるとしても)。
言いたいことは大まかに三つで、
- 「インクルーシブ教育システムの構築は『フルインクルーシブ』に向かっているプロセスだろう」ということ。(今回)
- フルインクルーシブには「『場』と『学びの内容』の視点が必要」ということ。です。(次回)
- 教師は「子ども同士を結びつけること」が重要性(次々回)
といったことです。
1.「インクルーシブ教育システムの構築は『フルインクルーシブ』に向かっているプロセスだろう」ということについて
まず、文科省の指す「インクルーシブ教育」は何を目指しているか確認をします。
文科省は「障害のある者とない者が共に学ぶ仕組み」と定義している
文科省のサイトでは、
「『インクルーシブ教育システム』とは、人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者とない者が共に学ぶ仕組み」
と示されています。
文科省は、「障害者だけ」に関して、インクルーシブ教育を定義しています。
(ユネスコの定義するインクルーシブ教育とは少し異なります。)
<プロセス>と言える理由
<プロセス>と言える理由として以下が挙げられます。
○今後の進め方については、施策を短期(「障害者の権利に関する条約」批准まで)と中長期(同条約批准後の10年間程度)に整理した上で、段階的に実施していく必要がある。短期的には、就学相談・就学先決定の在り方に係る制度改革の実施、教職員の研修等の充実、当面必要な環境整備の実施を図るとともに、「合理的配慮」の充実のための取組が必要であり、それらに必要な財源を確保して順次実施していく。また、中長期的には、短期の施策の進捗状況を踏まえ、追加的な環境整備や教職員の専門性向上のための方策を検討していく必要がある。最終的には、条約の理念が目指す共生社会の形成に向けてインクルーシブ教育システムを構築していくことを目指す。
インクルーシブ教育は、共生社会の実現を目指している。
そのために「インクルーシブ教育システムの構築」がされればよいか、というと違います。
「インクルーシブ教育システム」として、「多様な学びの場」が用意されました。
しかし、その仕組みができさえすればインクルーシブ教育のゴールってわけではないのです。
次に
<フルインクルーシブ>と言える理由
条約の理念とは、「第二十四条 教育」の項にある。
(e) 学問的及び社会的な発達を最大にする環境において、完全な包容という目標に合致する効果的で個別化された支援措置がとられること。
などです。
ここに、「完全な包容という目標に合致する効果的で個別化された支援措置がとられること」とあります。
この「完全な包容」は「フルインクルーシブ」を指していると思われます。
<特別支援教育に関する特別委員会>の委員である大谷委員も委員会でこんな風に言っています。
特々委の審議を報告した第 25 回障がい者制度改革推進会議(2010 年 11 月 15 日)において大谷委員は次のように 批判した。
「インクルーシブ教育システムにおいて重要なことは、多様な学びの場を用意しておくことである、というこの 結論は、私はどうしても論理的整合性を含めて、どうしてそうなってしまうのか全く納得できません。
従来から、 インクルーシブ教育システムというのは、学びの場を統一して統合し、そして支援することである。
統合して 支援する、多様な支援はあっても、多様な学びの、なんで『場』になってしまうのか、全く理解できません。」 ここで重要なことは、インクルーシブ教育には共通の定義が存在せず、極めてあいまいなものであるが、国連の 権利条約 24 条インクルーシブ教育には明白な定義があるということである。
権利条約 24 条 2(e)には、「フル・インクルージョンという目標に即してのみ、効果的で個別化された支援措置 が取られること」とある。特別支援学校や特別支援学級の個別支援措置は、フル・インクルージョンを目標として初めて行いうるということである。
権利条約 24 条教育に言うインクルーシブ教育は分離教育を認める余地を残して いない。特別支援学校・学級の存在は、どう言い繕おうとも権利条約のインクルーシブ教育と特別支援教育との整 合性は無いことの証明にしかならない。
フルインクルーシブとは、どの子どもも全ての子どもが通常学級で学ぶという理念だと言えます。
<どの子どもも全ての子どもが>と言える理由
ユネスコは「全ての子どもたちの学びが最大に引き出される教育システムを構築するプロセス」と定義
インクルーシブ教育は、主流からはずされやすい、排除されやすい子どもたちを含む全ての子どもたちの多様なニーズに対応することで、全ての子どもたちの学びが最大に引き出される教育システムを構築するプロセスである。
と示しています。
ここでは「全ての子ども」と「プロセス」ということも出てきます。
ユネスコのインクルーシブ教育観が「全ての子ども」を指す理由
これは、「サラマンカ声明」を受けてのものだと考えられます。
教育を受けることへのすべての子どもの権利は、「世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)」に宣言されているし、またそれは、「万人のための教育に関する世界宣言(World Declaration on Education for All)」によって力強く再確認された。
障害をもつすべての人は、確かめうるかぎり、彼らの教育に関する願望を表明する権利をもっている。両親は、彼らの子どもたちのニーズ、状況、熱望に最適の教育形態について相談を受ける固有の権利をもっている。
この「枠組み」を広く知らせるさいの指針となる原則は、学校というところは、子どもたちの身体的・知的・社会的・情緒的・言語的もしくは他の状態と関係なく、「すべての子どもたち」を対象とすべきであるということである。これは当然ながら、障害児や英才児、ストリート・チルドレンや労働している子どもたち、人里離れた地域の子どもたちや遊牧民の子どもたち、言語的・民族的・文化的マイノリティーの子どもたち、他の恵まれていないもしくは辺境で生活している子どもたちも含まれることになる。
(中略)
特別な教育的ニーズをもつ児童・青年は、大多数の子どもたちのためになされる教育計画の中に含められるべきである。このことが、インクルーシブ校の概念へと導くことになる。
インクルーシブ校が遭遇する挑戦は、まったく恵まれていない子どもたちや障害をもつ子どもたちを含む、すべての子どもたちを首尾よく教育することができる児童中心の教育学を開発することである。
「すべての子どもたち」は、
- 障害児
- 英才児
- ストリート・チルドレン
- 労働している子ども
- 人里離れた地域の子ども
- 遊牧民の子ども
- 言語的・民族的・文化的マイノリティーの子ども
- 他の恵まれていないもしくは辺境で生活している子ども
を含むということが示されています。
ちょっとまとめ
ここで、一気に表にまとめてしまいます。
黄色が、限定的なもの
青色が、広汎的なもの
緑色が、双方を含むもの
ユネスコは、「多様な学びの場」か「完全な包容」かというよりは、「学びへのアクセスが可能な場」を重要視していると捉えました。
文科省は、あくまで「障害児」についてインクルーシブ教育を適用しているように思います。
◎そうすると問題になるのが、発達障害の可能性がある児童への<合理的配慮>だとか<インクルーシブ教育>ということになります。どう支援していいのか、その根拠が学習指導要領しかないかもしれない(通知もあるかな)と思いました。
結論として、やっぱり「インクルーシブ教育システムの構築は『フルインクルーシブ』に向かっているプロセスだろう」ということが言えると思います。
注意したいのは、文科省のインクルーシブ教育システムの構築は、まだまだ途中段階ということです。
そして、「フルインクルーシブ・完全な包容」が、国際レベルでは求められているということです。
私たちは、今その途中にいるのだということを認識しておきたいな、と思うのです。
以下はつづき