かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

「成熟社会」について(宮台真司さんの記事から)

宮台真司さんの「成熟社会の定義」について前に見たことがあって、検索してみたら、その内容の記事がありました。

 

『戦後六十年の日本(インタビュー記事)』

http://www.miyadai.com/index.php?itemid=278&catid=4

 

〈2005年〉(もう11年も前?!)の記事ですが、この当時のこの内容から続いている、
私たちに入り込んでいる、私たちが入り込んでいる 〈価値観〉があると思いました。
これを知ったうえで、自分をどう動かすかを考えなければならないと感じました。

『戦後六十年の日本(インタビュー記事)』より抜粋

 宮台さんは、豊かになって価値観が多様化し、「幸せとは何か」が各人各様に異なる現在の社会を「成熟社会」と呼ぶ。

「重工業中心の経済成長が終わり、サービス産業中心になるのが成熟社会
家族や地域の相互扶助が、市場や行政に肩代わりされ、生活世界が空洞化します。
それまでは、生活世界にとって善きことが、人生や社会にとって善きことでした
生活世界が空洞化すると、何が善きことなのか分からなくなります

「また、社会が不透明になります。上昇した利便性を支える仕組みが不可視で、リスクや利権が把握できなくなります」。

成熟社会は物質的に豊かで情報量も多い。一見すると人々がますます自由になるように見えるが、宮台さんはこう分析する。
「選択肢が増えると、選ぶ能力が必要になり、失望も増えます。
選択の失敗が傷の源泉になるので、選択から退却する人もでてきます
また、選べるということは人も物も入れ替え可能になること。
自分が何者で、どこが地面か分からなくなります」。
それが引きこもりやニートをもたらすのだと言う。 

社会が不透明になれば、公共性の意味も変わると説く。
人々の欲望に応えることと、人々の欲望に応えるシステムを維持するために必要なことが、乖離します。
後者についてはエリートしか見通せない。結局、人々は自由なつもりで、実はエリートが設計したアーキテクチャーの枠内でしか振る舞えないようになります」。

人間関係一般についても「望みを持たない方が楽、無駄なことには関わらない、というエコノミー原理が拡がり、活動水準の低い植物的な生き方になりつつあります」と語る。

他方、宮台さんは、社会の流動化と複雑化不安不信をもたらし、何かにつけて国家を呼び出す作法が拡がるのを危惧する。
「近代の原則は、①国家よりも社会が大切で、②不信よりも信頼が大切だというものです。これらの原則から、問題はできるだけ『自分たち』で解決し、それが無理なら次第に上の単位を持ち出すという「自治の原理」と「補完の原理」が導かれます。社会の流動性と複雑性を制約し、人も場所も入れ替え不可能だと感じられるようにして、『自分たち』に内実を与える必要があります」と話す。  

 

重要だと思う部分を5つまとめます。

(1)〈生活世界が空洞化〉
・人びとの支え合いが減るため何が良いことか分からなくなる

(2)〈社会が不透明〉
・上昇した利便性を支える仕組みが不可視

(3)〈自由と選択肢の増加〉

・入れ替え可能という不安

(4)〈公共性の意味〉
・欲望に応えること、欲望に応えることを維持するために必要なことの乖離
・「望みをもたない方が楽、無駄なことにはかかわらない」という生き方

(5)〈社会の流動化と複雑化〉
・「自分(たちとは?」の言葉を見つけ、自分や他者の入れ替え不可能さを感じる必要がある。

 

どれも、昨今の教育活動の移り変わりに関係のある背景だと思います。
「〇〇の能力がないから、〇〇な活動」というロジックのうち、「どうして〇〇の能力がないのか」が宮台さんの話から見えてくるように思いました。