かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

人生ってなんだっけ(旧:生きるって楽しいじゃん)

 

人生ってなんだっけ

 

人生


これまで、話したことを掛け合わせれば、

「理性とつながりを持ち、成っていくものが存在すること」


だけど、これじゃあまりにも遠回しすぎないか、ってことで。

改めて、人生ってなんだっけ。

まず、辞書の意味。(goo)
①人がこの世で生きていくこと。また、その生活。
②人の、この世に生きている間。人の一生。生涯。

大まかには、「人の生」ってことだ。
肝は、この世をどこからどこまで、どう捉えるかだろう。

いくらかのアイデアは、「生きるってなんだっけ」に書いた。

そこでは、生きるってのは「存在すること」なんだけど、ただ存在していれば(心臓動かしてりゃ)いいかというと、そうじゃないだろって話しをした。

人生ってなんだっけは、その「ただ存在する」じゃなくて「どう存在するか」に一歩踏み込む話をしたい。

そのスパイスは、無論、「生(存在する)」にプラスされる「人」ってわけだ。

ここからは、人を人間ってなんだっけで話した人間観などをふまえて話していく。

人生ってのは、「人間の生」のことって話。

人間の生ってなんだろうか。

極端な提案をするけれど、

前に、「もしもボックスがあったらどんな世界を作りたいか」って話になったときに、「怒られない世界がほしい」って言った子どもがいた。

僕は、悩んだ。その世界はありだろうか、と。
たとえば、絶対に怒らないロボットが子育てをするとしたら、それはもう無茶苦茶に際限なく優しい存在なのだけれど、それで人は良く育つだろうかとか。
対極に、すぐ怒る人間がいて、それでも人は人間を求めるのではないか、なんてことを考えた。

そして、浮かんだのは、

「僕たちは、人らしさを求めて生きてはいないだろうか」ということだった。

その「人らしさ」とは、「人の形をしていて、とにかく優しい存在」ってことではなくて。
「いつも決まった反応ではない存在」ってことだ、と。

言いたいことは、
人生とは、「人間の生」なわけだけど、
ただ、人間として存在してればいいってわけじゃなくて(少しこんがらがりそうだけれど)、
「『人間らしい人間』の生って」ことだ。
さらに、言い換えると
「人間らしく存在する」ってことだ。

その「人間らしく」ってことは、
上に書いた
「いつも決まった反応ではない」
ということと、
心ってなんだっけの終わりの方に書いたことをふまえて、
「『自分』らしく、『自分』なりに反応しながら存在する」ってことだ。

もう一歩、進める。
「自分」について、「自由ってなんだっけ」の考えを取り入れて考える。

自由ってのは、「自分の本心を表現することが許されている状態」ってことだ。 (「自由ってなんだっけ」で書いている)
その「自分の本心」を「好き勝手に表現する自由が自由であっていいのか」ってのが、「自由ってなんだっけ」で言いたいことなんだけど。

僕らの本心。自分の本心(本質とも言えるだろうか)が人間(という本質)であったなら、「続・人間ってなんだっけ」で言ったように、僕らの本心は、「好き勝手に自分を表現することではなく」て、「つながりを求めて、つながりを大切にすること」ではないか、ってことだ。

この考えをふまえて、「人間らしく存在する」ってことをまた整理すると、
「人間らしく存在する」ってことは、
「『つながりを大切にする自分』で自分らしく自分なりに反応しながら存在する」ってことだ。

この文がより分かりにくくなったように感じるかもしれないが、
実際は真逆で、より思考を進めさせてくれるところがある。

なぜ、「いつも決まった反応ではない」のかの理由が、「つながり」が入ることで分かりやすくなる。

「続・人間ってなんだっけ」で書いたように、つながりには種類がある。

要は、「自分」が「どんなつながりを大切にしようとして反応してくるか」分からないから、予測しきれないというわけだ。

本来ならば、お互いが「優しいとか、温かいとか、嬉しいとか」感じられるようなつながりだけを大切にしてかかわれればいいけど、人には感情があって、怒ったり、悲しんだり、心地よいつながりだけを選択できるわけではない。(当たり前に、怒るも大切な感情の一つ)

(今、思いついたけれど、人と人とのその時の「つながり」は、人の感情に左右されるんだね)

さて、ここまで来て、一言声を大にして言いたいことは、

これは、クロスボーン・ガンダムのトビアという子が
「それが人間のすることかよっ!バカ野郎!」とかってことを言うシーンがあって、
そのバカ野郎!って他人が思っちゃうようなこと、あまりにも人間がつながりを求める行為から離れちゃってることは、人生とは言えないんじゃないかってことだ。

要は。(ちょっと飛躍するけど)

「自殺も他殺も人間らしいか」ってことだ。

どうしようもない理由があって「自殺」してしまった人の生きた時間が、
「人生じゃない」なんてつまらないことが言いたいわけではありません。

これは、自殺したい人へのメッセージというよりは、
その周りにいた人、周りにいた人たちから続いた命、僕らへのメッセージです。

どうしたって、生にしがみつく僕らは、
どうしようもない「自殺」があるなんてことにしちゃいけないんです。
諦めちゃダメでしょ。

早く気づかなきゃ。
僕らが、誰かとのつながりを持っていて、ただ生きている、生かしているんじゃ、見えないものがあるかもしれないってことだ。

人間らしく。
つながりを大切に。
「相手の中に自分が生かしてもらえるように、相手を自分の中で生かせるように。」
人間らしく生きられるように。
一緒に、人間らしく生きていけたらいい。

人生ってなんだっけ。
これは、人間らしく生きるってことだ。

何が「人間らしい」かってところは、
また別に項目を立ててより考えを挙げたいと思うところだけど、
(生物として同種の生命を大切にするのが基本だろ、とか。)
でも、僕ら一人ひとりが考えていいことだとも思う。
誰も、本当は、当然に、人間らしいはずなのだけどね……。

ふと、エヴァンゲリオンの
第弐拾弐話「せめて、人間らしく」が思い出されたところで、

人間を大切にしようと自分で反応すること。
人生ってなんだっけは、ここまで。