かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

「理性」について。「感動」について。

ジョナサンで朝食な「ハピペン」です。今日は、午前中の荷物受取の指定をしていたのですが、「午前」って結構漠然としているなあ、と思い問い合わせをすると、着くころに電話をくれるとのことだった。なんでも聞いてみるってのは大事だ。それで、朝は近所のジョナサンへ行った。

ジョナサンでは教育原理を読んでいた。専門学校で一番好きだった授業。

理性についての項目が気になった。

理性って

理性には型がない。理性は後付け。

と書かれていた。

理性が人それぞれの価値観なのだろうと思う。

そして、性悪(性悪説)という考えは、先哲の「理性」と生まれ持った「本能」的な衝動が合わないところから生まれるのだろうな、と思った。理性が「性悪」という基準を生んでしまうのだ。反対に人は、自分自身にとっての「善」を生きているはずだから、やっぱり「性善説」ではあるのだろう、と考えられる。その「善」の価値がその時代や文化の「理性」に合わなければ「性悪説」が優位になるだけなのでは、と思った。

発達障害について

その理性を基に出来た考えが、「<学校>と<子どものズレ>=発達障害」にされてないか、ってこと。彼らは<学校>で困り感を抱えているとして、じゃあその学校って社会に適応するカリキュラムなのか?と。そのカリキュラムは未来に合ってるの?と思ってしまう。その不確か中で、我こそが社会だ!と子どもに与えて、それに見合わない子は別の環境へというのが、なんとなく腑に落ちない。

感動について

午後。この日は、感動は目標になり得るか、感動ってそもそもどうして生まれるのか?という話をした。これは結構面白かった。

前に聞いたことあるのは、感動とは「懐かしさ」だった。

運動会的な感動、卒業式での感動、自分のことを伝えているうちに泣いてしまうこと、ディズニーランドのパレードでの感動、これらに共通することはなんなのか。

嬉しさ、悲しさ、切なさ、儚さのような。

私は、まず「イメージを越えた刺激」というワードが浮かんだ。自分の構えているイメージのキャパを越えると人は感動するのではないか、と。
あと、「平和」を強く感じると感動に結び付くのかもしれないとも考えた。「生の肯定」のような「今、いい」って強く心に響いて感じると感動する。
もしくは、「いっぱいの人がそこに集中しているエネルギー」のようなものが、働いているのだろうか。
そして、一言出たのは、「感動は非日常」ということ。これは確かにそうだと思った。

その「非日常」は、どう生まれているのか。「いつもと違うってこと」と、「慢性的にもっているイメージと違うってこと」などがある。

たとえば、「できないかもしれない」「勝てないかもしれない」「失敗するかもしれない」などの、「不安の是正」が感動になり得る、と。

この辺りで、そういう場に合わせて、すでに脳の中で感動しようっていう態度があるのでは?という意見も出た。

そうして、一度、感動について検索することに。
扁桃体による価値判断から涙が出ると書かれていた。
そして、その涙の後に感情が沸いてくるのだそう。

「感動→涙」ではなく「涙→感動」なのだ。

その偏桃体に涙を出せという感動のスイッチは、どのような感覚や刺激によってもたらされるのか。

そこには、「出来なかったことが出来るようになる」という感動からヒントをもらって、「感動は喪失」という考えに落ち着いた。

  • できない自分→できる自分
  • 長い練習→一度きりの発表による活動の強制終了
  • イメージでしか味わったことのないもの→実際に体験し知らなかった自分を喪失する。

自己「喪失」が鍵だ。

そして、「感動に出会うための工夫」として、「していないこと」「できないと思っていること」こそ「したいこと」な可能性を考えた。

感動を求めて人は、そこから探索活動をはじめる。
検索した中で「感動は未来への希望とセット」というワードも出ていた。これは成長系の感動なのだ、と思う。
「感動のためにやらせる」っていうよりは、その要素を意図的に仕込んでいくことで、自然と子どもを感動に導くことができるかもしれない。
子どもは、3歳くらいから感動するという意見もネットの中では多く見られた。

たとえば「子どもは自分の成長に無関心」って印象を受ける。
その変化を子どもたちが自分自身で見取れる工夫をしていったら、感動が生まれるのではないだろうか。できにくい発達や実態に相応しい目標を掲げて、それが出来ているか、出来ていないか、出来そうか、出来なさそうか、チェックさせていく。それが本場に「出来た」に昇華されても、「出来なかった」に昇華されても感動に近い感情に近づけることができると思う。

当たり前の「目標」と「振り返り」が感動につながるって話だ。

対象のニーズの関心に触れることがサービスにおける感動

そうしてくれないかもしれないことを「する」。
そうならないかもしれないことが「なる」。
こんな風に感動を導けるかもしれない。

そして、この日は、スライドづくりに飲み込まれていった。付き合ってくれた人には本当に感謝すぎる!