左側の腎臓が悪い「ハピペン」です(あと眼精疲労)。どうするよ……。
さて、本日は久しぶりのHappyDay!(大塚愛ではない。)*1
睡眠不足でも視界が明るくなるような、12H以上経った今でもまだ余韻があるくらい楽しい気持ちになった日だった。
理由は、DAFLという学び場によるお陰様なのです。
(DAFLについては小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜を見てほしい)
継続と新しいことに慣れていくこと
この変身こそ学びなのだろう、と思う。
勉強の哲学に書かれていたことを体験しながら感じることが出来ている今年は自分にとって起点となる1年になるだろうなと思う。
自分が苦手だったことっていうのは、案外やった回数が少ないだけなんじゃないか?って思わされる。
その回数を重ねたり、そこに時間を使ったりする選択する価値観や力こそ才能だと考えたこともあった。
情報量が多い現代の中で、いかに自分に合ったものを選択するかは、たぶん超難しい問題で、よっぽど環境が整っていて、選択肢がはっきりしている人はいいのだと思うけれど、特にメタせず生きてきた場合は難しい。まして日本人は、そもそも日本人とは?が簡単には語れないため、余計に選択肢が広いと思う。
思考・論理・分析―「正しく考え、正しく分かること」の理論と実践
- 作者: 波頭亮
- 出版社/メーカー: 産能大出版部
- 発売日: 2004/07/15
- メディア: 単行本
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この本に
情報とは「目的に対して不確実性を減じる意味内容」と書かれている。
そして、情報が不確実性を減じてくれる度合いは、一定水準以上になるといくら情報を追加しても不確実性は減じなくなる。
(参考:P173~176)
「 どんな情報をどこまで集めれば自分にとって適切な選択をし得るか」は、改めて考えなければならない、と思った。
それと同時に選択には「感情」も影響を受ける。それも俯瞰できると自分の価値観と照らしたときのエラー*2が減るだろうなと思う。
それについては、またこれを読み進めていきたい。
ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者: ダニエル・カーネマン,村井章子
- 出版社/メーカー: 早川書房
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その上で選択をする。それは現状維持のときもあるし、飛躍のときもある。
今は、飛躍を選択できているように思う。
最近やりはじめたときの違和感が減って来てこういうものなのかもしれないというところまで来たものが二つあって、
- 共創(対話など)
- アウトプット(客観的に伝わるように言葉を加工するなど)
の二つ。
どちらも、まだまだまだまだまだまだまだなのだけれど、感覚としてこういことかとか、これがミスっているのだなということがちょっと分かるようになってきた。
従前は、ただ怖いとか、不安とか、ヤダとか、知らないとか、やったことないとか、関係ないとかやらない理由を探しがちだったのだけれど、やってみないと慣れられないっていう感覚が体験出来ていて、自分が何をすればいいか?の迷いや不安が減った気がする。
不安でもなんでもやりたいことをやってみていいってことだ。
「そうそう、失敗が恐くなくなった」ってことだ。たぶん。
で、それはDAFLで聞いてくださるメンバーや伴走してくださっている人たちのおかげで、「学び合うってずっこけまくりでいいんだよ」って思わせてくれたからなのだった。
「見捨てなさ」「解決策は必ずあるさ」「みんなで諦めなければなんとかなるさ」の楽しさや心地よさ、サイコーさを知ることができている。できれば今日のすべてをVRにしたいくらいだ*3。
これって今後の学級経営に生かされるだろうなって思うとわくわくが溢れる。
もちろん押し付けない、ただ楽しすぎるから身体からにじみ出て伝播すると思う。それで伝染させる自信がある。
あとあれだ、今までは持っているものが良いか悪いかも分からなかった。だけど、持っているものはたぶん悪くなくて、加工次第だっていうのを感じられるようになったからっていうのもある。
そうみなさんが励ましてくれるから頑張りたくなるってだけなのだけど。というか、DAFLに来ている人は……もとい、どんな人間もそこのコミュニティで潰されないかどうかだけの話なのだろうね。
表現が妥当じゃないと思うのだれど、「使えない人」の主語は自分って話に近い。優秀な人は誰の命も大切に扱えるってこと。これは、超ポジティブな話ね。
そして、今慣れたいことは「他者がいないとできないこと」で、それを楽しめているっていうことは、どんなに幸せなことなのだろうって。今日はこの気持ちが何度も反芻される。
共感をほめる共感者
帰りにお昼を誘ってくれたのが、こちらのブログの小学校の先生を120%楽しむ毎日kengobonbeiさん。
今の自分と成分が似ている人の一人。またニュアンスで表現したくなってしまうのだけれど、今演奏しているキーが似通っている人なのだと思う。かつほどよく短調か長調の違いみたいのがあってわくわくもある。
だから、合うわ合うわで、つっつかれると淀みなく言葉が出てくる。そうさせる力がすごい。インタビュー力?かもしれない。kenさんはセミナーもたくさん主催しているので、相手の強みを見抜いてそこに基づいた情報を得ることに長けているんだろうなと思う。とっても引き寄せられてたくさん話してしまった……ここは、ちょっと反省。
kenさんは、今、giveする人になるには?ということを考えまくっている人で、今自分がgiverかtakerかを常に意識されている。
ただ、最近giverもtakerも変わらないんじゃないかと思う。なぜかというと、それって気づき次第だからなのだった。
二人一組で同じ状況で「お互い誰が何をgive・takeしたと感じているか」をワークしたら面白いかもしれない。
たとえば、ランチに誘ってくれるという大きなgiveを私は感じるわけだけど、誘った方は、ランチに誘ったら相手が来てくれてからtakeしたと思うこともできるわけだ。
そして、kenさんは優しい人だからtakeぶってgiveりまくりなのだった*4。
私の強みを「共感力」と言ってくれるし、どっちがじゃー!とないちゃぶ台をひっくり返すところだ。そしたら、トマト料理を食べていて自分はYシャツだったのでダメージがやばい。
こうやって誰も分からないのに食べていたものの話をぶっこむように、「勉強の哲学 来たるべきバカのために」で言うところのユーモアの連続で、話を奪い取っては自分の知識を垂れ流してしまったのだった。
kenさんとはどこかお互いの学びが重なって、いつか大きな相乗効果を生み出せたらいいなと思っている。その日のためにちゃんと絞って頑張らなきゃとも思っている。
そして、ほめてもらった「共感」については、一つ大正解をもっているからぶれないっていうのもあるので、また機会があったら話したい*5。
すべてはメタ認知
メタ認知は21世紀的な力として重要視されている。
21世紀の学習者と教育の4つの次元: 知識,スキル,人間性,そしてメタ学習
- 作者: チャールズファデル,マヤビアリック,バーニートリリング,Charles Fadel,Maya Bialik,Bernie Trilling,岸学,関口貴裕,細川太輔,東京学芸大学次世代教育研究推進機構
- 出版社/メーカー: 北大路書房
- 発売日: 2016/09/23
- メディア: 単行本
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この本の
学習を転移するためにメタ認知が重要。
という項目を読んで特にそう思った。
ずっと行動が一般化するにはどうすればいいのか?と思っていて、そのためには、行っていることを俯瞰出来て、似た場面で再現できる力が必要なわけで、その俯瞰がメタ認知ってことだったのだな、と。
メタ認知は、認知していることを認知することと言われる。下期は、このメタ認知の発達段階を調べて、支援の子にスモールステップで施すことを再考したい。
「感情」「できていること」「できていないこと」「やりたいこと」「やりたくないこと」「何のために」「何を選んだか」「なんで選んだか」「何を選ばなかったか」「なぜ選ばなかったか」など。
上の方の話とつながるけれど、「選択」の背景がこの先重要になると思う。「知識基盤社会」っていうのはそういうことだったのだ。言語を使って思考し何を選んでいるかを意識して説明できること。
言い換えれば、そこに価値が生まれる時代になってしまったということで、それはそれを楽しみたいと思う進化をしてしまったのだから、もうなんとも言えない。
ただ、これまでは相当過渡期だった。だから合わない社会に合っていない自分というミスマッチングも少なくなくて生き辛い人が少なくなかったのだろうな、と思う。
もし、自分を俯瞰しきることができて、選択をある程度コントロールできたら、自分は究極に生きやすくなるのではないか、ということだ。
もちろんイレギュラーはいくらでもあるとして、そのイレギュラーへの対応も結局は選択なわけだから、幾分の生きやすさは生まれるだろうと思う。
ポイントとして自分に響くものがなぜ響くのかをメタできると楽しいと思う。
響く度に本を買うと本棚がもはや解析不能になるのだけれど、その本を串刺しにする軸はなんなの?ってことが気になる。
私は「生徒指導提要」が好きなのだけれど、その中で響いている言葉は「社会的な自己実現」と「自己決定」だ。自分らしく自分を選択して決定し社会につながりのある自己実現を達成できたら、どの人間も幸せになれるだろう。そのために何が必要かを考えて、教室で子どもたちに施したい。
そのためには、他者と関わることの良さを知っていること(好きか嫌いかは置いておいて)、人は一人では生きられないことが普通だってこと、自分を成長させるのは自分だってことなんかを学ばせていきたい。
あと、DAFLでは、ハピペンさんは「内省する力がある方だからできる」ってよく言われる。これもそうだったのか、と思う。ただ、それはここまで一人で考えて生きて来たから*6こそなのだろうから面白い。
自分を持つために哲学を避けていたくらいだから。それが原因でこじらせているところもあるだろうけど(笑)*7
だから、DAFLで言葉を加工して誰かに伝わるってことが嬉しいんだろうなあ。
ステップアップするには
今回で、自分の言葉選びいかに「節」かってのがさらに分かった。
「ハピペン節」「ハピペン論」って表現(称賛?)は、これまでたくさん言われてきたことだった。
これが「加工すればもっと伝わるかもしれないよ」って意味だったことにずっと気づけなかった*8。
そのままだと感性に訴える良さ*9もあるし、そのままだと論理的に伝わらない悪さもあるって認識がある。
同時に、成果を明らかにするために数字を使うこと。教育の外にいる人伝えるときには特にそれが必要なのだった。「数値化」すること。これも慣れていないことなのだけれど、ざっくりでもいいからやってみることが大切だ。「ざっくり力」っていいかも。
ただ、課題が見えると、ほんとそれだけのことなのだな、と分かって気が楽だ。乗り越えられないっていう絶望が待っているかもしれないけれど、今はそこが懸念できない気持ち。
あと、そして、私ももっと素直になりたいね。本当の自分に正直にね。
この今感じている自分をいろんな形で表現する楽しさを子どもたちにも伝えたいね。