かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

【子どもは忘れる】「あ、そっかぁ」「いや、1年半やってたよね?!」

さーて!引っ越すぞ!!って「ハピペン」です。

2学期1週目、いい感じでしたよ!何がいいって?笑顔がいい!!

夏休みリフレッシュしていい顔で来た!そうなると、顔を曇らせてるのは誰か?って言いたい!

 

いいから嫌がらせで子どもを育てることをやめてほしい!

 

真理は大事だ。それを責めても仕方ない。自分のことを棚上げしまくってね(ブーメランすぎるが)。

 

「人は忘れる生き物」

たとえば「人は忘れる生き物」。

もちろん、例外はあるだろう。私なんかは「忘れすぎる生き物」だ。

 

どうして?と考えて、眠い、お腹すいたってときに、満足感を思い出せるとやばいからではないか?と考えた。

 

だとすれば、忘れることは生きる源かもしれない。だから、人は忘れるってことだけは忘れない。

だけど、忘れていることにも気づけなくなれば、だんだんといろいろってことだろう。

 

この話は置いておいて。

 

昨日の話。

 

給食が終わると食器を片づけて、班にしていた机を前に寄せたり、後ろに寄せたりする。

 

食器を片づけて立ち歩いた経由で私の方に来る子が数名いる。

 

昨日も甘えに構われたがってくる。

「気持ちは分かるんだけど、机を片付けようか」

 

スタスタと戻る。

 

また、来た!

「いやいいんだけど、机は前に寄せるんじゃないの?」

 

ここで、

「あ、そっかぁ!」

である。一年半繰り返しやっていたとしても、ふいに忘れるのだ。人は!!

 

子どもは「今、ここ」なんだろうなと思った。

そして、子どもの「今、ここ」を大人の都合で覆すから気持ちが乱れていく?

 

「子どもの特性」とそれを否定する大人

私は、子どもの特性の話が私は好きだ。

 

www.happypenguin.net

 

子どもは刹那的に生きている。それは、たぶんいい意味でだと思う。

生きたいって証拠。

 

だけど、それが、大人の感情で覆されることがしばしば。

 

「あ、そっかぁ!」に大人はどう返すか?

「あ、そっかぁ!」のあとに何て声をかけるか?

この受け応えに教育観が出そう。

 

私は何も言わなかったけど、

  • 素直でよし
  • 気づけてよし
  • 子どもは忘れる生き物なんだよな、大人だってそうだよな。つい忘れるよな。それだけやりたいことがあるんだよな。
  • ブログのネタになる?

なんてことを思った。

 

あとは、他者がいかにダメかに目を光らせていないで、自分をメタして受け入れているかってのも重要かもしれない。

 

メタして自分を受け入れていれば、人間はそんなに常に完璧でないと分かる。

 

自分が自分の中で完結していて、刹那的に生きていると、自分の綻びも認識できない。

気づきさえしなければ、自分はいくらでも完璧化できる。

 

自分の口癖

「そういうときもある」

「そういうこともある」

これは、私の口癖。

人間の生き方を狭めたくない。

いろんな日の自分を受け止めて自分を楽しんでほしい(加害者にも被害者にもならないことは求めるが)。

 「ダメなものはダメ」だとして「どんな?」「何が?」

子どもを被害者にも加害者にもしない (徳間文庫カレッジ)

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「ダメなものはダメ」だとして「どんな?」「何が?」

話が少し逸れるが、教師が出来ていないことに教師は文句を垂れすぎだ。

 

私なんてもう今年度2回も教室でコップの水をこぼしている。

 

水をこぼしても、それこそ机を運び忘れても、触るなって言われたものをつい触ってしまっても(危険だったり、誰かが悲しんだりするものではない)、子どもは怒鳴られたりする。

 

誰にでもミスはあって、一人ひとり起こしやすいミスは違う。

自分はできるからって、他者ができない分野の水を責めるのは絶対に違う。

 

仕事のミスが絶対なくなる頭の使い方

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 この本では、ミスが「4つ」に分類されている。私は「ケアレスミス」担当。

 

あとは、「でも、子どもにはちゃんと怒られる権利もある」って反論もあるかもしれない。

それは、そうだろう。

 

ただ「なんでもかんでも?」って話だ。

 

非行防止のポイントに、

「悪いことは、悪い!」と、はっきり伝えることが大切

とあった。

ただ、やはり、なんでもじゃない。

ここ一番 叱る強さが 子を守る

とある。

 

「ここ一番」だし「子を守る」ためである。

 

自尊感情を下げて子の自己評価を低め自省させるためではない。 

 参考:

神奈川県警察/STOP! THE 少年非行

 

「ダメなものはダメ」のレベル感をもとう

ここ一番 叱る強さが 子を守る

とあるように「叱る強さ」という自己を俯瞰している自己コントロールも大切だろう。

 

「ダメなものはダメ」という、子どもの「面倒くさい」という理由ぐらいに短絡的な印籠をぶらさけで、すがって指導している人たちがいるけれど、それって「何のため」が抜けてるだろってよく思う。

 

「ダメなものはダメ」のレベル感がほしいところ。

ダメなのは、運動会で合わせられないこと?それって犯罪級なの?一番怒らなきゃいけないこと?本当に?

といった問いを投げかけたい。

 

自分の怒り方が5段階あるとして、今回は「3」とか「4」とか意識して指導できたらいいと思う。

 

ここ一番が「5」だ。

そして、それは「何のため?」がいる。

 

更生のため?ストレス解消?見せしめ?

更生させたければ、こういう知識も踏まえた上で指導したい。

 

反省させると犯罪者になります (新潮新書)

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オチ

それで、今回のオチってことで進めていくが、明け方から引越しの準備をしていてしていて、家の中にスキーウェアがないことに気づく。

 

えっ?!クリーニング屋?!

そんなん忘れる?

 

えー?!……怖っ。

 

あんなガサガサするかさばるものがなくなっても気づかない自分は、さらに何かクリーニングに出しているのではないかと不安になるし、大事なものを失くしっぱなしなんじゃないかと不安になる。

 

忘れたことに気づけない忘れ物。永久消滅。

 

でも上で「生きる源」と仮固定したように、「うん!オレ生きてるわ!」と開き直って仕切り直すことにしようっ!

 

 

( ̄◇ ̄;)