なんだかんだ、自作の教材という配慮が当たると嬉しい「ハピペン」です。
2年生の「時刻と時間」。ふり返り用に問題プリントを作った。それまで全然分からない風な表情だった子にモヤモヤしつつも、それをやって「できた!」とか「分かってきた!」と笑顔が見られると一安心というか、「よーし!」って感じ。
今日は、この記事が気になったので、ピックアップ。
科学でポケモンGOの良さが証明された。文末の結論を見て、こうくるのかと考えさせられる。
しかし、「『公』VS.『ゲーム』」のピンと来ないモヤモヤ感はなんなのだろうか。
昨年、会いに行ってきた、東尋坊の茂さんも、ポケモンGOの効果についてコメントしている。
東尋坊で自殺防止パトロールを12年続けているが、昨年の8月は初めて0人だったとのこと。
12年続けて来たことが、ポケモンGOというテクノロジーで風向きが変わる。
すごい!だけど、なんだろうか、このモヤっと感。
個人的なモヤっと感はいろいろあるのだろう。
たとえば、人が人に対して向ぽき合っているのではないところ。0は0なのだけど、それはコンテンツを介在してであって、誰かが自殺したい気持ちと向き合えていて0ではないということだ。
来づらかった東尋坊ではない場所で、悲しい終わりを告げている人がいるのかもしれない。
ストレス軽減の部分では、じゃあ、自分もストレスを感じたら、1か月「ポケモンGO」をやってみようと思うかというとそうではない気がする。
(実際やってみないと分からんが……。)
今日の記事の文末の結論が肝だろう。
川上さんは「外出し、人との交流や身体活動量が増えることが改善の主な理由と考えられる」
「ポケモンGO」の良さはこの3つではないかと思う。
- 外出(身体活動量)
- コミュニケーション
- 継続
3つめの継続も大きいだろう。
そして、この継続につながる理由が「好きなこと」ってことだ。
つまり、
- 好きなことで、
- 外出(身体活動)の機会があり、
- その先に、誰かとのコミュニケーションがあり、
- 継続できることで、
ストレスが軽減されているのではないかということだ。
私は、そこで「DAFL(神経科学でいかに現場を変革するか:DAE Letter, May, 2017 – DAncing Einstein Lectures)」を思い浮かべる。
そして、これらの要素を一人ひとりに働かせ切ることが「公」では難しいため、「個人の趣味嗜好」的な、「私」的である「ポケモンGO」や「ゲーム」が相容れないと感じるのかもしれない。
しかし、一人ひとりに合った教育はできる限り追求したいこと。
これらの要素の真逆、
- 好きじゃない
- 身体活動できない
- コミュニケーションできない
- 継続できない
学校の教育活動は、教育の機会を奪っていると言えるだろう。
そこに「いや、公なんで」って言い訳は通らないように思う。
どの子も長い目で見て楽しく学べる学校にしていきたいってことだ。
そして、意外とこの観点での授業改善はできなくないはず!と思う。
やらない人は多いだろうけど。