だからお酒はやめようって言ったじゃない!って「ハピペン」です。
どうあがいたって自分を改めて知ることになるDAFL
早速だが……。
自分を出すことで、リアクションがあり、自分が他者にとってどういう存在なのかが分かる。
それは勇気を出して自分を放り込んでみないと分からない。
思考のスピードは人それぞれだ。そして、「どう気づかせたいか」も人それぞれ。その人なりのbetterで頑張る。
内容がその人のパーソナルな部分。深いところだからこそ牽制する。かつ、自分が間違いたくないってのもあるかもしれない。かつてのように「ズバリ!」言わない。現代的な作法だ。
そのニュアンスから気づいたものが学びかなとも思う。明示されすぎてなくて気づけるかボケ!ってのもあると思う。でも、今回はそれで行く「そう決めている自分に気づく」のが大切で、気づけないと「なんとなく」「雰囲気で」「そういう気分だった」で流れていってしまい、自分は不透明・不鮮明・不明瞭になっていく。
反対に何も言わない自分もいい。
そこで言わない自分に気づくとなお良い。
「なぜ言わないのだろう」「なぜ言わなかったのだろう」「なぜ言えなかったのだろう」
そこにまだ見ぬ自分がいるかもしれない。この「なぜ」を問えればまた一つ気づかなかった自分に気づき、本当は自分はどうしたいのか?といったことが明らかになる。
強みも弱みも得に向かっている。「人は気持ちの悪いことはしない」。そこに意識できていない得があるからその選択肢に流れる。
けれど本当はそういう消極的なとかではなくて、積極的な得がほしかったんじゃないの?という話だ。
そして、生きたかった自分を思い出して、生きたかった自分を生きるために、メタ認知が重要って話。
そしてそこに、結局は、つながっていることに自分を知れば知るほど納得できる。
昨日は、発表がないと気づかず、朝準備してしまった資料。出さないと次回そのまま使いそうだからここでアウトプットしてしまおう!!
【まとめ】これまでの「DAFL」での「学び」
(1)DAFLでの学びの目的と流れ。
左上:私は、本当は何者で何がしたいのか。
「目標」「何のために」「そのためのスキル」「やりたい」などの自分の軸を仮固定したかった。
右上:DAFLでは「メタ認知」「アウトプット」「フィードバック(伴走者)」を得ることができ、継続的に独りよがりでない言語化ができると感じた。
そうして、発表するなかで、多くの人に認められ、「自分があり」ってことを感じられた。
左下:「何かあるのか分からないけどまああるんじゃん?」くらいな自己認識から「何かありそう……ワクワク」くらいまでにはなった。
右下:じゃあ、そのありそうな何かをどうする?っていうのが最後の「?」である。
(2)今回のテーマ
「覚悟」はリフレクションカードのNo4.の学びから選んだ。何かを決めて、歩み出さなければならないと考えたため。これ以上自分を誤魔化すな!みたいな意気込みである。
そして、「自分を何か変えてみない?」というサブテーマ。本当は「上手く行っていないと感じるなら」を前に入れたいところ。
だけれども「何かを変える」っていうのを広く考えれば、いろいろ知ったうえで「何も変えない」という選択をすることも「何か」を変えたことにはなるだろうと考えて省いた。
「Do something different」は、もろ「ブリーフセラピー」の考え方で、DAFLで得られる醍醐味だとも思っているこれまでと「何か違うこと」に出会うというようなイメージとつなげた。
(3)DAFLで大切な「メタ認知」からの学び
父親との関わりから「抑圧」「排除」を感じることに心が動いてしまうと分かった。
そこから、子どもたちには「自己表現」できる力や「認め合う」心などを育てたいという思いが強くあることが分かった。
私はとにかく自信がないという感覚があり、その背景には自尊感情の低さがあるのではないかと考えた。そこから「自己表現できない」「他者を認められない」といったことが起こる。
(4)自尊感情について
右上:デニスローレンスの本からの自尊感情の定義。
「自己像」と「理想像」のギャップが大きいほど自尊感情は低いという定義。
- 作者: デニスローレンス,Denis Lawrence,小林芳郎
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それを基にしながら、自尊感情には「自己理解(自己像と理想像を知る)」ことと、それを「その自己を受容する(ありって思える)」ことの二つが必要だと考えた。
この過程に、「他者理解」と「他者受容」が必須なところが肝だ。
異質な他者を知ることで、自分を仮固定できる。他者受容することで、自分の中の嫌な部分に自分にとって異質な自分を受け入れることができる。
すると自尊感情は安定すると考えている。
DAFLは、他者理解、他者受容の場でもあり、自己理解の場でもある。自己受容するかは、そのときどきによる。そして、理解には、言語が必要なことも重要。受容するには、感情や心が重要な役割を果たすと考えている。
そして、この「理解」「受容」を「児童理解」にも生かしていると考えた。
(5)児童理解について
「1」は自分なりの信念
「2」、「3」は「ブリーフセラピー」の視点だと思う。
「2」は「分からなかったら子どもに聞く」。
「3」は「子どもは気持ちの悪いことはしない」という考えから「何かを変えて気持ちよく取り組んでもらう」ということを意識して関わるということ。
この3つの視点について6月から毎日振り返りをしていて、現在200コの記録がある。
じゃあ、それで「そもそも何がしたいの?」というのが大切になってくるだろう。私は現場における「自尊感情を低めるような指導」を減らしたい。特に怒鳴る、強く言う、子どもの所為にするということに関して、違う方法で指導できることは違う方法で指導してほしいと考えている。そうすると子どもが伸びると実感しているからでしかないのだが……。
ターゲットは「同僚」。
何人か変えてきたが、つい先日バトってしまった。
年上に対してだったからいいものの。自分が年を重ねて、若い子にやったら「パワハラ」まっしぐらかもしれない。
そこで!冒頭の「?」に到着する。
(6)伝え方
やっぱり、伝え方をなんとかしなくてはならない。
「本当に何かを変えたいのなら……。」
というわけで、この記事すらそれに適ってねーよって思われるかもしれないが「アウトプット」について少しでも成長したい。
そう「覚悟を決めた」わけだ。
ちょっと文脈がとぶけれど、この本の最後の方。
少年犯罪をなくすためには、少年に優しいまなざしを向けることです。時には厳しい指導をする必要があるかもしれません。しかし、それも優しさに裏打ちされたものでないと力を持ちません。
優しさを取り戻す第一歩は、「発達障害に対する科学的認識を持つこと」です。
「知識のない愛は力にはならない」のです。
P248
この感覚に近い。知識が無い所為で、個別の問題に矮小化されて虐げられている子たちがいくらでもいると思う。
その子たちは優しいから、決して犯罪者なんかにはならない子もいる。ちゃーんと真面目な先生たちが何度も繰り返し教えてくれたように、自分が出来ないんだ、悪いんだ、おかしいんだって思って生きていく。そう言われたから。本当はそうか分からないのに。というか、本当はそうでないというのが本筋だろう。
この本の「おわりに」からもう少し抜粋する。
一人でも「優しさ」を忘れずに子どもを見られるようになっていってほしい。
もちろん、自分も変わるし、変わり続ける。自分が変わるってことが一番の「Do something different」なのだろう。その都度、必要な変化を。
誰かを変えられるようにするって、自分とほぼ同時的な変化だ。そして、適切な変化が求める変化を誘発する。
さあ、誰がどう何のために変わるか。
以上。
昨日は、DAFLみたいな学校に行きたい。と思って、改札に駆けて行った朝だった。