朝起きにくいなあ……と思っている「ハピペン」です。と思った朝「 ふたせん」も似たようなことを思っているのを見て微笑ましい。
早起きのプロが起きづらい時期なら、私は本来であれば昼まで寝てしまっていてもおかしくないのである。
もうちょっとこの朝起きるトークをしたい。
起きれない。この気持ちはちょっと苦しい。
今の起きる時間だと、実は職場への到着も早い方ではない。
一瞬「あと5分でいいから早く来なさい!」と言われたらどうしようと思った(そういう風に言われている子どもがいるのだ)。
「ロジックは、そういう日もあるのだから出来ないことはないだろ!」って感じ。
でも、それができない苦しさ、限界さってある。
だから、スケーリングしてみる。
朝起きる大変さの限界を10だとして、この時間に起きるはどれくらい大変か?と考えてみる。
自分はそれでも「8」くらいと思った。
これをあと1上げて、大変さ「9」で、5分早く起きろは、きつい。
アイデアを一緒に考えてくれて、失敗してもいいから一つ何かを変えてみようならばよい。しかし、ただ、そう強く言われるのでは、二重に心が折れる。
これは、忘れ物もそうだろう。
今、結構頑張ってこの状態なのに、当たり前の基準はそうでないから、あと少し頑張れ!というやつ。
一番声を大にして言いたいのは「子どもは別に当たり前になることに魅力を感じてねーよ!」ってことだ。
そしたら「ありのまま〜」のって「エルサ」はそんなに支持されないだろうよ。
たとえば、指導するなら「あなたのありのままの思いを実現するため」と「当たり前の行い」が接続されていなければ、現代では「指導言」になりにくいってことだろう。
それか具体的に1ポイント変えるような提案。
たとえば、「8」で起きてるのを「7」にするには何ができそう?とか。
「これまで行ってきた改善策はある?」とか。
「上手くいった時はどんなとき?」とか(もろブリーフセラピー的な問いだが)。
そこから、解決策を見出したい。
「遠足だったら」と答えが挙がるかもしれない。そしたら「遠足だとどうして起きられるんだろう?」となる。
「楽しいからかも。」だとしたら、もう少しその「なぜ?」を問いたいが、「学校や教室を楽しいと思える場(誰もがかつ教育的価値も含んだ)」にするしかないだろう。
この辺で「そうだよね、こっちにも改善点はあるよね」と思いたい。
子どもが学校が楽しい理由の一位は「友だちがいるから」なのだから、実はこの楽しいは「学習内容次第」って話でもないかもしれない。
あと、ヒントとして、神奈川県の子どもが挙げた、良い先生がどんな先生かは、
「わかる授業」
「ほめてくれる、叱ってくれる」
「やる気にさせてくれる」
だった。
どこにヒットすれば、その子は起きたくなるかを考えても面白い。
気をつけたいのは、「わかる授業」は、先生が教授してという意味に絞られているわけではないだろうというところ。
「友達」とのつながり、やっぱり「リレーション」を先行させながら「わかる」を目指してもいいだろうと思う。
私は、起きるポイントを1変えるために……23日暖房器具を見に行こうーっと。