(「ファスト&スロー」×「特別支援教育」×「ハピペン」その3)
プライミング効果について
授業にも生かせる「プライミング効果」について書いていく。
プライムとは、「先行刺激」と言われる。
ある「刺激」によって、次の行動が選択される効果を「プライミング効果」という。
これは、無意識に起こる。影響を受けたことに気づかないうちにある選択をしてしまう。
自然に勝手に、目に入るもの、耳から入るものがその子の思考・認知・行動に影響しているということだ。
教室や授業に何を、どんなキーワードを、潜ませておくかは重要ということだ。
あるいくつかの単語をランダムに見せたとき、その中でいくつかの種類だけ3度見せていたとする。
その後ある単語を虫食いにして見せたとき、脳が反応しやすいのはやはり3度見せた単語だと言う。
意識的にこの単語は〇〇と分かっていなくても、脳は反応しているらしい。
プライミング効果は、「直感」である「システム1」に作用するため、避けることはできない。誰でも彼でもプライミングされているのが現実である。
自分の判断や選択を行っているのは自立した意識的な自分だ
というのは、真実ではないそうである。
自分の認知している事象は、「システム1」がプライミングされたものを「システム2」が解釈していると言える。
「お金」のプライム
「ファスト&スロー」では「お金」のプライムについて書かれている。
人はお金のプライムを受けると「自立性」が高まるらしい。
他にも
利己心も強まり、手助けを拒むようになる。
一人でいることを好むようになる。
席を離す。
誰かが落とした物を拾わない。
以上から「お金」のプライムは「個人主義」のプライムと言える。
他人と関わること、他人に依存すること、他人の要求を受け入れることを嫌がるようになるそう。
反対に支配されている感覚というのが、自主性を妨げるからだと考えられる。
これらから思うのは、「動機の選択」への留意である。
やっぱり、「将来社会に出て困る」は、動機としてそんなにおすすめできないように思う。この言葉で育った子どもたちは、やっぱり「個人主義」になっていってギスギスするんじゃないか、って思う。
「個人主義」の学級
学校の先では「個人主義」で生きていく、という価値観を子どもたちに植え付けると、ギスギスした雰囲気になっていく。
まず、個人内評価ができなくなっていく。「アイツだけずるい」が生まれる。
「できないのは、できないアイツが悪い」からである。
自分より、楽そうなことをしていると一瞬で標的になってしまう。
けど、その背後には、子どもは子どもでいっぱいいっぱいの板挟みに合っているかもしれないってことだ。
「できない自分」と「やりたい自分」、「いじめられるかもしれない自分」と「そんなことより成長したい自分」と。
ちゃんと成長したいけど、いじめられるかもいしれなくて不安である、と。
子どもたちは、何かを犠牲にしてそこに座って、妙ちくりんな振る舞いをしている可能性があるってことだ。(そこを拭えてやっと安心ってことなんだと思うけど、なんとなく事なかれ主義で流れていることも少なくないだろう)
そうすると、子どもたちは、いつも「いじめられやしないか」に気がいってしまって、自己監視と周囲に合わせた自分を演じるために自己コントロールで忙しくなる。
その結果、「消耗」が大きくなり、誰もがセルフコントロールが不能になっていってしまうかもしれない。
早く疲れたもん勝ちで、終わりなきセルフコントロールをするより、「一抜けぴっ」で自分を律しないで、好き勝手な自分を認められてしまった方が楽だ。
その感覚は、ふざけを助長したり、立ち歩き、反抗的な発言など、注目が得られて、楽な態度を選択する方につながっていく。
「いじめられないため」のセルフコントロールで忙しくて、正しい自分としてのセルフコントロールをする力がなくなってしまう。
では、何を「プライミング」しようか?
これが重要な問いだと思う。
私たちが知らせたい価値観って一体なんなのか?それが常に問われる。
授業の中でも3回言うのと10回言うので違う、と言われる。
週の中で、月の中で、学期の中で、年の中で。
何をプライミングしていこうか、というのは重要だろう。
これが、いわゆる「何を価値づけるか」って話なんだと思うけど。
私は、「価値観と価値観の衝突から生まれる価値観の面白さ」に気づかせたい。
「利便性や効率よりも生産性」で戦えたらと思う。
あなたの「価値観」を「プライミング」で。