かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

自分ってなんだっけ(旧:生きるって楽しいじゃん)

自分ってなんだっけ

 

自分ってなんだ?

自分って人間……。

って、そりゃそうなんだけど。

う~んと……。

結論!! (早っ

自分ってなんなのかって言うと、結局自分だ。

「自分が自分と思っている自分」と「自分以外が自分と思っている自分」の二つ。

大きく分けてこの二つで答えはなんとなく見える。
もし、自分が本当に自分っていうのを知りたかったら、心に聞けばいい。

それでダメなら、直接自分に聞いたらいい。

鏡に向かって、目を見て真剣に声に出して尋ねたらいい。

自分って何?って。

そんな自分っていつからはじまったかな?。

いつの間にか自分の時間がはじまってて……。

考えてみると、小さい頃は自分なんて意識は強く持っていなかったように思うなぁ。

他の人に起こっていることもまるで自分のことのように嬉しかったり、悲しかったり、恐かったりした。

そう考えると、自分って確かにずっといたんだけど、自分がいるって改めて気がついて認識したのって最近なんだよね。

だったら自分ってなんなのかスッキリしなくても普通な気がする。

自分って自分なんだから分からなきゃいけないって思うけど。

それが間違いなんだ。

分からなくって当然。

それと振り返ってみると自分って以外と自分がなりたい自分でいただけな気がする。

ここは、少しややこしいんだけど、結局自分ってどんな自分も自分が選択してるじゃない?

親に心配かけたくないとか、我慢しようとか、こうしてみよう、ああしてみようっていうのは。

恐いことだけど、自分が今の自分なのって誰のせいでもないんだよね。

気づいてほしかったら、気づいてもらえるようにすれば良かったんだ。

その、自分っていうのが足りなかったことを他のせいにしちゃったらダメだ。

でも、失敗ってあるもんだから。

ダメでもまた頑張ればいいんだよ。

大事なのはね、まだ行けるって気がついて考えることなんだ。

そしたら後は自分が自分を決めること。

こういう自分でいたいって。

それでね、ここで本当の自分っていうのを探すとダメになる。

ダメになるっていうかごちゃごちゃになる。

本当の自分よりなりたい自分を目指せばいいの。

たとえば、誰かといるときの自分が本当の自分じゃないなって思ったとして、

それってものすごい嫌な感じがするんだけど、それは本当の自分でいなければ悪いって気がするからなんだ。

素直じゃない、偽りな感じがするって。

でもね、本当の自分でないってのと嘘は違うし、本当の自分でいないのは悪いことじゃない。

そもそも本当の自分。なんてのは存在しなくて、全部自分だから。

正しい自分も間違った自分もないの。

今、そのときに在るあなたは、そこにいるべきすばらしい自分なの。

そのときの自分に対してなんか違うって思ったらそれで次の自分を目指せばいいの。

違うって分かったんだからそれでラッキーでしょ?

何回も迷って分からなくっていいの、やり直しでもう一度前の自分に戻ってもいいの。

周りの人たちは、自分を決定して先に進むことがすばらしいことで決められない人は遅れてるみたいに言うから焦ってしまうけど。

自分にとってあるのは自分だけ。

なりたい自分だけ。他人の歩幅は関係ないの。

他人を見ていいなって思ってあんな自分になりたいって思ったなら、ただ単純にあんな風になりたいなと思ってなってみればいいの。

なれなかったら、なれないのは悪いことじゃないの。

辛くなければ挑戦し続ければいいし、ダメだなって思ったらまたそのときに思い浮かぶなりたい自分になればいいわけよ。

自分がなんだろうってやっぱり誰もが通る道で、自分は自分を本当には理解できていないのに、周りに対しては誰も自分を理解してくれないなんて思ったりするでしょ?

人には必ず人生の中でそういう時代があるんだよね。

誰も本当の自分を知ってくれないなぁなんて思っていて、よくよく考えたら、そうさせてたのは自分だったことに気がついて、すごく驚いたことがある。
誰も自分を分かってくれなくて、自分が理解してほしい自分と、他人が見てる自分に違いがあって。

これは言ってしまえば、自分の見られ方なんて他人の数だけあるから当然なのだけども。

たくさんの人が自分を表と裏で考えたりするけど(本当の自分とそうでない自分)、実際は自分っていうのは、他人の数だけ無限にあってそれが全部自分で、どっちが自分ってことはないんだ。

でも結局それは当たり前のことで、自分が他人にそう見られようとしてたからだった。

自分がそう見られたいと思っていた自分が、そのときなりたいって思った自分で、自分がそうなるようにしていたのに、その後そう見られて苦しんでて、あ、そっか!ってなった。

自分がこう見られたいなって自分が他人に見られてるでしょ?

いや、違う。本当の自分は……なんて思ったりするけど。

それは他人には写らない。

当たり前で隠してたら見えない。

だって隠してるんだもん。

それに気づいてよっていうのは、おかしな話で。

だったら隠すなよ!みたいになる。

たまに、本当はこうでしょ?みたいに言う人がいるけど、それは偶然か勘か雰囲気か結局自分がそう見せてたんだ。

ここでもなりたい自分ってのが働いてるわけ。

この人の前ではこうなりたいってのがなんとなく出てて相手がそれを感じ取るんだ。

ただ、これはまた話すけど、いろんな運命とかそういうのを感じるためにわざと自分を隠すって機能が元々人間についてるのかもしれない。

自分が分かってもらえないのは、つまんないけど。

でも、簡単に分かられちゃうのはもっとつまんない。

もっとたくさん時間を共有して本当に分かってくれる人にだけ分かってほしいもんだ。

本当の本当の本当の本当は、

人は自分が好きだから、大好きだから、大好きすぎるはずだから。 (これも詳しくはまた別のところで話します。)

そんなにお安くないのだ。

自分ってなんだか少しは分かっただろうか。

自分が分からなかったら、なりたい自分を探したらいい。

なりたい自分も分からなかったら、ただ素直に聞いたらいい。

心に、自分に、自分はどうなりたいですか?って。

これが、自分か?って。

そしたら、すぐではないかもしれないけど、必ず答えは見つかる。

それは、次に目にする本の表紙かもしれないし、耳にする音楽かもしれない。

道ですれ違った子どもの声かもしれないし、テレビのCMの一言かもしれない。

食事をしたときの一瞬の感情かもしれないし、いってきますと一歩外に出た瞬間かもしれない。

窓を開けたときの風の匂いかもしれないし、突然降り出した雨の音かもしれない。

この世のすべてが必ず答えを運んできてくれる。

大切なのは、心を傾けること。

自分はどうなりたのかって頭の片隅でいいから意識していること。

そして、焦らないこと。

抽象的で申し訳ないけど、ここでの答え、自分ってなんだっけの答えは、

自分によって生まれたすべての自分なんだ。