人間ってなんだっけ
自分ってなんだって考えたときに必ずと言っていいほどこの道を通る。
自分=人間だって。
これは、昔のいろいろな人たちが気がついて、人間とは自分とはみたいなそんなことを考えた。
人間とは、ってのは哲学のうちの一つ。
昔の人は、人として生まれた不思議に気がついた。
動物は動物として本能のままに生きている。
人間は?動物なのか?
そこで動物の違いを考えた。
そして、私たち人間には理性があると気がついた。
ここで人間には理性があるのだから、人は動物とは違うように人らしく生きるべきだという考えが生まれる。
人間らしく?
なんだそれは!!
そんなに難しいことではない。
人間社会という中で、そこに生きる生き物としてルールを守って生きましょうってことだ。
親しみのある言葉で言えば道徳を守るということだ。
実にすばらしい考えである。
この頃は、人間は神が作った進化の最終形態で地球上で一番知恵のある生物と考えていた。
良い意味で地球上の頂点に君臨しているということだ。
一番上にいるということは、地球というものを管理してたくさんを守る義務があるって感覚ね。
そんな風に昔の人たちも結構必死になって自分が生まれた理由ってのを求めたわけ。
そして次々に発表される人類が存在する理由が信憑性があって神秘的であるほどたくさんの人に受け入れられて、定着して行った。
この時代には宗教っていう背景がとても強くあって、それぞれにいろいろな理由を発表したんだ。
自分たちの考えこそ正しいって正義だって主張が。
それが、その正しさや正義っていうのがたくさんの戦争を起こしてしまったんだ。
人は自由であるべきだって考えとか、神のために生まれたって考えとか。
でも、絶対これって答えは未だにない。
時が流れてだんだん解明されてきたというよりは、今の時代の方が余計にたくさんのそれぞれの生まれた理由があるだろうね。
それは良いことでそれだけたくさんの生き方ができるようになったってことだ。
そうなって、今度は生き方ってのが疑問になってきた。
どうして生まれたかではなくて、ではどう生きるか?
このどう生きるかに対しての真理が昔の人の考えの中にある。
それは、
人は成る生き物だということだ。
たくさん???が浮かんでしまう言葉だが、
これはマリタンという人が言った言葉だ。
この成りというのは将棋の成りと同じ意味で人はその環境に合わせて変化していくってこと。
説明すると、動物や植物は生まれたときから自分の生き方を知っている。
どんな物を食べて、どう生きて行くかがすでに決まっていると。
これを動物は存在の仕方が決まっている、一定ということで、在る生き物とした。
そこで人間はどうかと考えた。
果たして在る生き物なのかと。
これにはいくつかの出来事があって成る生き物だという考え方が決定的になる。
そのうちの一つが、オオカミに育てられた子どもの話だ。
(大抵このたとえが使われるのであまり好きではないのだけど、それに信憑性も怪しい。 だけど、分かりいいので使わせてね。)
赤ちゃんのころからオオカミに育てられたこの子は人間ではなくオオカミのようにというかオオカミになっていた。
発見されたとき言葉は喋れなかったし歩き方は四本足だった。夜中には遠吠えをし、衣服は拒否をした。四本足で歩くために腕が長くなっていたそうだ。
人間以外の動物、たとえば犬だったらどう育っても犬だ。
人が育てたからと言って言葉を喋ったりはしない。
しかし、人間だけは自分を変化させて成長していくというわけだ。
人だけがごっこ遊びをするのは、成ることができるからだと言う。
人は自分が想像したものに成れてしまうのだ。
これがどう生きるかということとどう関係があるのかと言うと。
人は成ることができる。
つまり、成っていけば良いのだ。
人には理性、想像力がある。
その二つを使って自分が成りたい自分を考えそれを目指していけばいいということだ。
そうすると、でも自分が成れているか分からないという人がいるかもしれない。
確かにそうだが、スタートは自分のイメージでいい。
ままごとだって人それぞれの家のお母さんは違うのに細かいところまでは合わせたりしない。
大体だ。
理性のせいで年を重ねて行くごとに、違うこと、間違えることが恥ずかしいとなって本当の姿を求めてしまいがちになるが、最初から完璧になるのは普通は無理で当然だ。
人は成れる生き物ではなく、成る生き物であって、成っていく生き物なのだ。
結論は、
人間とは、他の動物とは違う動物である。
違いは、理性があること、成る生き物だということ。
そしてなぜ人間が存在するかということは、今のところは自由で、好きなもののために生きていい。
そして、その好きなもののためにどう生きるか。
それも自由だ。
アドバイスとしては成りたい自分に成っていくということだ。
人間として「人間らしく」生きるということも忘れてはいけないことかもしれない。
とても当たり前のことだが、そりゃそうだと思い出してうなずいてくれたら嬉しい。