清掃担当ということで、このコロナ禍における清掃についての提案を任されている。
COVID-19についての根拠を集めつつ、学校での清掃活動の妥当性をはじき出せという感じなのだけど、あまりにも心細いので、人を頼ることにした。
仲間と呼びたい人たちに素直に頼ることにする。仲間と呼びたい人たちは、まさに仲間で、お返事をくださり、大変助かりました。ありがとうございます。
つながりがあって、思い出があって、寄り添えってもらえる関係に心から感謝しています。本当にすごい。今回のは助けようとしてくれているのがよく伝わった。こんなに嬉しいことはない!
ちなみに清掃活動をそもそも何のためにやるのかを踏まえて考えた方がよいと思った。清掃活動における「教育的価値VS.コロナ対応」なわけである。コロナ対応に勝る価値があって、今すべきならば、掃除はした方がよい。そこまででないなら、させる意味がないわけだ。
特別活動の学習指導要領には
清掃などの当番活動や係活動等の自己の役割を自覚して協働することの意義を理解し、社会の一員として役割を果たすために必要なことについて主体的に考えて行動すること。
とある。
- 役割の自覚
- 協働の意義
- 役割を果たすために主体的に考えて行動すること
「いや、それ、今、掃除で育まなきゃダメですか!?」というツッコミが起こる気がする。
まとめると、COVID-19的な観点と目的からして、これまで通りに清掃活動を行うのは、時期尚早と考えられる。
ただし、「教室の環境整備」は、重要だろうと思う。いくらなんでも、全く掃除をせずに、埃だらけの部屋で過ごしていては、コロナ以前の問題で、子どもたちの精神衛生上よろしくない。
よって、当面の間は、教師が大変でない範囲で清掃と消毒を担うというのが、今回の妥当なところだと着地する。
こうして無事に着地ができたのは、本当に皆さんのおかげである。ありがとうございます。
今日は、「だくてん」の学習をした。
「てんてんむ〜しむ〜しって歌知ってるでしょ」と。
ラミネートした「だくてん」を棒につけて楽しんだ。「てんてんむしが飛んできてほしい人!」と言うと「はい!はい!」と手が上がり、自分の名前にだくてんを、つけて楽しんだ。
50音を貼り出して、濁点がつく文字を知っている人と聞くと、これまた「はい!はい!」案件でした。
笑って、心が開いて、子どもが面白いと感じるとこんなに前のめりになってくれるのかあ、と思った。
そういう意味で、本当に「興味」をもたせることで、いくらでも精神論の部分はカバーできるのだなあと思った。どうやって「純粋興味」を呼び起こすのか。それが課題である。
そして、この授業に神経を注ぎすぎて、他は惨敗である。
子どもたちは、金曜の最後までよくがんばった。もはや、前頭葉のブレーキは機能していなかった。本当によくやったと思う。頑張らせすぎたな……反省。
今、時間が空いた時に開いて、姿勢を正しているのがこの本である。
教師の粘りを感じ取れる本である。信じて働きかけ続ける姿勢に感銘を受ける。私も、頑張っていきたい。